「おはようございます、マリアさま」。
園児たちは、毎朝門をくぐると、まず、マリア像にご挨拶をする。
娘ふたりが通った聖ヨゼフ幼稚園は、小高い丘の上にあり、修道院と教会、そして老人ホームが併設されていた。青銅色の門を開くと、すぐ正面の石でできた祠の中にマリア像があり、左右になだらかな坂道が続いていた。左に上ると、教会があり、奥に幼稚園があった。右を行くと、白く瀟洒な木づくりの洋館があり、そこがシスターたちの住まいだった。印象派の絵画のように美しいところであった。休日には、礼拝を含む日曜学校へと通ったものである。
或る日、娘は、同じ幼稚園の子どもが洋館に吸い込まれていく姿を目にする。街ではほとんど見かけることのない建物であり、興味津々である。どうしたらこの美しい洋館に入れるのだろう?幼稚園の先生に尋ねると、英語教室が開かれているという。娘は、どうしても洋館に入りたい。
そこで、マコちゃんに教室に通いたいと訴えた。
「英語?そんなん、できるとね?」
そう言いながらも、マコちゃんはすぐに「行きなさい」と答え、ほどなくして娘は、英語教室へ通うこととなった。昭和35年(1960年)、娘、5歳であった。
シスターたちが教師だった。彼女たちは、日本語はほとんど話せなかった記憶があり、子どもたちに英語で語り掛け、ジェスチャーを駆使しながらコミュニケーションをとっていた。
娘は、シスターに英語で話しかけられ、その時の英語の響きと不思議な音の余韻に魅せられて、その後、英語学科へ進み、終生、学び続けることとなる。かつて、幼いころに科学に触れた子どもは、理系へと進む比率が高いとの調査結果があったが、彼女の場合も同じようなものである。
マコちゃんもスーちゃんも新しいことに躊躇なくチャレンジさせてくれた。習字、英語、そろばん、絵画…。娘たちが興味を持ち、自分からやりたいと言い出したことは何でもさせてくれた。バレーやピアノ、優雅な印象を持つ世界で自ら楽しみ、演奏することには、トンと縁がなかった。高校生になったときに娘は、バレーや音楽鑑賞を楽しいと思うことはあっても、どうしてこうも実利的な習い事しかしなかったのだろうかと自覚し、すこしばかり悔いた記憶がある。しかし、これ、そもそも自分自身が興味を持たなかっただけの話である。マコちゃん、スーちゃんは、なんの教室でも娘たちが望めば、おもしろがって行かせてくれたわけだから。