我が家には、娘のボーイフレンドがよく遊びに来た。それも、複数である。同じクラブの後輩やら先輩と一緒にやってきた。みな、親元を離れて、一人暮らしだった。そうなると、くいしんぼうスーちゃんは、俄然はりきる。晩御飯をふるまう。よくちゃんぽんを作っていた。なにぶん体育会系の学生たちである。野菜をたくさん食べてほしいと特盛ちゃんぽんだったそうな。さながらキャベツやら人参、もやしが危うげに高いピサの斜塔状態ではなかったか。
彼らがやってくると、急遽、鍼灸院の患者さんでもあった近くの製麺所にお願いして麺を分けていただく。海老や烏賊はこれまた5分ほど坂を下りたところにある市場へ買い物かごを下げて走る。スーちゃんの目に適う素材を使って作るちゃんぽんは、当たり前のようにおいしかった。狭い我が家は、たちまち学食状態となり、俄か息子たちがおいしそうに食べてくれる姿をスーちゃんは喜んで見ていた。
或る日、家に戻ると山のような大根やらきんちゃく、こんにゃくがうずたかく積まれている。聞けば、学園祭で販売するおでんを作ってほしいとお願いされたという。スーちゃんは、そもそもが無類の世話好き、お料理も好き。さらに、頑張っている学生さんたちが大好きだった。勉学にいそしむ学生たちの頼みとあらば、どんなに忙しくても断る理由はない。かくして、狭い家にいくつもの大鍋が運ばれ、昆布だしのふくよかな香りとともにかつての国立二期校だった工業大学のキャンパスへと運ばれていった。
「ものすごく売れました」。
いつもちゃんぽんをおいしそうに食べてくれていた学生さんの報告に胸をなでおろしながら、スーちゃんは幸福感を味わった。
得意なこと、好きなことで、人の役に立つ。笑ってもらい、喜んでもらえる。そんな幸福感だった。
あの時の学生さんたちは、いまや初老。それぞれに国内外で活躍し、パートナーやお子さんを得て、お孫さんがいる方もいる。スーちゃんの親切心や彼女が味わえた幸福感は、彼らのこころのどこか一部にでも住処を得ているだろうか。そして、次のひとにきちんと繋いでくれただろうか。
しかし、スーちゃん。さすがにお釈迦様の誕生日、花の日生まれ。親切心は大きくて、プライスレスであった。
きっと、マコちゃんというスポンサーが居たからできたことだ。