子どもと子どもの本を大切にする方々

新潟市には、表立っていないけれど、「子どもと子どもの本を大切にする方々」というグループがあります。子どもの本を大切にする地層がある、というような言葉も聞きます。
これは某研究誌に出ていましたね。
「うちの園長は子どもの本を大切にする人だから」というような言葉を聞いたことがあるので、保育関係者にも幅広くおられるようです。もちろん絵本の指導者層に多くおられます。「大切なお子さんに変なものを渡すわけにいきませんよ」という発言も聞きました。

私は、それに出会うたびに不思議に思うことがあります。そのグループにいてもいなくても、誰でもそうなんじゃないかということです。誰でも、その人それぞれの考えで子どもや子どもの本を大切にしているんじゃないかなあ、ということです。
どのボランティアさんも、集団相手に読むときは、その人の考えで「これがいいかあれがいいか」と悩みます。Aさんの選んだ本がBさんにとって気に入らないことがあったとしても、Aさんが 子どもも本も大切に思っていて、Aさんの感性で選んでこられるのですから、他の人が批判できるものではありません。

 ものの好みは人それぞれ生きてきた道筋に深く影響されるものだと思います。好みとは別に「ものの良し悪し」があるという考えも分かりますが、良い物だけあれば済むというものではありません。「子ども時代は短いから良いものだけを」と思っていれば、そうでないものを排除していくことになります。「変なものを渡すわけにいかない」のでしょう。

ものそれぞれには、それぞれ生まれてきた必然があると思うのが私の考えです。生物多様性を引き合いに出すのは乱暴かもしれませんが、整っていなくてもきちんとしていなくても「こんな変なもの」が混じっていたとしても、それらはお互いに補い合い、豊かな環境を作っているのです。生き物が生きやすい環境です。変な本であっても「子どもと子どもの本を大切にしている」のですから、人間関係に上下を作らず、みんなで平らにやっていきたいと思っています。

昔話でもそうです。これは別のページに書くことにします



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