アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

近江はなぜ、オウミなのか

2005-08-21 18:20:14 | 薀蓄
このところ、しばらく薀蓄ものから遠ざかっていたので、久しぶりに書いてみることにする。近江と書いて、皆さんは「オウミ」と読むはずだ。ではなぜ、これをオウミと読むのだろう、疑問に思ったことはないだろうか。

 この疑問を解く鍵は、「オウミとは一体何か」ということに始まる。オウミとは、淡海、すなわち淡水の海のこと、つまりは湖のことなのである。
 ここまで来ればおわかりのとおり、都から見て近いところにある湖=琵琶湖の国を指して近淡海(チカツオウミ)と呼ぶようになったわけである。

 近い淡海があれば、当然遠い淡海もなければならない。それは、今の浜名湖であった。そこで浜名湖あたりの国を、遠淡海(トオツオウミ)と呼ぶようになった。
 その後、以前の記事で紹介したが中世の法律で地名を佳字二文字で表わすことになったので、淡海(湖)に「江」の字を充てた。

 それで、国の名前が近江、遠江という表記となったわけである。そのうちに、トオツオウミは語呂がこなれてきて、「トオトオミ」となった。
 だが、都人にとって湖といえば琵琶湖であり、いちいちチカツなどとつけていられなくなり、やがてチカツが取れて、近江と書いて「オウミ」と呼ぶようになったのだ。

 このことは、国名に州をつけて呼ぶときにわかりやすい、遠江が遠州と呼ぶのに対し、近江は、江州(ゴウシュウ)である。
 江州といえば、江州(近江)商人として、合理的な頑張りやで知られる。一方の遠州は、ホンダやヤマハなどの発祥の地であり、やはり頑張りやである。

 天智天皇が都を大津に移した頃は、万葉歌人で華やかだった頃でもある。その後、織田信長の安土城も琵琶湖の東にあった。信長は、琵琶湖の西の坂本に明智光秀、北の長浜に豊臣秀吉を置いた。奈良・京都の隣で、交通の要所ということが近江の運命だった。

淡海の海 夕浪千鳥 汝(な)が鳴けば 情(こころ)もしのに 古(いにしえ)思ほゆ
 柿本人麻呂が荒れ果てた大津宮で詠んだ歌とされている。

 天智天皇の御陵は、当時の天皇としては例外的に、奈良でなく大津からすぐの京都山科にあり、(後世捏造説あるが)日本では珍しい上円下方墳でもある。地名は御陵(みささぎ)という。
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5 コメント

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出ました! (すぽっと)
2005-08-22 02:27:49
久々の薀蓄モノ!

私は師匠のこういう記事も大好きであります!

「近江」。。。なるほどぉ。

やはり「水」のある場所にはエピソードも多いような気がしますが。それだけ昔から人の出入りも多かった、って事でしょうか。

師匠はやっぱり師匠であります!

また宜しくお願い致しまぁ~す



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いやそろそろ・・・ ()
2005-08-22 06:49:05
薀蓄モノやらないと、ほんとのオタクオヤジと間違えられそうで・・・えっ、もう手遅れですかあ(爆)
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ただの (雪ダル)
2005-08-22 14:51:29
オタクオヤジでは、ないと思っていました

私も、こういう記事、好きですよ~。

いつもの記事だって、豊富な知識と命への愛情が感じられる記事ですもの。



「オタクオヤジ」とか「いつもの記事だって」というのが入っているから、誉めているように聞こえないって?

いや、いや、誉めているんですってば~
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雪ダルさんに感謝! ()
2005-08-22 15:07:47
いやいやそう言ってもらい感激であります。

好評をいただくと、ついオヤジは調子に乗ってしまいます。近日、またやらせていただきま~す。

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近つ飛鳥もありますね (松田聖菜子★彡(まつだみなこ))
2005-08-22 23:41:52
>桂さま



 大阪府羽曳野市あたりを近つ飛鳥って言っていたようですね。近つって言葉は良く使っていたのかしら。



http://www.mediajoy.com/chikatsu/asuka_j.html



 天皇陵の場所は下記のWebsiteに載っています。宮内庁のWebなんですね。

http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/index.html



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