ハイサイ~(*^_^*) 11月だね。11月になっても沖縄シリーズは続くのだ。
一日目の沖縄を12話もかかっています。(笑)
まっ、この先も長いんで、ゆたしく うにげえさびら。!
今日は、首里城のすぐそばにある「玉陵」(タマウドゥン)のご紹介です。
玉陵は、1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓となりました。墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋となっています。
パンフレットを見る、ノリーダヨさん。実は、此処へ来たのは初めてらしいです。
http://noriislow.blog.fc2.com/ ノリーのスローライフ ブログ、覗いてみてくださいね。
創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られました。全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物になっています。
見事に復権されています。墓域は2.442㎡。 沖縄戦で大きな被害を受けましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ、修復工事が行われ、往時の姿を取り戻して今日に至っています。
昭和47年5月15日に玉陵墓室石牆(たまうどぅん ぼしつ せきしょう)が国指定有形文化財建造物に、玉陵は国指定記念物史跡に指定されました。また、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました
様々な解説から、沖縄は相当な戦争被害が大きかったことが改めてわかります。
当時の琉球王国の建設技術は、ほんとに優れていた事が、よく理解できます。
見事な復権です。そらっ、日本の各名将が、この技術を取り入れるわけですね。
玉陵碑(タマウドゥンひ)
この碑文は1501(弘治14)年に建てられたもので、タマウドゥンに葬られるべき人々を規定したものです。尚真王他8人の名が記され、この書き付けに背くならば、”天に仰ぎ、地に付して祟るべし”と結んでいます。碑文には長男・次男の名が見えず、王室内に勢力の対立があり、廃されたと見られています。
東の御番所(あがりぬうばんじゅ)
沖縄戦前までお墓を守る番人がお墓の管理をしていた。 王国時代には墓参りに来た王様が休憩をしたところでもある。 |
あかん!光が入り過ぎ!(笑)
ここは、倉庫にもなってるみたいですね。
やっとここまで紹介出来た。(笑)
まだ、歩くよ(^◇^) どこまでも!ちばりよ~~~!
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