1977年にオランダに初めて来て以来、弊ブログ・1983年オランダ・ドイツ車の旅、 1991年オランダ・ベルギーの旅 その1に書いたように、オランダでよく来たところは、南部のマーストリヒトという古い町です。
三銃士のダルタニアンが亡くなった町でもあり, 戦時中、レンブラントの名画「夜警」がドイツの空襲をさけて避難していた町でもあります。
曲がりくねって流れるマース川に沿ってベルギーとの国境に接するマーストリヒト(Maastricht=マース川を渡るという意味)は、紀元前50年頃のローマ時代まで遡ります。
聖セルファ-ス橋(St.Servaasbrug)は13世紀に作られたオランダ最古の橋の1つ。この橋には信号が着いていて、タンカーの様な大きい船が通る時に、橋が競り上がる様になっています。
聖セルファ-ス橋
1229年に町の周囲に最初の市壁が築かれ, 16世紀までに3回に渡って建造された城壁が旧市街の南に部分的に残っている。
城壁の東端には、地獄門があり、この門は、現存するオランダ最古の市門で、1229年に建造されたものです。18世紀ペストが流行した時、患者達は地獄門を通ってペストハウスに隔離された。ほとんどの患者が生きて戻って来られなかったことから、「地獄門」と呼ばれ 恐れられていたそうです。
地獄門
マーストリヒトはリンブルグ州(Limburg)の州都であるが、隣接するドイツ、ベルギーの街や村とはかっては同じ文化・経済圏であったので、つながりが強い。
オランダにとってのマーストリヒトは、イタリアにとってのフィレンツェと似ている。
千以上のモニュメントに歴史が刻まれ、雰囲気のある城壁に囲まれた旧市街地は、市によりこれらが頑固に守られている一方、石畳の路地には高級ブランド店などが建ち並び、最高のショッピングが楽しめ、また、ユニークなアトラクションがあり、料理も楽しめます。
料理はオランダ随一です。なにしろ郊外には料理学校が沢山あり、卒業生がレストランを開き、これらのレストランは、オランダの町の中でミシュランの星が一番多いのです。
荘厳な教会、古代の公共建造物、石の城壁や市壁、多数の歴史的な家々など、マーストリヒトはきわめて豊かな建築遺産に恵まれ、沢山のものがローマ時代の名残をとどめています。もちろん、町中には溌剌とした市民の生活が感じられます。
Onze Lieve Vrouwebasiliek(聖母マリア教会)前のテラスレストラン
聖セルファース教会
Vrijhhof (聖セルファース教会前広場)
夏場のVrijhhof(聖セルファース教会前広場)前のレストラン
この歴史と民族の融合が、今日のマーストリヒトの町の個性を決定づけています。旅行者が引きつけられるのはこのユニークな遺産のためにほかなりません。
1991年以来、マーストリヒトは一躍有名になりました。オランダが議長国となり1991年12月9、10日にマーストリヒトで開催されたヨーロッパ評議会の首脳会議席で、マーストリヒト条約が締結されました。これによって、欧州連合(EUー政治、経済、通貨の統合)の基礎が築かれました。
Limburg州庁舎、手前はJ.F.Kennedybrug(J.F.アケネディ橋)
マースプント塔から見た市街
マースプント塔、
参考: 聖セルファ-ス橋、聖セルファース教会の衛星写真がGOOGLE MAPSで見れます
St.Servaasbrug Bridge:Pointer 50°50'58.27", 5°41'45.04"
St.Servaasbasilliek :Pointer 50°50'55.86", 5°41'14.04"
<追記>
後日、Maastricht市内について、詳しく、紹介しましょう。乞う、ご期待!!
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