昨日に続き、堺市ぶらり歩きです。大阪には偉人達の歴史が数多く刻まれている。「宿院」から手前にぶらり歩きました。すると「与謝野晶子生家跡」にたどり着きました。
此処が、与謝野晶子生家跡です。堺市市街の街中に存在しています。
与謝野晶子 本名晶(しょう)。大阪堺に生まれる。女学校時代から源氏物語や枕草子など古典を愛読する文学少女で、10代半ばから短歌を作り始める。二十歳頃に新聞で与謝野鉄幹の歌を知り深く感銘を受け、1900年(22歳)、4月に鉄幹が『明星』を創刊すると同誌で歌を発表した。8月に初めて鉄幹と会い恋心が爆発、翌夏には鉄幹を追って家出同然で上京し、鳳晶子の名で第一歌集『みだれ髪』(6章399首収録)を刊行、その2ヵ月後に妻と別れた鉄幹と結婚する。時に晶子23歳、鉄幹28歳。女性が自我や性について語ることがタブーだった保守的な明治の世にあって、愛の情熱を自由奔放かつ官能的に歌い上げた『みだれ髪』は一大センセーションを巻き起こした。
外国人観光客用に作られています。
この様に碑が建てれていました。
この様に、広い道路に面した道沿いにありました。
冬枯れの通りに、菜の花が咲いていました。寒い日だったのに、何となく春に近づいているんだなぁ~。と思いました。
キク科の小さな花が、この通りに元気パワーを振りまいているように見えました。
帰りのチン電の中で運転席を!
車内から外を撮りました。
ほんの少しの時間の歴史街道でしたが、いかがだったでしょう?昨日の千利休、与謝野晶子と歴史をお届しました。
ネタが切れたから、とっさに考えたネタでしたが、これからもたまに歴史街道をお送りしますね。
今日も訪問有難うござます。
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