毎年、12月20日を過ぎると、我が家には、あちらこちらからクリスマスケーキがやってくる。1年間のお礼として、あるいは、おつきあいで患者さんが購入したと思われる箱、箱、箱。「お嬢さんにどうぞ」と、上に積みあがっていく。ペコちゃんが見える。ドイツ菓子、Mのマークも見える。特別感たっぷりの町のケーキ屋Sもある。
当のお嬢さんは、当時、それでなくても、「白ブタ」と呼ばれるほどふくよかだったので、とても食べきれない。もう一人娘はいるが、彼女とていくつも食べきれるものではない。しかし、容赦なく、集まるのである。
結局、ひとつだけいただいて、ご近所に配っていた。まだ購入していないという患者さんもおられて、患者さんから患者さんへと差し上げることも多々あった。さながら治療院がケーキ屋さんの店頭に出された簡易店舗のようだった。
振り返れば、コミュニティが生きていた。当たり前のように、助け合い、分かち合っていた。今は、都市部ではなかなか見ることができなくなった光景があった。
我が家には、「血のつながりはないのだけれど、親戚みたいなひとたち」というのがたくさん居た。O家の同じ年の少年、2つ年上のハンサムなお兄さん、I家のかしこいお兄ちゃん。いまだに関係性がよくわかっていないのだが、手放しに信頼し、なにかあれば役に立ちたいと思える親戚同様のひとがいた。血縁に依らず、自由に家を行き来して、助け合いながら日々を暮らしていたことが思い出される。
そういえば、マコちゃんは、クリスマスを「クルシミマス」と呼んでいたらしい。いろいろと出費が多かったのだろうか。スーちゃんにもボーナスを渡さなくてはならない。おせち料理を20軒分だか作るためには原資が必要、それは、マコちゃんのお財布であった。
娘ふたりもミッションの幼稚園に通っていたおかげで、サンタクロースの存在を信じているかのよう。プレゼントだけは当然のごとく、心待ちにした。
高く積まれたケーキタワーも、元をただせば、マコちゃんサンタのギフト(才能、才覚)へのお返しみたいなものであったろう。毎年、毎年、クリスマスケーキの箱でできたタワーは、けっこうな高さを誇っていた。
聖なる夜は、マコちゃん、毎年、大変だったが、実はケーキの高さがマコちゃんの評価だったりして。
いただいたケーキは、必要なひとつだけ我が家でいただき、また、だれか患者さんやらご近所さんへと手渡されるのであった。