先日の記事で、最近のテレビがつまらなくなった理由というのを書いた。その原因のひとつは、視聴者である我々の問題ということを書いたが、今日はあるひとつの事実を通して制作側の問題を提起したい。
今回のソチ五輪のことではない。2011年のことにさかのぼる。あの年、フィギュア世界選手権は日本で開催の予定だった。
しかし、東日本大震災の発生で開催不能になり、急遽1ヶ月遅れでロシアでの開催となったことを思い出してほしい。
その上で、小生も知らなかったのだが、こんなことがあったんだ・・・という記事を見つけた。こちらの記事をご覧いただきたい。
まず客観的な事実関係をいくつか紹介したい。まず「自国開催を楽しみにしていた日本国民がテレビで中継を楽しめるようにと、日本時間のゴールデンタイムに合わせて開会。」
その開会式では、日本を、被災地を応援する演出。そしてフィナーレでは、日本選手を中心に、日の丸を描いて各国の選手が輪になって、日本を励ましてくれたという。
最後には、ロシアの連盟から日本への詩のメッセージも贈られ、この大会で優勝した安藤からお礼の言葉もあったという。
にもかかわらず、地上波で放送したフジテレビは、この辺を一切流さず、延々と前日の演技やキムヨナの特集などやっていたという。
小生も残念ながら、この事実を知らなかった。そして、ショックを受けた。今回のソチ五輪では、我々はもっともっと感謝の意をもって見るべきだったのでは・・・と。
今回の五輪の放映でも、民放のそれは、その多くが過剰な演出で事前の取材などを延々と流し、リアルタイムの部分はほんのわずか。
そのうさんくささが鼻についたのは小生だけだろうか。カーリングなどを小生がハマって見てしまったのは、NHKだったからなのかも。えっ、だからってロシアのカーリングの写真って・・・やりすぎですかあ(汗)
そうそう、ソチの閉会式で浅田のフリーの曲をサプライズで流してくれたのは、浅田に対するリスペクトを感じたし、心憎い演出でもあった。ロシアって、なかなかやってくれるじゃんって。
話をもどそう。以前紹介したミタパンの記事でもそうだが、やはりフジのそれって、一番恣意的なものを感じる。
本当に見たいものはリアルタイムのドキュメンタリーであり、それこそがまさにドラマなのだ。そう、今のテレビがつまらなくなった理由のひとつがここにある。
視聴者に自分たちの都合で作ったものを見せていては、面白いはずがないよなあ。
今回のソチ五輪のことではない。2011年のことにさかのぼる。あの年、フィギュア世界選手権は日本で開催の予定だった。
しかし、東日本大震災の発生で開催不能になり、急遽1ヶ月遅れでロシアでの開催となったことを思い出してほしい。
その上で、小生も知らなかったのだが、こんなことがあったんだ・・・という記事を見つけた。こちらの記事をご覧いただきたい。
まず客観的な事実関係をいくつか紹介したい。まず「自国開催を楽しみにしていた日本国民がテレビで中継を楽しめるようにと、日本時間のゴールデンタイムに合わせて開会。」
その開会式では、日本を、被災地を応援する演出。そしてフィナーレでは、日本選手を中心に、日の丸を描いて各国の選手が輪になって、日本を励ましてくれたという。
最後には、ロシアの連盟から日本への詩のメッセージも贈られ、この大会で優勝した安藤からお礼の言葉もあったという。
にもかかわらず、地上波で放送したフジテレビは、この辺を一切流さず、延々と前日の演技やキムヨナの特集などやっていたという。
小生も残念ながら、この事実を知らなかった。そして、ショックを受けた。今回のソチ五輪では、我々はもっともっと感謝の意をもって見るべきだったのでは・・・と。
今回の五輪の放映でも、民放のそれは、その多くが過剰な演出で事前の取材などを延々と流し、リアルタイムの部分はほんのわずか。
そのうさんくささが鼻についたのは小生だけだろうか。カーリングなどを小生がハマって見てしまったのは、NHKだったからなのかも。えっ、だからってロシアのカーリングの写真って・・・やりすぎですかあ(汗)
そうそう、ソチの閉会式で浅田のフリーの曲をサプライズで流してくれたのは、浅田に対するリスペクトを感じたし、心憎い演出でもあった。ロシアって、なかなかやってくれるじゃんって。
話をもどそう。以前紹介したミタパンの記事でもそうだが、やはりフジのそれって、一番恣意的なものを感じる。
本当に見たいものはリアルタイムのドキュメンタリーであり、それこそがまさにドラマなのだ。そう、今のテレビがつまらなくなった理由のひとつがここにある。
視聴者に自分たちの都合で作ったものを見せていては、面白いはずがないよなあ。
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