アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

千住宿を歩く~その2

2018-02-24 06:00:00 | つれづれ

さて、千住の名倉医院から土手の手前を西に向かった小生、まず最初に向かったのが「かんかん地蔵」(トップ写真)

 

 このかんかん地蔵のある安養院は北条時頼創建というから鎌倉時代からのもの。ただ、現在の地には、慶長年間に移転してきたものとか。

 この「かんかん地蔵」、石で叩くとかんかん音がするところから名が付いたというが、永年叩かれた結果、今のようなお姿になったという。

 

 とはいえ、小生もよくなってほしいところを軽くかんかんさせていただいた。この隣には「仲良し地蔵」というものもあった。

 かように古くからの宿場町だけあって、千住にはお寺や神社もたくさんある。千寿七福神というのもあると。

 

 次に向かったのが、氷川神社。こちらは布袋さんがいるのだが、個人的にはそれよりも富士塚の方に興味がいった

 この富士塚は、江古田や大泉のそれと比べると規模的には小さいが、本物の溶岩で作られていて、登ることもできる。

 

 いつも思うのだが、わずかな高さでも登ってみると景色がずいぶん違うことに気付く。普段見ている視界の狭さを再認識したりして。

 さて、ここから旧日光街道の北千住方面に返していくと、本氷川神社が見つかった。こちらには七福神の大黒天が祭られていた。

  

 さらに足を進めると、本陣跡に到着する。今ではただのビルになっているが、当時は千住唯一の本陣が置かれていたところという。

 今の敷地でいうと、かなり広いところであったことがわかる。面白いのが、近くに遊郭があり、その名残で見番もあったというところ。

 

 ご存じの方も多いと思うが、四宿は江戸の外だが、至近距離にあったわけで、吉原の補助的な遊郭として栄えていた。

 元々は長い旅から帰ってきて、さあ明日には江戸というときに羽を伸ばして遊ぶ最後の夜として繁栄したところから、宿屋の女中さんが女郎に変身したことを起源としたもの

 

 そこから、専業となっていったものだが、さらに西新井大師の老舗の団子屋さんの支店が当時から近くにあったこともわかった。

 なるほどなあ・・・なんて思いながらぶらぶらすると「毎日通り飲食店街」という、なんともレトロなゾーンが目に留まった。

  

 小料理屋とか、カラオケスナックなどが並ぶ中、今風のイタリアン酒場もあったりして・・・千住に勤務していたら通ったかも・・・って。

 さてさて、ここからもう少し足を伸ばし閻魔さまのいるお寺に向かった。ほどなくして見つかったのだが・・・

 

 残念ながら、時間が遅かったようで拝観できなかった・・・ので、お堂の写真だけ()

 まだまだ時間があればいろいろ見るところはあったようだが、少しひと休みをしようということで、かねてより下調べをしていた喫茶店に向かった。

 

 ということで、千住ぶらりはいったん終わり、次号ではその喫茶店を紹介しよう

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