アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

節電に思う

2011-05-23 06:25:00 | つれづれ
先日テレビを見ていたら、二月と今の渋谷駅前のネオンが対比されていた。一連の流れの中で、間違いなくこの夏の節電要請は厳しくなるが、一方で節電が身体にしみこみつつあるという気もしている。

 トップ写真は池袋の地下道。商店街もなく、ただの通路であるが、電灯を間引きしているが、決して暗いとは思わなかった。
 電車に乗っていても、車内灯をつけていない暗い車内に慣れてきている。思えば、今までの明るい暮らしはなんだったのかと・・・

 そこでふと思い出したことがふたつ・・・ひとつは小学生のとき、修学旅行で東京に来たときのことだ。夜、東京タワーに行く途中、銀座を通過した。
 バスの車窓ごしだったが、真昼をもしのぐ明るさ華やかさは、田舎ものの小生たちの度肝を抜いた。「ウワーッ」というバスの車内の歓声は忘れられない。今となれば、明るいといっても当時のこと、どのくらい明るかったかは微妙だが。

 もうひとつは、二十年ほど前にソウルに行ったときのこと。ガイドさんに連れられていったお土産屋さんの思い出だ。
 地下の狭いお店だったが、入っていったら電気がついていなかった。我々が来たことに気づいたお店の人が電気をつけていたのが印象的だった。

 その旅ではからずも小生、「韓国は、日本よりずいぶん進んでいるなあ」と思ったことがいくつかあった。当時の日本人の感覚から言えば、韓国は日本より遅れていると思う人がほとんどだったろうし、行くまで小生も少なからずそう思っていたので意外だった。
 いや正しく言えば、小生的には韓国の方が合理的で賢い・・・そう思うことがいくつかあったというべきか。

 たとえば、ソウル市外から市内に入る通勤の車が、乗っている人数で料金が違うということ。人数が多いほど安く、一人とか二人だと高かった。
 一人当たりではなく、実額で安いというのは驚いたが、環境だとか考えると日本より合理的で進んでいるなあと。逆に日本では絶対にありえない発想だとも・・・

 当時は、来客があるまで電気をつけないのは貧乏くさいと思ったが、今となれば・・・であり、今そうせざるをえない環境下でその合理性を再認識している。
 外圧でしか社会の仕組みを変えられないのが日本だ、という話を聞いたことがあるが、はからずも今回のことで、日本人がもう少し合理的になれば・・・と思ってしまう。

 大学生の頃までは、クーラーのない電車もまだまだ普通だった・・・皮肉にも、この夏は節電で、ヒートアイランドも緩和されると予想する学者もいるという。
 さてさて・・・どうなることだろう、この夏は・・・日本人は変われるだろうか。
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