3月31日のテレ朝スーパーJチャンネルで、文科省が告示した小中学校の新学習指導要領について、パプコメなどで異論が続出し、「聖徳太子」「元寇」「鎖国」についてもとに戻すことを紹介していた。
その内容について、詳しくはこちらの記事をご覧いただくことにするが、スーパーJチャンネルでコメンテーターが言っていたことが鼻についた。
たとえば「聖徳太子」を言い換えるのは文化に対する問題だとか、「鎖国」がないのに「開国」があるのはおかしいという指摘はもっともで、江戸時代の最中も少しずつ改定してきたわけで、「鎖国」とするのは常識だと・・・
ちょっと待て。「厩戸王」とするのは文献上も正しいし、そもそも厩戸王がいわゆる聖徳太子の行ったとされている施策を行ったかどうかも疑問というのが歴史界の主流になりつつある。個人的な見解だが、「聖徳太子」という諡号を付けることで厩戸王の業績にしようと日本書紀の編者たちがすり替えたものと。
聖徳太子を否定するものではないが、崇拝思想にも似た形で日本人の偉大な人物にしてしまうのはどうかと・・・
「鎖国」についてもそうだ。もともと文科省は、当時の日本に「鎖国」の意識はなく、出島のオランダ貿易や蝦夷地でのロシア貿易があったからというものだったと。
これに対し、パブコメでは、幕末の「開国」があるのに「鎖国」がないのは矛盾するというものだ・・・
が、ちょっと待て。江戸時代の日本は世界一の銀の輸出国だったことを皆さんご存知だろうか。当時の日本人に鎖国の意識はなかったどころか、巨大な貿易国だったのだ。
パプコメは現場の先生たちの意見が大きかったようだが、先生自体が勉強不足である。開国というのは、あくまで欧米が貿易協定を求めてきただけで、開国ではないのだ。
では、その大量の銀はどことの貿易だったのか・・・答えは簡単だ。朝鮮と中国である。鎖国の例外のオランダなどに引きずられているが、朝鮮や中国との貿易量を忘れている。
もっとも、もともとの「幕府の対外政策」という表現の不自然さもなんとも・・・センスを感じさせないこと。
もうちょっと考えてほしかった。ってか、そもそも聖徳太子や鎖国を常識にしてしまった教育の罪は大きいと思うんだが、いずれにせよ「物事を変えたくない国民性」はこんなところにも出ているのかも・・・
そうパブコメでも、自分たちが教わったのと違うのは困るという意見もあった由・・・はあ、それがどうしましたかって。
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