こんにちは
雨が上がり、青空も見られるようになりました。
今日の朝刊です。 青色マーカーが震災関連番組です。
あさイチでは震災を経験していない高校生が東北の震災被害地に行った体験から
誰々がいるどこそこの街、と言う感覚が生まれたと言ってました。地元の被災者との
交流から東北の震災が自分の問題と感じられるようになった、と話していたのが
とても印象的でした。
20年前、地震発生後、親兄弟の無事を確認したものの 義両親の住んでいた古い
家も兄の家も半壊状態であることが分かりました。
年老いた親は親戚の計らいで少し離れていた街にアパートを借りることになりました。
この時期、賃貸物件は数が足りず、そんな状況ですぐに入居できたのは本当にありがたかったです。
夫は実家を確認するべく、震災発生後4日目(1月21日)に大阪府池田市に向かいました。
新幹線が動いていたか記憶がはっきりしていないのですが、取りあえず交通費26000円
(細かいです…)を渡していました。
娘の学校でも震災義援金を募っていたようで、翌日付の家計簿に記載されていました。
1月21日(土) 1月22日(日)
金額を書いていやらしいですが、当時の事がわかるかな、と思い。
見舞金の記載が1月27日にありました。
安サラリーマン家庭でしたが家を失った親のためには出来る限り
援助していたのかな、と思います。
1月27日の家計簿です。関西では売り切れてしまったブルーシートを
埼玉から持って帰れるだけ買っていました。地の利が全くない私のために
友人が車を出してくれてホームセンターまで連れて行ってくれました。
10279円分のブルーシートがどのくらいの量かわかりませんが、結構沢山だったと
思います。
そのブルーシートを担いで1月27日(金)再び大阪へ行きました。
今回は土日の休みを目一杯使うために夜行バスで向かいました。
娘は2泊3日、お友達のお宅に預かって頂きました。ありがとうございました。
実家の引っ越しを手伝い、電車の動かない線路をひたすら歩き、兄の家の屋根にブルーシートを
かぶせ、ちょっと大変な週末でした。
地震の3か月後、私は娘と共に神戸の街に初めて足を下ろしましたが、三宮駅前
そごうデパートの無残な姿に呆然としました。
20年後の今はすっかり綺麗になりました。
建物は、街は、すっかり綺麗になり、ブルーシートも全く見られなくなりました。
人々もあの時みたいにリュックも背負ってないし、マスクもしていません。
でも、心の復興は3割ぐらいと答えた人もいました。
義両親はもう言葉を発せなくなりましたので、震災後の心のうちはわかりません。
兄の家族は計り知れない心の傷を負っているかもしれません。
いつか、語り合える時が来たら、と思っています。
長くなってしまいました。読んでくださってありがとうございました。
ごきげんよう