勘太郎爺奮闘記

滞在合計26ケ国、21年の海外生活が終りました
振り返りながら 日々の生活も綴ります

2001年~2007年オランダの旅その5 マーストリヒト

2018-03-26 | 風景・地形2

1977年にオランダに初めて来て以来、弊ブログ・1983年オランダ・ドイツ車の旅 1991年オランダ・ベルギーの旅 その1に書いたように、オランダでよく来たところは、南部のマーストリヒトという古い町です。

三銃士のダルタニアンが亡くなった町でもあり, 戦時中、レンブラントの名画「夜警」がドイツの空襲をさけて避難していた町でもあります。

曲がりくねって流れるマース川に沿ってベルギーとの国境に接するマーストリヒト(Maastricht=マース川を渡るという意味)は、紀元前50年頃のローマ時代まで遡ります。

聖セルファ-ス橋(St.Servaasbrug)は13世紀に作られたオランダ最古の橋の1つ。この橋には信号が着いていて、タンカーの様な大きい船が通る時に、橋が競り上がる様になっています。

聖セルファ-ス橋

 

1229年に町の周囲に最初の市壁が築かれ, 16世紀までに3回に渡って建造された城壁が旧市街の南に部分的に残っている。

城壁の東端には、地獄門があり、この門は、現存するオランダ最古の市門で、1229年に建造されたものです。18世紀ペストが流行した時、患者達は地獄門を通ってペストハウスに隔離された。ほとんどの患者が生きて戻って来られなかったことから、「地獄門」と呼ばれ 恐れられていたそうです。

地獄門

 

 

マーストリヒトはリンブルグ州(Limburg)の州都であるが、隣接するドイツ、ベルギーの街や村とはかっては同じ文化・経済圏であったので、つながりが強い。

オランダにとってのマーストリヒトは、イタリアにとってのフィレンツェと似ている。

千以上のモニュメントに歴史が刻まれ、雰囲気のある城壁に囲まれた旧市街地は、市によりこれらが頑固に守られている一方、石畳の路地には高級ブランド店などが建ち並び、最高のショッピングが楽しめ、また、ユニークなアトラクションがあり、料理も楽しめます。

 

料理はオランダ随一です。なにしろ郊外には料理学校が沢山あり、卒業生がレストランを開き、これらのレストランは、オランダの町の中でミシュランの星が一番多いのです。

 

荘厳な教会、古代の公共建造物、石の城壁や市壁、多数の歴史的な家々など、マーストリヒトはきわめて豊かな建築遺産に恵まれ、沢山のものがローマ時代の名残をとどめています。もちろん、町中には溌剌とした市民の生活が感じられます。

Onze Lieve Vrouwebasiliek(聖母マリア教会)前のテラスレストラン

 

 

 

聖セルファース教会 

 

  Vrijhhof (聖セルファース教会前広場)

 

 

 

夏場のVrijhhof(聖セルファース教会前広場)前のレストラン

 

 

この歴史と民族の融合が、今日のマーストリヒトの町の個性を決定づけています。旅行者が引きつけられるのはこのユニークな遺産のためにほかなりません。

 

1991年以来、マーストリヒトは一躍有名になりました。オランダが議長国となり1991年12月9、10日にマーストリヒトで開催されたヨーロッパ評議会の首脳会議席で、マーストリヒト条約が締結されました。これによって、欧州連合(EUー政治、経済、通貨の統合)の基礎が築かれました。

Limburg州庁舎、手前はJ.F.Kennedybrug(J.F.アケネディ橋)

 

 

マースプント塔から見た市街

 

マースプント塔、

 

 

 

参考: 聖セルファ-ス橋、聖セルファース教会の衛星写真がGOOGLE MAPSで見れます

St.Servaasbrug Bridge:Pointer  50°50'58.27", 5°41'45.04"

St.Servaasbasilliek :Pointer 50°50'55.86", 5°41'14.04"

 

 

 

<追記>

後日、Maastricht市内について、詳しく、紹介しましょう。乞う、ご期待!!

 

 

トップへ戻る(全体表示)

 


ランキングに参加中。クリックして応援をお願いします。

にほんブログ村 写真ブログ 写真日記へにほんブログ村



最新の画像もっと見る

コメントを投稿