ひーりんぐたいむ

カナダのバンクーバーでレイキを実践&指導する平野かおりが日常のあれこれを綴ります。
ライター業もやってます。 

話を聞いて「その人」がわかるんだろうか

2007年12月13日 | 雑感
新年号に載せるための記事を本日納品した。今年は50本ほど書いたことになる。
この仕事のおかげで、いろんな方の話を聞かせてもらう機会をいただいてきたが、今、自分から話を聞きたい人は誰だろう?と思ったときに、最初に浮かんできたのは
世界にエネルギーを降ろして浄化して歩いてこられた沖縄のSさんだった。

風呂に入りながら、勝手にSさんと個人的にお会いできたとしたら・・・と
考えてみたが、どんな質問も陳腐なものに思えてきてしまった。

質問でその人の何がわかるんだろう。
語ることよりも行動を見ることでわかるものなんじゃないだろうか・・・。

そんな思いで、人の書いたインタビュー記事を読んだ。

語りを読むと、やはり「その人」というものは浮かびあがってくる。

でもそもそも「これがその人」と、何をもって言えるんだろう・・・。

          *          *

月曜日のヒーリングお茶会に参加した方が、「自分自身のことだってよくわからないです」と語っていた。

本当にそうだと思った。自分って何なのか。自分自身と何十年付き合ってもまだ発見がある。

レイキもよくわからないことの一つである。

わたしがレイキのことを話すとき、「始められた臼井先生ご自身も、レイキとは何なのか、定かにはわからないと、後の科学がそれを明らかにしてくれるであろうと語っていました」と紹介している。

臼井先生にもわからないんじゃ、わたしたちには、わかりようがないというものだ。

とはいえ、これだけ言い放つだけでは身も蓋もない!
ということで食い下がってみる。

手を当ててレイキのエネルギーを流すと、心身にエネルギーが満ちてくる。

このような出てきた結果から、レイキとは何かを推し量ることはできる。
またレイキのエネルギーが流れるようになる伝授の行為から、レイキとは何かを
推し量ることもできる。

そこで得られた事実が、レイキを語る説明となってきたのである。
数値で測れないような体の状態やフィーリングであっても、多くの事例があれば、
それが客観的なものとして実体を語る説明になっていく。

          *          *

アウトプットを見て、その主体を理解するという方法。
それは、人で言えば、語ることから、そしてやってきた行動から人を推し量る
ということになるだろう。

それに加えて、会ったときの印象。
顔つきや仕草、話し方のような部分だ。

と考えて、最初の「話を聞いて何がわかるというのだー」とちゃぶ台をひっくり返したようだった気分からスタート地点にまた立ち返ったような気分になった。

だって、自分の仕事の意味がない!って言ってたみたいだもんね。

これを読んだ人は、(いつもだと思うけど)こんな面倒なことをいちいちを考えている人間なんだ、疲れるなーと思うことだろう。

そしてわたしの思考回路に付き合ってくださった方、お疲れ様!















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