かつて人気を博した男性のデュオに、「狩人」という兄弟ユニットがあった。デビュー曲の「あずさ2号」はつとに有名だし、カラオケなどで歌った人も多いかと。
かくいう小生もそのひとりだが、小生的にはそれに負けずセカンドシングルのコスモス街道が好きだった。
こちらでお聞きになれる・・・この中で、小生は「秋の避暑地で出会う人は皆、なぜか目を、目を伏せて、なぜか目を伏せ歩きます」というフレーズが好きだった。
そしてサビの「右は越後へ行く北の道、左は木曽まで行く中山道、続いているコスモスの道が」というくだりも良かった。
というところで、学生の時のクラブの同級生を思い出した。「桂よ、コスモス街道の歌詞って、俺の故郷の高崎なんだぜ」と言われたことがある。
えっ? 本当・・・と聞き返したところで、ハッと気が付いた。確かに高崎は上越線と信越線の分岐点。その分岐点に立つイメージで見れば、「右は越後へ行く北の道、左は木曽まで行く中山道」である。
っていうか、思い込みというのは恐ろしいもので、「あずさ2号」のイメージで中央線(つまり甲州街道)と中山道を混同していたのだ。だから中山道が高崎廻りだという事実を忘れていたのだ。
その彼は落語の技量も高く、四年生になったら遠く及ばないかも・・・と思いつつも、当時の学生のこと、お互いの下宿に泊まって飲み明かしたり仲良くしていた。
そんな中、三年生の秋、まさに発表会の当日、会場に一通の手紙が・・・それは彼が家庭の事情の急変で、大学をやめたので会を欠席するというものだった。
同期の中でも衝撃が走ったのはいうまでもない。その落語会は、お通夜のようなものになってしまった。
小生にとって、「コスモス街道」はそんな思い出が蘇る曲になってしまった。今でも、カラオケで歌うと、ぼんやり涙が出そうになる。
ときに、今回調べたところ、「コスモス街道」で検索すると九州の久留米市を始め岡山など、あちこちが出てきた。
確かに街道沿いにコスモスが咲いているところは全国どこにでもありそうだ。かくいう小生も、蓼科湖沿いのコスモスを見に、憧れの君と行ったこともあった。
だが、やはり「コスモス街道」というには、「右は越後へ行く北の道、左は木曽まで行く中山道」でないとダメだよなあ・・・と。
ちなみに、狩人はその他の曲でも「みちのく旅愁」や「白馬山麓」などポップス版のご当地ソングを歌っている。
狩人を聞きながら電車に乗ると、ついサビで歌いそうになってしまう小生である。
これって、私だけ・・・ではないと信じたい。
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