贅沢スーちゃんを戒める「おせち料理」ならず「おケチ料理」に、お支払い不要を意味する「猫の正月」など、マコちゃんの言動はいつもユーモアやウイットにあふれていたように思う。
家には、お手伝いさんがいて、掃除や洗濯はお任せしていたものの毎日の食事に関しては、スーちゃん、仕事の合間をぬって、よく台所に立っていた。おやつの時間には、ドーナツを作って揚げてくれたものである。香ばしい香りに誘われて、揚げたてをいただこうと、フライパンの横で待っていた記憶がある。そんなスーちゃんだから、時々、めいっぱいになってしまい、ヒステリーを起こしていた。本人が混乱しているため、何を言っても無駄だということを家族はよく知っていた。
そのため、ヒステリックになると、娘とマコちゃんは、「さて、退散しよ」とその場を離れるか、散歩に出かけたものである。頃合いをみて、家に戻る。たいていは落ち着いて、なんなく普段通りの会話ができるのだが、時に、いまだ興奮冷めやらず、の状態だったりもした。そういう時は、もう一度、退散していた。
時に、スーちゃんは、マコちゃんに直接訴える。ヒステリックにだ。
「お父さんは、何も家のことをしない!わたしがこんなに忙しくしているのに!右のものを左にも動かさない!」
スーちゃんの興奮は、治まらない。よく通る声で叫ぶ。
緊迫した空気があたりを包む。
さて、マコちゃんはどうしたか。炬燵に座って、テレビを観ていたマコちゃん。炬燵の上にあった新聞紙をポンと動かした。右から左に。そして、ニッコリ笑った。
虚をつかれて、怒りの行き場を失ったスーちゃん、たまらなくなって、大笑い。そこに居た家族も大笑いし、スーちゃんのヒステリーは消え、瞬く間に笑顔に変わった。
マコちゃんのユーモアあふれる言動は、スーちゃんのみならず、家族全員を笑顔にして、感情の爆発という幾多の危機を救っていたのであった。
上の娘は言う。
「毎日、おもしろくて、笑うことがあって、こんな楽しい日が続いてほしいと思っていた。明日も今日みたいに楽しいだろうかと不安に思えてしまったことも。笑うよね。幸せだったわ」。
幸せは、ひとのこころが作る。そして、どうやら、それは笑いと相関がありそうな気がしている。
このユーモアとウイットの精神とボキャブラリーは、上の娘がしっかりとマコちゃんから受け継いでいる。残念ながら、ご主人が真面目すぎて、家庭内では活躍の場がないようだが。