梅日和 umebiyori

心が動くとき、言葉にします。テーマは、多岐にわたります。

さて、ーエッセイについてー

2021-12-20 05:37:27 | 読んでくださる方へのお知らせ

「おや、おや。ー北九州物語―」をお読みいただき、ありがとうございます。

このエッセイは、勝手ながら、クリスマスをひとつめのゴールにします。

かつて、広告代理店勤務時代の上司に「君の親、そして家庭はおもしろいからいつか文章にするといい」と言われて、はや、30年。その時は、「そのうち、そのうち」「書きます、書きます」といずれも言葉を繰り返し、なま返事をしていました。

別のタイトルで、3年ほど前から少しずつ書き始めてはいたものの、ぐずぐずしていました。コロナ禍で外出を控える暮らしの中で、ようやく、まとめてみようと腰を上げ、1日1000文字エッセイを始めました。昔、コピーライターをしていましたので、久しぶりに自由に楽しく書かせていただきました。

今週末は、クリスマス。この日だけは、たった一人のひとのためにエッセイを書こうと思っています。しかし、一人に向けて書くものの、これまでどおり、この場を訪れてくださる方にも読んでいただけて、楽しんでいただけることを願います。

筆者は、40歳を過ぎてからは、高等教育機関とのご縁をいただき、さまざまな教育に関する課題をともに考え、解を求めるお仕事をご一緒させていただきました。その中で、昨今の短大生、大学生たちを取り巻く状況や保護者の方々のことをわずかながら知ることで、親の在り方が問われているように思える機会がたくさんありました。その問いへの解を求めるヒントとして、我が両親の姿があります。このエッセイによって、30年の時を経て、あの時、上司と交わしたやわらかな約束を果たせたようにも思えています。

クリスマスを最後に、「おや、おや。ー北九州物語―」はお休みをいただいて、年明けに別のテーマでブログ自体を再開します。しばらくは、雑文になろうと思います。ひとつ、ふたつ、時間をかけて取り組みたいテーマもあります。そのあたりは、また、折に触れお話しさせていただきたく思っています。

本エッセイを読んでくださって、ありがとうございます。

クリスマスまで、お付き合いくださいますように。

お願いいたします。

 


スーちゃんの不満。

2021-12-19 05:10:59 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

「老人を馬鹿にしとう」

マコちゃんを泣く泣く送り出し、ひとりになったスーちゃんは、娘の勧めもあってか、デイサービスへ通い始めた。しかし、ご不満である。

カラオケに、体操に、おやつ。幼稚園のようなところだと、本人は気に入らない。政治談議をしようにも相手がいない。スタッフには幼児語で話しかけられる。スーちゃんの自尊心は深く傷ついた。なにせ、吉川英治が好きだったというスーちゃんだ。平家物語に、三国志。雄大なテーマで繰り広げられる大衆文学の世界が大好きだった。若いころは、選挙の応援演説にも駆り出された。

スーちゃんの軌跡を勘案せずに画一的な<お子さま預かり所>然とするセンターのありようを腹立たしく思っていたが、唯一、スーちゃんにはそこに通う理由があった。

お風呂である。

スーちゃんは、言う。「お風呂場で亡くなる人が多いから、一人の家でお風呂に入るのが怖い。もし、亡くなったら恥ずかしい」

「亡くなった本人に、恥ずかしいもなにもないんじゃないの?」そう突っ込みたいところだが、スーちゃんはどうにもこの1点にこだわった。スタッフの気配を感じながら、なにかあればすぐにひとを呼べるという安心感の中で入らせてもらえる。入浴できるからこそ、お迎えの車に乗っていた。

さて、スーちゃんは、完全ではないにせよ、不満解消方法を考えた。考えて、

おやつを食べるのではなく、作る側に回ることにした。もちろんスタッフのお手伝いだろうが、世話好きスーちゃんだから少しは気もまぎれる。

スーちゃんを見ていて、思った。ケアのありようが、パターン化していないか。弱者のケアという前提にのみ立っていないか?むしろ、先人のケア、人生の先輩のサポートという視点が重要に思えるが、現場は対応できていない可能性はないだろうか。個々のひとに眼を向けて、いくつかのセグメンテーションをおこなったうえで提供プログラムを考える必要がありそうだ。人間、そして歩んできた人生というものをどのようにとらえるのか。介護を事業として展開する側の<人間観>が問われていると思える。ポジティブ、スーちゃんの不満には一理ある。次は、わが身と思えば、なおさら幼稚園には通いたくない。まして、おばあちゃんやらおじいちゃんなどという一般名称で呼ばれたくないと思うのである。唯一無二の個々人が薄れて消えてしまうような気がするのは筆者だけだろうか。

先輩方は、みなさん、よく我慢しておられる。


お年玉長者のお金感覚。

2021-12-18 05:01:56 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

新しい年が明けると、鍼灸院にはまた入れ代わり立ち代わり患者さんたちがやってくる。毎年、娘には、あっという間にお年玉のポチ袋が集まった。松が開ける頃、ふたりともちょっとした小金持ちになっていた。1960年代初頭で、ひとり10万円はたやすく超えていたので、かなり過分なものが集まっていたに違いない。

さて、ふたりの娘は、同じ金額のお年玉を手にしていた。或る日、娘の一人がボールを買いたいと言い出した。お金の管理や使いみちに対して、マコちゃんとスーちゃんは一切関知しなかったので、ふたりで買いに行く。ひとりの娘は、手元にあった金額をすべて使った。ずいぶんと立派なボールを購入した。それを観ていたもうひとりの娘もつられたのかボールを購入。しかし、彼女は、半分の価格のボールを買った。半分は、貯金しておこうと考えた。

ふたりともうれしくて、早速、持ち帰り、遊びにでかけた。

ところが、高価なボールを手にした娘は、その日にボールをなくした。

手元のお金を気持ちよく使い切り、最上のボールを購入した娘と半分とっておき質を抑えて良しとしたもうひとりの娘の判断の違いをおもしろく興味深く覚えている。

どちらがどうというお話ではないし、良し悪しを判断もしない。しかし、お金の使いみち、あるいは、お金をどう生かすのかという点を考えるには、良い教材になりそうだと受けとめた。

ひとつボールは残っていたため、遊ぶ分には困らなかったのだろうが、結局、上の娘のボールは出てこなかった。どこかよその子どもを楽しませてくれていれば、良いことにしよう。

しかし、ふと、気が付いた。上の娘のお金の使い方は、スーちゃんに似ている。あればあるだけ、使ってしまう。それでもなぜか困らない。

転じて、老後のお金の問題がよくメディアにとり上げられた時期があった。例の2000万円問題である。騒ぐだけ騒いで、無責任にも次の話題へ移っていく。あの問題、官公庁にしては、よく実態を把握したうえで試算していると感心をしていた。自分で食材を買い、料理をし、光熱費やら通信費やらを支払っていれば、将来の年金だけでは心もとないことは実感として持てる。

メディア関係者は、その大切な生活感覚を持って、アジェンダを設定しているのだろうか。

その先を考えることなくお金を使ってしまう娘と情報を消費して騒ぐだけのメディア関係者の在り方はよく似ている。

どちらも先を考えず、なぜか困っていない。


クリスマスケーキタワー!

2021-12-17 06:01:27 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

毎年、12月20日を過ぎると、我が家には、あちらこちらからクリスマスケーキがやってくる。1年間のお礼として、あるいは、おつきあいで患者さんが購入したと思われる箱、箱、箱。「お嬢さんにどうぞ」と、上に積みあがっていく。ペコちゃんが見える。ドイツ菓子、Mのマークも見える。特別感たっぷりの町のケーキ屋Sもある。

当のお嬢さんは、当時、それでなくても、「白ブタ」と呼ばれるほどふくよかだったので、とても食べきれない。もう一人娘はいるが、彼女とていくつも食べきれるものではない。しかし、容赦なく、集まるのである。

結局、ひとつだけいただいて、ご近所に配っていた。まだ購入していないという患者さんもおられて、患者さんから患者さんへと差し上げることも多々あった。さながら治療院がケーキ屋さんの店頭に出された簡易店舗のようだった。

振り返れば、コミュニティが生きていた。当たり前のように、助け合い、分かち合っていた。今は、都市部ではなかなか見ることができなくなった光景があった。

我が家には、「血のつながりはないのだけれど、親戚みたいなひとたち」というのがたくさん居た。O家の同じ年の少年、2つ年上のハンサムなお兄さん、I家のかしこいお兄ちゃん。いまだに関係性がよくわかっていないのだが、手放しに信頼し、なにかあれば役に立ちたいと思える親戚同様のひとがいた。血縁に依らず、自由に家を行き来して、助け合いながら日々を暮らしていたことが思い出される。

そういえば、マコちゃんは、クリスマスを「クルシミマス」と呼んでいたらしい。いろいろと出費が多かったのだろうか。スーちゃんにもボーナスを渡さなくてはならない。おせち料理を20軒分だか作るためには原資が必要、それは、マコちゃんのお財布であった。

娘ふたりもミッションの幼稚園に通っていたおかげで、サンタクロースの存在を信じているかのよう。プレゼントだけは当然のごとく、心待ちにした。

高く積まれたケーキタワーも、元をただせば、マコちゃんサンタのギフト(才能、才覚)へのお返しみたいなものであったろう。毎年、毎年、クリスマスケーキの箱でできたタワーは、けっこうな高さを誇っていた。

聖なる夜は、マコちゃん、毎年、大変だったが、実はケーキの高さがマコちゃんの評価だったりして。

いただいたケーキは、必要なひとつだけ我が家でいただき、また、だれか患者さんやらご近所さんへと手渡されるのであった。


子どもが大好き

2021-12-16 05:38:20 | エッセイ おや、おや。ー北九州物語ー

マコちゃん、とても子ども好きだった。どうやら子どもの方もそれがわかるらしい。たくさんの子どもたちがマコちゃんになついていた。

上の娘は、小さなころ、マコちゃんの膝の上にのって、よく一緒にテレビを観ていた。1959年から1966年まで放映された西部劇シリーズに米CBSのドラマ「ローハイド」がある。ふたりのお気に入りであった。娘は、修道院で英語を習っていたこともあり、すぐに歌詞を覚えた。マコちゃんの膝の上で歌っていると、からだでリズムをとりながら、必ず褒めてくれて嬉しかったと、いまだに覚えている。

下の娘は、自転車に乗れるように近くの公園に一緒に行ってもらい、後ろから支えてもらったことを覚えている。何度も何度も支えてもらった。結局、運動神経が壊滅的にダメで本人が諦めた。諦めるまで、付き合ってくれた。

また、鍼灸院があった北九州は、企業城下町であり、製鉄の町でもあった。街では、毎年、起業祭という大きなイベントが開かれていた。官営八幡製鐵所が、高炉に火を入れ、作業を開始した11月18日を中心に、その前後あわせて3日間がお祭り期間である。その間は、工場の一部を開放し、街中にたくさんの屋台が出て、コンサートや芝居、踊りなどでにぎわった。毎年、必ず、マコちゃんはそのお祭りのメイン会場に連れて行ってくれた。或る日、屋台で大きな綿菓子を買ってもらい、路面電車で家路についたことがある。大変な混雑で、電車を降りた時には、綿菓子はひとびとに押され、シュリンクして小さなトピアリーと化していた。マコちゃんにしきりにクレームを言って、笑われたものである。

孫たちは、孫たちで、なついた。3人くらいの孫が一堂にマコちゃんの背中に乗って、はしゃいでいる写真が残っている。いつまでも、いつまでも、はしゃいでいた。そのなかのひとり、マコちゃんが大好きだった孫は、マコちゃんの見えない眼の代わりになって、いつも一緒にバスに乗り、釣具店に付き合っていた。バスの中、行先を表示する一番大きな文字を読むためだ。

その孫もいまや父となり、釣りの腕前はプロ級である。孫たちは、ひとりずつマコちゃんの手の中で笑いながら抱かれている写真もたくさん残っていた。どの笑顔も幸せそうである。ひ孫ふたりも近所に住んでいた時分には、マコちゃんの自宅によく遊びに来ていたという。

マコちゃん、子どもという不完全でピュアな存在をひきつける何かを持っていた。