アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

おじいちゃんはどっちにいるの・・・

2016-08-16 06:00:26 | つれづれ
小生の実家の伊豆では、仏事がらみは非常に厳格である意味ややこしい。たとえば四十九日の法要は世間一般に普通だが、実家の町では初七日以下、七日ごとの行事をしっかりやる。その他、月に一度は菩提寺に出掛け、墓参も月一は行くのが当たり前とされている。


 そんな中、興味深い記事が目に留まった。まずはこちらをご覧いただこう。
 「仏壇とお墓、どっちに祖父はいる?」説明が明確すぎて、ストンと腑に落ちる


 「仏壇はタブレット、墓はデスクトップ。今からデスクトップをアップデートしに行く」という説明で納得したとある。
 物理的に骨が・・・なんて野暮なことを言ってもしかたないのだが、このなんとも素晴らしい説明は拍手ものである。


 特に、「おじいちゃんはクラウドに保存されている」という部分は、本質でもあり、かつ今時の説明としては、納得感が抜群だ。
 と、そこで思い出したことがある。愚娘が幼稚園にいたときのことだ。その幼稚園は小中高まである系列の学園だったが、カリスマの女性創立者が急逝したことがあった。

 そのときに、教頭先生が園長になったのだが、愚娘は「教頭先生がパワーアップしたんだよ」と我々に説明してくれた
 幼稚園で教わってきたのだろうが、当時なんとも粋な説明をするものだと感心したことがある。確かに、湿っぽい話をしてもしかたない。

 とかく仏事となると死亡にからむだけに、深刻なイメージがつきまとうが、終わりがあるから人間やってられるわけで、形ばかり深刻になっても・・・と。
 もちろん大切なのは、故人に対する思いやリスペクトであり、そのための形式を整えることではないと思う小生である。

 田舎では夏のお盆のときに、死後3年間灯篭流しが行われる。およそ、街の中の人が大集合で参加する。が・・・会場でのおしゃべりが、あまりに騒がしくて自分たちが呼ばれていても聞こえなかったりする。
 そこで感じたのが、遠縁とか知人とかたくさん出ている人にとって大切なのは、故人に対するリスペクトでなく、自分はここに駆けつけているよというアリバイであり、だから大きな声でしゃべることで、「会場に来ていること」をアピールしているのだという・・・

 そういう人たちからすると、このなんともスマートな説明をしてくれた人の方がはるかに気持ちがあるように思う。
 って、たまにはまじめな記事になっている・・・
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