梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

原稿訂正しました

2021-12-07 08:17:25 | 読んでくださる方へのお知らせ

12/7(火)にアップしたエッセイ「どこかしら謙虚な母、スーちゃん」

原稿の一部に誤りがありました。上の娘が書道を始めた年齢を3歳と記憶していましたが、

本人より6歳との連絡が入りました。読んでくださる方には、謹んでお詫びするとともに

原稿を訂正いたしました。

 


どこかしら謙虚な母、スーちゃん。

2021-12-07 06:06:01 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

父であるマコちゃんの影響だろうか。父と娘がお互いに「なぜ?」を問いあい、応えあうような会話をしていたなかで、スーちゃんもまた娘の問いかけをすべて受けとめていた。

 

「白組の村田英雄と紅組の美空ひばりは、どっちが偉いの?」

 

大みそかの夜、家族でTVの前に集まり、紅白歌合戦に見入っていた。トリを飾る出演者が出てきたその時、上の娘は問いを言葉にした。答えようのないおまぬけ質問である。番組は、ほぼクライマックス。華やかな歌手たちが出そろうその瞬間に水を差す。娘は10歳、1965年の紅白の平均視聴率は、78.1%。日本中のTVの前で多くのひとが、NHKにチャンネルを合わせていた時代である。

 

「何、ばかなことを言ってるの!」

 

一喝されると思いきや、スーちゃんは、まじめに答えようとした。

 

「うーん、どっちが偉いとかじゃなくてね、、」

 

おかげで村田英雄さんの歌は半分しか耳に入ってこなかった。

 

マコちゃん同様、スーちゃんもまた、娘たちが発するどんな質問も、なおざりにすることはなかった。どんなことも会話になってしまう。我が家は、話題に事欠かなかった。

 

スーちゃんが80歳を超えたころ、歩きながらこう言った。

 

「あなたたちの方が、学校へ行ったり、遊びに行って、外に出かけていくから、たくさん新しいことを知っていたよねぇ。教えてもらうことも多かったんよ」

 

朝から晩まで患者さんに接し、治療室で過ごすことの多かったスーちゃんだから、自由に動き回る娘たちに対して、どこかしら謙虚さを持っていたのだろうか。年の差、30年以上である。まして、自身の娘たちであった。

 

普段は、頭の回転が速い元気な母であり、しつけに厳しいひとであった。6歳から習字を始めた娘たちに、スーちゃんは付き添った。その時間だけ、必ず、教室に一緒に出掛け、横に座り、二人の娘の間で黙々と墨をすっていた。どちらかひとりの娘が、耐えかねて正座を解こうものなら容赦なく手が飛んできた。そのかいあってか、後にひとりの娘は、幾多の賞を総なめにするほど腕を上げ、書道家の道を歩むこととなる。

 

娘とともに学ぶ、娘からも学ぶ。スーちゃんには、そんな気持ちが強かったのかもしれない。

 

ちなみに下の娘は、この厳しいスーちゃんからいかに逃げ出すかを画策し、習字を辞めて、そろばんを習いたいと申し出た。一人楽しくそろばん教室へ通い始めるのであった。スーちゃん脱出計画は成功し、その代わり、今も字が下手くそである。