ニュースによると、奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡、7世紀末-8世紀初め)で極彩色壁画をはぎ取り、修復保存を進めている文化庁は14日、石室南壁で見つかった獣頭人身の十二支図「午(うま)」の全体像が判明したという。高松塚と並び、壁画で有名な古墳だ。
壁のしっくいを覆った泥の層に、絵が裏返しに転写された状態で残っていた。鮮やかな朱色の衣をまとい、長い顔にとがった耳、大きく見開いた目など写実的でユーモラスな表情がくっきり。泥が絵に張り付き顔料をほとんど吸い取ったため、奇跡的に制作当初に近い姿で保存されたらしい。
こうした形で壁画が発見されるのは、世界的にも例がないという。同古墳で確認された十二支像は6体目で、完全な形で見つかったのは寅(とら)像に次いで2例目。
実はこの寅は、キトラ古墳の名前の起こりという説もある。キトラという名前は実のところ、定説がないのだ。で、盗掘に入った輩が、玄武と寅を見たという説だ。
写真は、キトラ古墳の玄武像だが、亀の身体に蛇の頭と尻尾という姿がしっかり見える。知らない盗賊は亀に見えるだろうから、亀寅でキトラというわけだ。
しかも玄武が北で寅が西北西を指すので、壁の一角に見えるはずだ。なるほどと思う。キトラ古墳は、今後さらに解析されるだろうか、天井には星宿図もあるらしい。
しかし、疑問なのは、ここと高松塚は藤原京の朱雀大路の延長線上にあることで、古くから識者の間では、皇族の古墳という説が流れているにもかかわらず、宮内庁がなんら手を出してこないことだ。
根拠の希薄な伝説の天皇古墳については、陵墓としてかたくなに立ち入りを規制しているのに・・・いささか不可解である。
まあ、あまり難しい話はしないことにしよう。考古学上は、きわめて貴重な史料だし、古代史へのロマンが広がったことに間違いないのだから。
以上、たまには真面目な古代史マニアの桂の独り言でした。
壁のしっくいを覆った泥の層に、絵が裏返しに転写された状態で残っていた。鮮やかな朱色の衣をまとい、長い顔にとがった耳、大きく見開いた目など写実的でユーモラスな表情がくっきり。泥が絵に張り付き顔料をほとんど吸い取ったため、奇跡的に制作当初に近い姿で保存されたらしい。
こうした形で壁画が発見されるのは、世界的にも例がないという。同古墳で確認された十二支像は6体目で、完全な形で見つかったのは寅(とら)像に次いで2例目。
実はこの寅は、キトラ古墳の名前の起こりという説もある。キトラという名前は実のところ、定説がないのだ。で、盗掘に入った輩が、玄武と寅を見たという説だ。
写真は、キトラ古墳の玄武像だが、亀の身体に蛇の頭と尻尾という姿がしっかり見える。知らない盗賊は亀に見えるだろうから、亀寅でキトラというわけだ。
しかも玄武が北で寅が西北西を指すので、壁の一角に見えるはずだ。なるほどと思う。キトラ古墳は、今後さらに解析されるだろうか、天井には星宿図もあるらしい。
しかし、疑問なのは、ここと高松塚は藤原京の朱雀大路の延長線上にあることで、古くから識者の間では、皇族の古墳という説が流れているにもかかわらず、宮内庁がなんら手を出してこないことだ。
根拠の希薄な伝説の天皇古墳については、陵墓としてかたくなに立ち入りを規制しているのに・・・いささか不可解である。
まあ、あまり難しい話はしないことにしよう。考古学上は、きわめて貴重な史料だし、古代史へのロマンが広がったことに間違いないのだから。
以上、たまには真面目な古代史マニアの桂の独り言でした。
ピラミッドに関しては、かなりいろいろなところで取り上げられる機会も多いし、不思議なことがたくさんあるということには私もとても興味があり、よく本を読みあさりましたが、古墳に関しては知らなかったです。
桂さまの話しを読んで、とても興味が湧きました、古墳に関する本を探してみようかな。
今夜は、桂さんのおかげで、漢字の意味がわかって、納得です。
カビが生えたとか、いろいろ言っていますよね。
絵を写す作業を先日NHKでしていましたよね。
貴重な資料なのに、管理のずさんさ、悲しくなりますね。
写真。。。
今回判明したという「午」の全体像かと思って、解説通りに「長い顔にとがった耳、大きく見開いた目」って、探してしまいましたよ。。。違うって。。。早く言って!(笑)
嬉しいです。
たまには真面目に・・・