小生がガキの頃、まだスーパーカーなんていう言葉もなかったが、当時世界で一番速い車はというと、ランボルギーニ「ミウラ」だった。
このミウラは発表されたのが、1966年のことというから、50年も前のことである。かのトヨタ2000GTが1967年の発表だから、その先進性が見てとれる。
その頃からランボルギーニという名前には、少年の心をワクワクさせる響きがあり、常に羨望のまなざしが向けられる車であった。
そんな中、ランボルギーニのチェンテナリオという限定車が発表された。このモデル、創業者フェルッチオ・ランボルギーニの生誕100周年を記念したものという。
世界で、クーペが20台、ロードスターが20台という限定車という。価格は175万ユーロ(約2億円)という。
ベースになった「アヴェンタドール」の約5倍に相当するほど高価だが、既に全車が売約済みとなっているそうだ。
うん、つまり買えないのね・・・ならば公開しなくても、なんて考えるのは貧乏人のサガだろうか。性能など詳しい内容はこちらの記事をご覧いただこう。
性能がいいのは当たり前で、何しろ2億なんだから・・・ときに、これを東京で披露したのはなんで・・・と思ったら、ボディに使うカーボンを今後日本企業が提供する由。
小生も、こんなかっこいいお姉さんが同乗してくれるなら・・・あっ、買えませんが(汗) 待てよ・・・アヴェンタドールなら4000万か・・・これなら・・・買えませんが(爆)
この記事を書いているところで思い出したのは、先日とある病院で見た光景。待合室に置いてあったランボルギーニの本を見たお子さんが、「ランボルギーニだ、ランボルギーニだ」と騒ぎながら診察室に入ってきた。
すると先生、「僕にはまだ10年、いや20年早いかな」と・・・(苦笑) たまたま小生見ていたが、なかなかほほえましい光景だった。
そのとき、冷徹な小生は「僕、残念だけどおそらく、30年経っても買えないと思うよ」と、心の中でつぶやいていた・・・(汗)
あまり夢のないことを言ってはいけないが、記事の方のラストにはげどしてしまった小生である。そのまま引用する。
ステファノ・ド メニカリCEOの「これからもティーンエイジャーが乗りたいと思うようなクルマを作っていきます」という力強い言葉をお伝えしておこう。
この日、会場には壇上の最新モデルに加え、「カウンタック」や「ミウラ」などのクラシックなスーパーカーも数多く並べられていた。40年前にこれらのクルマに夢中になった我々がそうしたように、現代の少年はウルスのポスターを部屋に貼るのかもしれない。憧れの形や素材は変わっても、ランボルギーニが憧れを創出し続けることに変わりはない。
まあ小生の場合、ミウラにあこがれたが、それがフェラーリになっただけだから、我慢しようか・・・って、おいおい。(←ウソもええかげんにせんかい)
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