ひーりんぐたいむ

カナダのバンクーバーでレイキを実践&指導する平野かおりが日常のあれこれを綴ります。
ライター業もやってます。 

除夜の鐘をついてきました

2006年01月03日 | 雑感

本 文 大晦日、近郊のコッキットラムにある東漸寺で除夜の鐘をつきに、お友達3人と共に行ってきました。寺には200人近くの方が来ていました。

鐘突きの前には法話が予定されていて、お堂に入ると、それぞれ知人に出会って、「元気?」など会話を交わしながら法話を待ちました。日本人の住職さん(橋本随暢さん)と二人のカナディアンの僧侶の方から「般若心経」が読まれ、その後、元気な住職さん(77歳)から鐘の突き方のご説明です。

「除夜の”夜”とは、自分の心のなかの闇、あれが欲しい、これが欲しいという欲や怒りやねたみなど言い、それを払いのぞくために鐘を突くのです。ですから皆さんは『あむあみだーぶつ!』と大ーきな声で言って、鐘を付いてください」

住職さんの勢いのある大きな声だけで、もう気持ちは元気になり、鐘を突く気持ちは高まりました。

わたしはたまたまその数日前に、住職の橋本さんに取材でお話を伺うチャンスがあり、「南無阿弥陀仏」の意味を知ったばかりだったので(恥ずかしながらそれまでは知りませんでした;;)、その言葉には特に思い入れがありました。

橋本さん曰く「『ナーム』とは『帰命』-命をお返しするーということで、阿弥陀仏というのは、ざっくり言えば私たちを導く目に見えない存在。その存在に帰依する、命をお預けします、すべてお任せしますということなのです」。

そんなことを思い出しつつ、早々に到着していたわたしたちは、年越しそばの順番も早くに回って来て、あったかく出汁のきいたそばをいただいて、ぬくぬくとしているうちに(それに気温も5度以上ありました)、鐘の順番です。お約束の言葉、「南無阿弥陀仏!」と言って一人ずつ鐘を突きました。お友達のひろみちゃんの声はひときわ大きくて気持ち良かったです。その後には遠くで上がる花火も2箇所からのものが見えて、なんだか例年よりもさっぱりと、そして温かい気持ちで年を迎えることができました。

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