透明な人材バンクへ

2年くらい前、図書館読み聞かせ団体の交流会がありました。新人の方を交えたものです。その時に、こんな発言がありました。図書館の記録にはないかもしれませんが、大勢の人が聞いたことと思います。内容は、
「学校から読み聞かせの依頼が自分たちの団体にあったが、人数が不足した。それで某先生に電話して、他の会の方を紹介してもらい参加してもらった。その方々は昔ばなし大学を受講された方々だ。それを受講された方がたくさんいる会があり、自分たちの会はその会のやり方を真似してやっている。」
というものでした。某先生は特定の名前が出ましたが、ここでは書きません。ただ昔ばなし大学というのは小澤俊夫昔ばなし大学のことです。

それがいいことか悪いことか分かりませんが、新人の方にすれば「昔ばなし大学を受講すると優先的に学校訪問ができるのかな?」と思われたことでしょう。図書館員の方々も数人、黙ってその発言を聞いていました。図書館の児童サービス論の一部にも、JPICの雑誌にも、この理論が大々的に採用されているので、それでいいのかな、というふうに思う方も多いでしょう。私の異論を3種類、書いておきます。

問題1 昔話研究に対する問題。
私は、昔話にある種の特徴があってもいいし、それを研究するのは学者個人の勝手だと思っています。それから、特徴に合った話を取り上げて「特徴に合っている」とするより、今現在起こっていることや、特徴に合わないものを研究することによって、より研究は前に進み深まっていくと思っています。
もちろん、それに合ったものが「本物の昔話だ」とは思っていません。また、その特徴が次の時代に確実に続くとも思っていません。今までそうだったから明日もそうなるとは限らないからです。セミナーを受けなくても本を読んで参考にする程度でいいと思っています。

問題2 家元制に対する問題
学校からの依頼があっても、自分の会でカバーしきれないということは容易に想像できます。
ただ、その時に、特定の個人に相談して、その個人の知り合いを紹介してもらったり、特定のセミナーを受講した人に限定したり、特定のセミナー受講生が集まる会をお手本にする、そういったことは、いわゆる家元制といって、権力がねずみ講式に一つに集中していくことになります。学校司書はそのことに気づいているのかどうか知りませんが、学校司書を含め、行政挙げて一つの流派を推進しているような状況になっています。それにボランティアが巻き込まれている。このことに対して、改善されなくてはならないと私は思っています。

 問題3 人間に格差をつけるという問題
昔話は民話です。本来、生活に根ざした庶民の語りですから、庶民が手軽に間違いながらも自分なりの語りをやるところに面白みがあり、だれでも語れる民話として、長く続けられる方法だと思っています。高価な受講料を払った人間が優遇されるのでは、お金持ちが語る趣味になり、このルールが幅を利かせると、学校に訪問するのは特定の階層の人になってしまいます。どなたも安心してボランティアを続けることができませんし、「楽しいボランティア」として他人を誘ったり広報することは、ほとんど嘘の世界になるでしょう。


 私はその某先生とは違う意見を持っていますし、昔ばなし大学も受講しませんでした。今も、某先生のグループに入らないと一流でないというような意識を持つ方が多く、一流の人だけが学校訪問ができるという認識が一部にあるようです。ですから発言として出てきたのでしょう。表に出して下さってとても感謝しています。
 私は、共生社会に向けて、その先生方の意見も含めて、その他に、多様な意見が表に出ていくのがいいと思っていますので、ずっとブログに書き続けました。順序だてて話すことが苦手で、文字にしたほうが確実だと思いました。
人材バンクもそうです。昔ばなし大学を受けた方だけが入れるバンクが不透明な形で存在していました。その他に、各種現場で学んでいる方々がそれぞれの立場で発信出来て文字になっていて、誰もがアクセスでき、透明性がある、幅広い人材バンクが必要だと思います。


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