落語の方の噺だと、しょうもないお笑いが多い。たまには、お口直しに小噺でもご紹介しましょう。というのも、某所でこんな看板を見つけたからである(写真参照)。
琴と三味線を扱っている店は多い。当然、毎年新型の商品が出る。小生もそうだが、新型と聞くと、つい見に行きたくなる。で、いつものように店に行った。
「オヤジさん、今年の新型は?」「あるけど、見せねえよ」「えっ、何でよ。商売でしょうが」「看板見ろよ、看板」、てんで看板を見たら「琴・三味線(ことしゃみせん)」と。
おんなじような噺をもうひとつ。子供たちが、「ニワトリが先か、タマゴが先か」の議論をしている。そのうち、一人の子が「そういえば、いつも食べてる卵からニワトリが生まれるのかな」と素朴な疑問をもらした。
子供たちが、みんなで卵屋さんに聞いた。「いつも食べてる卵からニワトリは生まれるんですか?」「看板見ろよ、看板」、てんで看板を見たら「鶏卵(けいらん)」と。
海老床という床屋の看板に、活きのいい海老の絵が描いてあった。それを見ているある人が、「いい絵だねえ、まるで生きてるようだ」別の人が、「何言ってんだよ、絵だよこれ。死んでるに決まってるじゃあねえか」でもめ始めた。
そこへ現れたホワイトナイト(笑)、「ちょいと待ちなさい、お二人さん。この絵は、生きてはいないぞ」「ほれ見ろ、やっぱり死んでるじゃねえか」「いやいや、死んでもいないな」
「えっ、てことは・・・」「病気だ」「なんだって・・・」「ようく、この海老を見ろ。床についてる」
まだまだVOWな看板も多いし、看板が予期せぬVOWになってしまうケースもある。神奈川県某所で発見したケースでは、小鳥屋さんを挟んで焼き鳥屋さんと鶏肉屋さんが並んでいるところがあった。
誰のせいでもないが、なんとも不幸である(笑)
そんな不幸なVOW看板、これからも探し続けようと思う(笑)
琴と三味線を扱っている店は多い。当然、毎年新型の商品が出る。小生もそうだが、新型と聞くと、つい見に行きたくなる。で、いつものように店に行った。
「オヤジさん、今年の新型は?」「あるけど、見せねえよ」「えっ、何でよ。商売でしょうが」「看板見ろよ、看板」、てんで看板を見たら「琴・三味線(ことしゃみせん)」と。
おんなじような噺をもうひとつ。子供たちが、「ニワトリが先か、タマゴが先か」の議論をしている。そのうち、一人の子が「そういえば、いつも食べてる卵からニワトリが生まれるのかな」と素朴な疑問をもらした。
子供たちが、みんなで卵屋さんに聞いた。「いつも食べてる卵からニワトリは生まれるんですか?」「看板見ろよ、看板」、てんで看板を見たら「鶏卵(けいらん)」と。
海老床という床屋の看板に、活きのいい海老の絵が描いてあった。それを見ているある人が、「いい絵だねえ、まるで生きてるようだ」別の人が、「何言ってんだよ、絵だよこれ。死んでるに決まってるじゃあねえか」でもめ始めた。
そこへ現れたホワイトナイト(笑)、「ちょいと待ちなさい、お二人さん。この絵は、生きてはいないぞ」「ほれ見ろ、やっぱり死んでるじゃねえか」「いやいや、死んでもいないな」
「えっ、てことは・・・」「病気だ」「なんだって・・・」「ようく、この海老を見ろ。床についてる」
まだまだVOWな看板も多いし、看板が予期せぬVOWになってしまうケースもある。神奈川県某所で発見したケースでは、小鳥屋さんを挟んで焼き鳥屋さんと鶏肉屋さんが並んでいるところがあった。
誰のせいでもないが、なんとも不幸である(笑)
そんな不幸なVOW看板、これからも探し続けようと思う(笑)
しかしそれにしても焼き鳥屋さんと鶏肉屋さんに挟まれた小鳥屋さんって...