小生、バンクーバーの頃から小平奈緒選手の大ファンである。さすがに現地に出掛けて・・・というほどではないが、あのほっこりとした雰囲気が大好きなのだ。
その小平選手、平昌五輪の1000mでは惜しくも銀メダルにとどまったが、まだ本命の500mがある。ぜひ悲願の金メダルを取ってほしいものである。
その小平選手にまつわる(ファンにはすでに有名だが)、ちょっといい話が記事になっていたので紹介しよう。
彼女は信州大学教育学部を卒業したインテリだが、なんと内定を得ていた企業への入社が白紙になったという過去を持っていた。
そこへ知り合いからなんとかならないかと相談を持ち掛けられていたのが、現在も所属している相澤病院の相澤孝夫理事長だった。
経営的には何のメリットもない、当時は無名に近いアスリートの採用に事務局長は難色を示したが、相澤理事長はこう反論したという。
「だけど、(相談者から)『困った』といわれた。どうするんだい」・・・記事にもあるように理事長は「義を見てせざるは勇なきなり」の人だった。
また採用面接のときの当時の人事部長の言葉がいかにも・・・だ。
「初対面では清楚な人、という印象を受けました。自己主張するタイプではなく、ちょっと控えめ。それでいて、彼女のトレードマークである四つ葉のクローバーのように、周りを幸せな気持ちにする人です」
そう、小生が彼女の顔を見るといつもほっこりするのは、この空気感だ。三十代となった今でもそのイメージのままの様子だろう。
そして翌年、バンクーバー五輪に出場した小平は団体パシュートで銀メダルを獲得、その銀メダルを持って病棟を回ったという。
ちなみに、患者さんたちにもこのときメダルに触ってもらったという。病気で動けない患者やその家族は、メダリストの訪問を心から喜んだという。
人工呼吸器を付けた患者に、「小平さんが来てくれたよ。頑張らなくちゃね」と声を弾ませて話しかける家族もいた。「ご家族も患者さまご自身も『力をもらった』と。いまも小平さんの頑張りから、元気や勇気をもらっている患者さんがいっぱいいます」と。
小平は、報道陣から五輪への思いを漢字一文字で表現してと注文され、『輪』を選んだという。「応援してくれる人、今まで支えてくれた人、(テレビ)画面から応援してくれる人…みんながひとつになるのが五輪」という意味だそうな。
この辺、いかにも小平選手の人柄が見えるようだ。
女子大生の頃、面識もない人が、就職先=居場所を作ってくれた。だから、人は繋がっていると信じられると・・・
今の小平選手なら、いくらでも好条件でのスポンサーのオファーはあるだろう。だが、きっと彼女はそんなオファーなど見向きもしないはず。
まだ気が早いが、将来彼女が指導者となったとしてもきっと相澤病院とのいい関係は続くのではと思う。
そして、今度こそ一番輝くメダルを持って病棟をつつましやかに回ってくれるはずだ。患者さんたちも、きっと首を長くして待っている・・・今からその光景が見えるようだ。
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