中高生の頃、ベトナム反戦の集会やデモでよく歌った「風に吹かれて」を思い出す。反体制のベトナム反戦運動が最高潮だった時、その象徴的存在のボブディランがノーベル文学賞を受けるなんて…半世紀経つと価値観はコペルニクス的転回するんだなあ〜
中高生の頃、ベトナム反戦の集会やデモでよく歌った「風に吹かれて」を思い出す。反体制のベトナム反戦運動が最高潮だった時、その象徴的存在のボブディランがノーベル文学賞を受けるなんて…半世紀経つと価値観はコペルニクス的転回するんだなあ〜
リオの人たちに感謝だ。彼らの生活を踏みにじるような大会を無理強いした上に、事前には散々と文句を垂れていた私たちだ。しかるに、彼らは精一杯の人権尊重の「おもてなし」をしてくれた。
大会がいざ始まってみれば、どこか手作りの温かさが伝わって来た。確かに、いろいろと運営上の手違いはあったにせよ、特にボランティアの人々が必死に動こうとしてくれた姿は、何物にも代え難いものだった。参加選手もそんなリオの温かさに感化されてか、明るい本来のオリンピックを楽しんでいたような表情を示していた。普段からリオの人々が何を大切にして暮らしているかがよく分かる。
しかし、これとは真逆に、閉会式における日本プログラムのあまりにも完璧な運営は、4年後に東京に足を踏み入れる期待感よりも、不安感を強めたのではないだろうか。安倍首相まで登場した周到な演出に、リオの人々の人間の温もりをあざ笑うかのような冷たさを感じたのは、私がひねくれ者だからか?
相も変わらず、一部の参加国指導者や視聴率絶対主義のマスコミがメダルの数ばかりにこだわる姿が、下劣で恥ずかしい態度であることは言を待たない。これを外国メディアがそれとなく皮肉っていることも、為政者は気付かないだろうなw
加えて、日本の選手が判で押したように“口先”感謝の言葉を述べざるを得ない大人の事情も、理解するにしても、本当にメダルを獲得することが日本に奉仕すると考えているとすると、これはこれで怖ろしい。
http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160822-00000047-asahi-spo
【閉会式で次回開始東京へと引き継ぐのは…スポーツではなく、政治 !?】
今までオリンピック閉会式で次回開催都市に引き継ぐのは、その国を代表するようなスポーツ関係者だったので、長島かイチローかと予想していたら…安倍氏!
思わず、オリンピック開催の本音が出てしまったようで、さすがにこの場違いなパフォーマンスにネトウヨたちも苦笑いしていたw
昨日、我が24期ラグビー部は、OB会主催の還暦ラグビーマッチに参加。
相手は、同世代とはいえ現在も活動している中部電力ラグビー部。県大会優勝の我々としても、さすがに数十年振りのスクラムでは、結果は明らかだ(旭丘1トライvs中電4トライ)。しかし、加藤隆平君の幻のトライが物語るように、気分は半世紀前の高校生。怪我することなど恐れていてはラグビーではない(但し、数名が負傷。各職務に影響が出なければいいが)。
試合後は、贅を極めた中電グランドのクラブハウスで、主役の還暦フィフティーン一人一人がスピーチの機会を与えられ、私も一言。皆、それぞれにラグビーの神様に感謝していたのでは、と勝手に解釈。顧問の浅井先生の言葉も頂いて、楽しく会食。どこぞから現れた綺麗どころにも、早速数名がアタック?!
そして、舘君の粋な計らいにより、旭丘フィフティーンは中電御用達のナゴヤドーム・プレミアムルームで中日対西武戦を観戦しながらの会食。備え付けのテレビで、ドーム中継、サッカーJ1リーグ中継、そして大相撲の白鳳対稀勢の里。「こんな贅沢はもう一生できんだろうな…」という訳で、皆写真を撮りまくる。