アモーレ・カンターレ・マンジャーレ

自称イタリア人のオヤジが、好きなサッカーやらグルメやら、何でも不定期に気まぐれに書き綴るサイトです。

日本人って・・・もう嫌いだ

2013-02-24 05:24:30 | つれづれ
昨年末に、某漫画家のブログをキッカケに、「赤ちゃんの泣き声は迷惑か」という議論が話題になった。単純な整理は確かに難しいし、シチュエーションやお母さんの態度によっても評価は異なるはずだ。

 だが・・・とあるところで拾った写真だが、これを見てショックを受けた。
 世の移り変わりにともない「鐘の音」に対する苦情が多いため除夜の鐘をとりやめます。

 確かに除夜の鐘は108回撞くわけだから、騒音と感じれば長く続くものになるだろう。しかし、日本全国どこにいてもおそらく年に一度はこういう夜になるはず。
 これに対し、苦情申し入れする意識が、少なくとも小生には理解できない。年に一度なら、鐘の音に聞こえないところに、出かけてくれよって・・・

 あ、いや待て・・・この貼り紙に「苦情が多い」とあるが、どのくらい多かったのかが気になるところだ。きわめて執拗に苦情を言っている人がわずかにいるだけのような気がするんだが・・・
 きっとその人は、お祭りに対しても、騒音として苦情申し入れをするのでは・・・そんな気がする。騒音かいい音と感じるかは人それぞれだから、騒音と感じることをとやかくは言うまい。だが一年中のことでなく、年に一度のそれまでも止めさせようという了見を言いたいのだ。

 この貼り紙が出たことで、近所はどういう反応だったんだろう。苦情を申し入れした人は、周囲の人たちに、「よかったですねえ、あんな迷惑なものがなくなって」と言ったのだろうか。いや、静かにしているだけのような気がする。
 世間では主張せず、匿名や陰でのみ主張する日本人の陰湿なところだ。

 トピずれだが、東日本大震災のがれき処理だって、総論では全国で助け合ってとか、絆とか言ってるくせに、いざ自分のところに・・・となると大反対。
 葬祭場建設計画など、ほぼ100%反対運動が起こる。いわく印象が悪いとか、縁起でもない、あげく土地の値段が下がるという理由が出る

 土地の値段が本当に下がるかどうか知らないが、仮に下がった場合、何か問題があるのだろうか。土地の値段が下がると住めなくなるわけではないだろう・・・って言ったことがある。
 そしてその言い分は「葬祭場が(どこかに)必要なのはわかる。だが、ここである必要はない」というのが定番だ。これって、上のがれきの論理とまったく一緒だ。

 「ここである必要はない」というなら、「ここであってもいい」わけで、この言い方は正しくない。正しく言えば、彼らがいうのは「葬祭場が必要なのはわかるけど、自分のとこは嫌だよ」だ。ついでに言うと、反対署名を求めてくる人は、あきらかに「あなたも絶対反対でしょ」という言い方をしてくる。
 反対する意見を持つことも小生は認めるが、こういう肩すかしな言い方で、かつ反対するのが当然だというスタイルが潔くないと思う次第。

 こういう話を聞くたび、日本人に生まれたことが悲しくなる。いや、正しくいえば、昔からではなく、今の日本人というべきか・・・
 こんなことのひとつひとつが腹立たしい今日この頃である・・・
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