新しい年が明けると、鍼灸院にはまた入れ代わり立ち代わり患者さんたちがやってくる。毎年、娘には、あっという間にお年玉のポチ袋が集まった。松が開ける頃、ふたりともちょっとした小金持ちになっていた。1960年代初頭で、ひとり10万円はたやすく超えていたので、かなり過分なものが集まっていたに違いない。
さて、ふたりの娘は、同じ金額のお年玉を手にしていた。或る日、娘の一人がボールを買いたいと言い出した。お金の管理や使いみちに対して、マコちゃんとスーちゃんは一切関知しなかったので、ふたりで買いに行く。ひとりの娘は、手元にあった金額をすべて使った。ずいぶんと立派なボールを購入した。それを観ていたもうひとりの娘もつられたのかボールを購入。しかし、彼女は、半分の価格のボールを買った。半分は、貯金しておこうと考えた。
ふたりともうれしくて、早速、持ち帰り、遊びにでかけた。
ところが、高価なボールを手にした娘は、その日にボールをなくした。
手元のお金を気持ちよく使い切り、最上のボールを購入した娘と半分とっておき質を抑えて良しとしたもうひとりの娘の判断の違いをおもしろく興味深く覚えている。
どちらがどうというお話ではないし、良し悪しを判断もしない。しかし、お金の使いみち、あるいは、お金をどう生かすのかという点を考えるには、良い教材になりそうだと受けとめた。
ひとつボールは残っていたため、遊ぶ分には困らなかったのだろうが、結局、上の娘のボールは出てこなかった。どこかよその子どもを楽しませてくれていれば、良いことにしよう。
しかし、ふと、気が付いた。上の娘のお金の使い方は、スーちゃんに似ている。あればあるだけ、使ってしまう。それでもなぜか困らない。
転じて、老後のお金の問題がよくメディアにとり上げられた時期があった。例の2000万円問題である。騒ぐだけ騒いで、無責任にも次の話題へ移っていく。あの問題、官公庁にしては、よく実態を把握したうえで試算していると感心をしていた。自分で食材を買い、料理をし、光熱費やら通信費やらを支払っていれば、将来の年金だけでは心もとないことは実感として持てる。
メディア関係者は、その大切な生活感覚を持って、アジェンダを設定しているのだろうか。
その先を考えることなくお金を使ってしまう娘と情報を消費して騒ぐだけのメディア関係者の在り方はよく似ている。
どちらも先を考えず、なぜか困っていない。