晴旅雨旅

爺の前に道は無し。爺の後にも道は消えかけて…枯れた中年爺の独り言

ボブ・ディランにノーベル文学賞 音楽家・作詞家

2016-10-13 20:52:45 | 日記
「ベトナム反戦といえばまずディランだった」
中高生の頃、ベトナム反戦の集会やデモでよく歌った「風に吹かれて」を思い出す。反体制のベトナム反戦運動が最高潮だった時、その象徴的存在のボブディランがノーベル文学賞を受けるなんて…半世紀経つと価値観はコペルニクス的転回するんだなあ〜

我が家から青空高く偲ぶ日々

2016-10-13 10:58:40 | 日記
自宅を一歩出たら、空の高さに思わずiPhoneでカシャ!今年も秋が名古屋の街中にもやって来ました。
同時に、改めて気付いたのが、外壁の汚れです。我が家(竹山秋英建築設計事務所)も築15年、そろそろ色々なところに不具合が生じてきました。

この我が家を建てた頃、当時まだ私も40歳代であり、娘たちも中高生となっていたので手がかからず、体力も意欲も満々でした。夏はトライアスロン、冬はスノーボード、夏・冬・春休みはバックパッカーとして世界中をぶらぶら散策するなど、まさしく贅沢な人生を謳歌していました。その頃、世の中はバブル崩壊後の建設不況の真っ只中、注文住宅建設は驚くほど安くできました(大手住宅メーカーとほぼ同額!)。

父親の仕事の所為で、幼い頃から賃貸の集合住宅暮らしが長かった自分にとって、戸建て、それも既製のものではない住処は夢でした。そんな日々の中、バブルで住んでいたマンションが高く売れるなど幸運に恵まれ、3世帯同居の注文住宅を建てることになりました。注文住宅の雑誌を手当たり次第に見たり、知り合いを通じて複数の建築家や設計士の案を検討したりしていましたが、いま一つ納得できないままに時間が過ぎて行きました。
ある日、雑誌の中にかなり斬新な設計の家を発見、その建築家の事務所が名古屋市内にあったので、そのまま本屋から直行しました。その日のうちに予定敷地までおいでくださり、数日後、幾つかの案を示してくださいました。私が一番好きな案を指差すと、先生はニッコリして、「その案は私自身が考えました。他のは別人のものです」。

かくして”お見合い”が目出度く成就し、さあ、いよいよだ!と思ったのですが、それからが大変でした。施工業者を複数社で入札することから始まり、事前はもちろん、建設最中も毎月三者会議(施主の私、建築家、施工業者)を開き細部まで検討・話し合いを繰り返すなど、結局トータル1年半以上かかりました。でも、会議に出て来るのは若い人たちで、いつもみんなでわいわいと建築談義に花を咲かせたり食事を共にしたりして、一つの作品を文字通り「こつこつと積み上げるように」作っていきました。

みんなの思いが力になったのでしょうか。おかげで2001年11月に入居でき、思わぬ「中部建築賞(住宅部門)」の栄誉も授かりました。竹山先生にとっては2作目の受賞作品でした。

注文住宅は色々と住むには不自由な面もあります。何よりすべてが独自のものですから、修理保善に思わぬ費用がかかったり、業者さんの手配が遅れることもままあります。夏暑く冬涼しい!といった四季も、家の中で味わえます(笑)
しかし、お金をポンと出して、さあ、作れ!といった姿勢・態度では生きた家は完成しません。あの頃、みんなで知恵を絞り、力を合わせて家を作った実感が、其処に関わってくれた人々の表情と共に今でも浮かんできます。

「人権配慮」がオリンピック本来の意義を回復させた

2016-08-23 01:12:58 | 日記

【前評判は最悪だったが、終わってみれば、人権に最大限配慮した心温まる大会だった】

リオの人たちに感謝だ。彼らの生活を踏みにじるような大会を無理強いした上に、事前には散々と文句を垂れていた私たちだ。しかるに、彼らは精一杯の人権尊重の「おもてなし」をしてくれた。

大会がいざ始まってみれば、どこか手作りの温かさが伝わって来た。確かに、いろいろと運営上の手違いはあったにせよ、特にボランティアの人々が必死に動こうとしてくれた姿は、何物にも代え難いものだった。参加選手もそんなリオの温かさに感化されてか、明るい本来のオリンピックを楽しんでいたような表情を示していた。普段からリオの人々が何を大切にして暮らしているかがよく分かる。

しかし、これとは真逆に、閉会式における日本プログラムのあまりにも完璧な運営は、4年後に東京に足を踏み入れる期待感よりも、不安感を強めたのではないだろうか。安倍首相まで登場した周到な演出に、リオの人々の人間の温もりをあざ笑うかのような冷たさを感じたのは、私がひねくれ者だからか?

相も変わらず、一部の参加国指導者や視聴率絶対主義のマスコミがメダルの数ばかりにこだわる姿が、下劣で恥ずかしい態度であることは言を待たない。これを外国メディアがそれとなく皮肉っていることも、為政者は気付かないだろうなw

加えて、日本の選手が判で押したように“口先”感謝の言葉を述べざるを得ない大人の事情も、理解するにしても、本当にメダルを獲得することが日本に奉仕すると考えているとすると、これはこれで怖ろしい。

「私はLGBT」表明した出場選手が史上最多 リオ五輪

http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160822-00000047-asahi-spo


リオ五輪閉会式>ロンドンではベッカム、リオはペレ、東京は…安倍首相!?

2016-08-22 15:14:35 | 日記

【閉会式で次回開始東京へと引き継ぐのは…スポーツではなく、政治 !?】
今までオリンピック閉会式で次回開催都市に引き継ぐのは、その国を代表するようなスポーツ関係者だったので、長島かイチローかと予想していたら…安倍氏!
思わず、オリンピック開催の本音が出てしまったようで、さすがにこの場違いなパフォーマンスにネトウヨたちも苦笑いしていたw

(以下はスポーツニッポンの記事より) 
 
安倍首相登場に違和感「主役は選手。首相は出てくるべきではなかった」
SPONICHI.CO.JP|作成: 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部
 
 

爺さんたち、走る!(旭丘24期還暦ラグビー半分参加記)

2013-05-26 22:26:20 | 日記

 昨日、我が24期ラグビー部は、OB会主催の還暦ラグビーマッチに参加。  

 相手は、同世代とはいえ現在も活動している中部電力ラグビー部。県大会優勝の我々としても、さすがに数十年振りのスクラムでは、結果は明らかだ(旭丘1トライvs中電4トライ)。しかし、加藤隆平君の幻のトライが物語るように、気分は半世紀前の高校生。怪我することなど恐れていてはラグビーではない(但し、数名が負傷。各職務に影響が出なければいいが)。  

 試合後は、贅を極めた中電グランドのクラブハウスで、主役の還暦フィフティーン一人一人がスピーチの機会を与えられ、私も一言。皆、それぞれにラグビーの神様に感謝していたのでは、と勝手に解釈。顧問の浅井先生の言葉も頂いて、楽しく会食。どこぞから現れた綺麗どころにも、早速数名がアタック?!  

  そして、舘君の粋な計らいにより、旭丘フィフティーンは中電御用達のナゴヤドーム・プレミアムルームで中日対西武戦を観戦しながらの会食。備え付けのテレビで、ドーム中継、サッカーJ1リーグ中継、そして大相撲の白鳳対稀勢の里。「こんな贅沢はもう一生できんだろうな…」という訳で、皆写真を撮りまくる。