今日はヨーガのレッスン日であった。前回も書いたが、小生にとっては、ストレスと疲労解消のいい機会になっている。ということで、今日もヨーガの薀蓄なんぞを。
前回、ヨーガは陰陽のバランスがパワーになっていると書いたが、陰陽の象徴のひとつが太陽と月である。ヨーガでは、それぞれがもたらすエネルギーを区別している。
それが、プラーナとアムリタである。
太陽のエネルギーのことをプラーナという。プラーナは、命の活力そのものであり、今我々が一般にいう、エネルギーのニュアンスに近いものと考えればよい。
その象徴は太陽なわけだが、身体における太陽の座というのが、おへそ(マニプーラチャクラ)ということになる。
一方、月のエネルギーのことをアムリタという。これは、不老不死の妙薬とされている。月は自分では輝かず、太陽の光を受け、それが「正しいとか、間違っているとかまったくもの言わず」、ただまっすぐに光を反射している。
これが、不老不死の妙薬だというのである。これも太陽と同様、身体における座があり、のど(ビシュッタチャクラ)だとされている。
通常、人間の身体はのどからアムリタが出ているが、それが下に流れるため、太陽がそれを飲み込んでしまう。だから、人は老いるし死から逃れることができない、というわけである。
それでヨーガでは、ときどき逆立ちなどして、そのバランスを整えたりするのである。
ここで、プラーナを酸素と置き換えてみよう。確かにわれわれは、酸素を燃やし生きているのであるが、活性酸素など酸素のもたらす問題も最近話題になってきている。命のエネルギーを燃やす限り、それがゆえに老いるというこの真実・・・ヨーガは深い。
これからも、若さを保ち、お姉さんたちと遊べる元気を維持するため、ヨーガを続けるつもりである・・・って、結局いつもとおんなじじゃねえか(爆)
前回、ヨーガは陰陽のバランスがパワーになっていると書いたが、陰陽の象徴のひとつが太陽と月である。ヨーガでは、それぞれがもたらすエネルギーを区別している。
それが、プラーナとアムリタである。
太陽のエネルギーのことをプラーナという。プラーナは、命の活力そのものであり、今我々が一般にいう、エネルギーのニュアンスに近いものと考えればよい。
その象徴は太陽なわけだが、身体における太陽の座というのが、おへそ(マニプーラチャクラ)ということになる。
一方、月のエネルギーのことをアムリタという。これは、不老不死の妙薬とされている。月は自分では輝かず、太陽の光を受け、それが「正しいとか、間違っているとかまったくもの言わず」、ただまっすぐに光を反射している。
これが、不老不死の妙薬だというのである。これも太陽と同様、身体における座があり、のど(ビシュッタチャクラ)だとされている。
通常、人間の身体はのどからアムリタが出ているが、それが下に流れるため、太陽がそれを飲み込んでしまう。だから、人は老いるし死から逃れることができない、というわけである。
それでヨーガでは、ときどき逆立ちなどして、そのバランスを整えたりするのである。
ここで、プラーナを酸素と置き換えてみよう。確かにわれわれは、酸素を燃やし生きているのであるが、活性酸素など酸素のもたらす問題も最近話題になってきている。命のエネルギーを燃やす限り、それがゆえに老いるというこの真実・・・ヨーガは深い。
これからも、若さを保ち、お姉さんたちと遊べる元気を維持するため、ヨーガを続けるつもりである・・・って、結局いつもとおんなじじゃねえか(爆)
昔高校を卒業したころに、少々ヨーガをかじったのですが、脚が組めないことで挫折しました。
今でもやってみたいという気持ちは十分にあります。
桂さまのところを紹介して頂きたいという気持ちも十分あるのですが、土曜日というのがちと。。。
なにしろ土曜日はJリーグの試合がありますから、重なった時にどちらを取るかと言われれば当然サッカーを取りますから、なかなかレッスンに行けないですよね、それで躊躇しているのです。
あ~あ、やりたい気持ちは山々なんだけどなあ。。。
「のどからアムリタ」若返るのだ!と先生に教えられたとき、教室の皆が我も我もと、ごくごくやってました。
もちろん私も。
でも、ポーズがつらかったので、息をするのに必死だったかも・・・。
そりゃあ、土曜の試合のほうがいいでしょう。今は、小生も試合がないので、まじめに通っておりますが・・・えっ、まじめに?
そう、会社でも、プライベートでもまじめに頑張っている姿をできるだけ見られたくない人なもので(苦笑)
みきさんへ
逆転のポーズや鋤のポーズなんかは、体型的にけっこうつらいです。硬くはないほうだと思いますが、アルダマッチェンドラなんかも・・・まずはやせないと(苦笑)
ふーん、チャクラですか。
私も興味があり、熱く語っています。
寄ってみて下さい。