先日、いとこの会の記事を上げた。中で小んぶが「家見舞」をやっていたところで思い出したのが、林家ばん平という噺家だ。
この噺家、すでに廃業していて、今ではどこで何をやっているかもわからない。昭和23年生まれという情報を見たが、今だと68才くらいか。
ということは、小生が寄席に通っていた頃は30才前後だったということになる。当時は二ツ目だったようにも思うんだが・・・
当時、末広なんかに行くと、ほぼ毎日出演していた。逆にいうと、彼を寄席以外で見た記憶がない。
まあ当時は、円生・正蔵・小さん・志ん朝・円楽・柳朝などがホール落語をにぎわしていて、彼のような噺家が入る余地はなかったものと・・・
さらに寄席で聞いたネタだが、「家見舞」以外聞いた記憶もない。いや当時はストレートな言い方で、「肥がめ」と言っていたような・・・
このなんとも臭うようなネタ、けっして上品とは言えないが、間違いなくウケをとれる鉄板ネタでもある。
さらにばん平のそれは、当時としてはユニークなくすぐりも取り入れられていて、寄席でも抜群に面白かった。
毎回同じ話を聞いて、それでもなお笑わされる・・・その破壊力はすごかった。その印象を正確には伝えにくいが、今なら喬太郎ワールドに近かったかなと。
今でも覚えているのが、料理を食べようとして「ハッ」として、断るときに、「ロープ、ロープ」というくすぐりを聞いたこと。
今でも、小生断るときに思わず「ロープ、ロープ」とやってしまうが、原点はあそこだったんだと・・・(←今では、かえってわかりにくいかも)
就職後、名古屋とかに住むようになり、しばらく寄席からも遠ざかっていた。当然ばん平についても離れていた間に彼は廃業していた。
ネットをたぐってもまともな情報がない。辞めた経緯もよくわからない。ただ、廃業という検索候補があがるので、破門ではないと思われる。
写真もまともに出てこないが・・・今、なお聞いてみたい噺家であった。
ばん平の廃業には、そんな経緯があったんですね。教えていただきありがとうございました。
コメントありがとうございます。確かにその当時からの落語ファンにはなんとも記憶に残る噺家でしたね。
今ではあんな破天荒な噺家もいなくなったのかもと。またの投稿お待ちしております。
コメントバックが遅れまして失礼しました。
この記事自体もかなり前のものですが、それにもかかわらずこうしてコメントをいただけるのは彼がそれだけ心に残る噺家だった証拠かと。
で、くだんの「笑点」の件ですが、想像するにこん平の代役での登場か、特番での若手大喜利だったのでは・・・と。いずれにしろ、今現役でやってくれていれば・・・という噺家でした。
ばん平さんが活躍されていたのは記憶では、1970年代初期から1980年の初め頃と思います。日曜昼のTV演芸会で「この頭をなんと見る? 新宿の海坊主林家ばん平とはこれ如何に」と言う口上が忘れがたく、その独自の風貌=ヘアスタイルが忘れられません。更に当時人気のお騒がせ番組=先頃亡くなられた宍戸襄さん司会のドッキリカメラ」の騙され役の常連でもありましたね。記憶に残るのは、当時の故三平師匠の自宅に呼ばれ「ばん平、お前女の子騙したろぅ?」ってな馬鹿にマジな話っぷりにばん平さんが、最後は涙目で言い訳していたのが記憶に残ります。その後1980年頃出されていた「芸能人名簿」等には「サンコー企画所属」として林家ばん平さんのお名前が記載されていましたね。
なお自分が中学生時代、、、1972-3年の頃ですが、同級生の悪友達が旅行中に、どこかの駅で「あのばん平が背広着てネクタイしめて、すました顔して新聞読んでんだぜぇぃ」と話していたのが忘れられません。
引退せず、長く活躍されれば必ず人気者になっていたはずの男でした。なお同業でやはり今日忘れられてしまっているのが「故 三遊亭小円游師匠」でした。
酒が好きで飲み歩き、忘れられないのは「某歌番組のゲストで、真っ白なスーツをびしっと着こなした意外な程に決まっていた師匠りお姿」でした。
酒と言いなんといい、ファンや家族を思えば、、、、自粛自制して欲しかった、、、、、嗚呼 敬具
コメントありがとうございます。また、ずいぶんと詳細な記憶でいらして、小生も改めて彼を見たく(聞きたく)なった次第です。
また、小円遊の話も懐かしいですね。書き込みから拝察するに、大石様は、小生とほぼ同世代のご様子。小生も小円遊のちょっとクセのあるキザな空気感が好きでした。いずれにしろ、そういう突き抜けた空気感のある噺家さんって、早死にだったりしますが、それも噺家の業なのかもと。
また、ぜひこのアホネタブログにお立ち寄りのほど。
*「確実に昭和の終焉を感ずる落語会大家の死」
いつの間にか「立派な爺の仲間入り」をはたしていた自分は、やはり記憶に残る噺家としては「こん平師匠、小円游師匠、痴楽師匠」といった超ベテランばかりであり、中には既に忘れられてしまっている師匠もおられますが本当に残念です。痴楽師匠は本番最中に倒れ、リハビリはかなり成功しある程度までは回復されましたが悲しいのは「何故あの時死ねなかったのか?」と言われたとか。小園游師匠もやはり本番中に悪化しそれっきりとなりますが、少なくてもこん平師匠は発病されてから相当に長く闘病され、相当な部分までは回復されていたはず、、、今回の急没は非常に意外で残念です。とにかくこん平師匠は「声がでかくアクションが大きく、何より発音滑舌が実にしっかりとしており、言葉が明確に聞き取れた」のです。まぁ小園游師匠も全く別の意味で「艶っぽくなめらかなスケベ口調が見事」でしたね。基本が出来ていたのです。
今、こういった真の本物の噺家の方は皆無となり、中には大卒や数々の国家資格さえ保持する噺家さんや芸人さんも増えました。これを良し悪しで物申すのでは無く、そういう時代なのだと思い、何より「こちらサイトヘッドのお師匠様も立派な大卒」である事も、やはり時代の流れそして確実に昭和の終焉と言うものを感じます。自分はこん平師匠の事は忘れない、、、お師匠様には今後残された昭和の噺家会のある意味生き証人として、長く永く語り継ぐ義務と重い責務がある事を自覚され、健康に留意され末永くご活躍をご期待申し上げます。 合掌
いつもありがとうございます。こん平師匠の記憶というと、小生には寄席で漫談的なネタと豆屋くらいしかありません。
もちろん、タイプ的に人情噺などをすることはありませんが、失礼ながら豆屋以外の記憶がないのです。ただ、病に倒れて一線を退いてから随分経ち、今回の没年が77歳と聞き、ずいぶん若い頃に倒れたんだと再認識した次第。
大石様のおっしゃる小円遊もそうでしたし、先代馬生や志ん朝など、いずれも早逝しているのはある種噺家の宿命というか業ではと。
いずれにしろ、昭和の噺家がまた一人・・・です。