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話題の映画かどうかはわからないが、映画館の予告編で気になった「梅切らぬバカ」を観てきた。結論から言うと、万人にお勧めのエンターテイメント作品ではないが・・・
物語は、塚地武雅演じる自閉症の息子(といっても齢50歳)と母親(加賀まりこ)を中心に淡々と進む。
ご存じの方も多いと思うが、映画の表題の「梅切らぬバカ」とは、「桜切るバカ、梅切らぬバカ」の一部だが、その梅が物語の助演俳優でもある。
渡辺いっけい・森口瑤子・斎藤汰鷹の親子がくだんの家の隣に引っ越してくる。そして・・・というところで、ここからはネタバレになるので止めておく。
休日の午後の上映であったが、観客は多くはなく、この作品が万人ウケするようなものではないことを象徴している・・・
個人的な環境から、小生自身は極めて気持ちが入る状況だったが、一方で小生の嫌いなタイプの日本人がたくさん出てくる。
とはいえ、その日本人は残念ながら多数派であり、その多数派に入らない立場は常に攻撃されるのが日本という国なのだ。
そのひとつが学校のイジメであり、会社でのイジメ・パワハラである。
この映画を見ながら思い出したのだが、以前、小生の家に署名活動をしにきた人がいた。曰く、この近くに老人ホームを作る計画があるので反対署名に協力してくれという。その言い分は「迷惑施設ができることで、この周辺の資産価値が下がる」と。
これを聞き、小生ムカッとした。「老人ホームが迷惑施設という価値観は小生にはない。そもそも資産価値が下がったところで、実際に居住するには何の問題もないはず、その土地を転売するつもりでいるのですか」と。
だが、残念ながら老人ホームや障がい者施設、さらには保育園までもが迷惑施設になるのが今の日本なのだ。
落語をやる側の人間として、よく人にお話をするのが、「与太郎は地域のコミュニティの一員として差別されていない」ということ。
落語に出てくる与太郎や甚兵衛さんは、現代の仕分けでいえば障がい者に属するはず。少なくとも、その人たちは落語の中では仲間であってイジメの対象ではない。
元々日本人は、「皆と同じであることで安心する民族」だ。そして「同じでない人を差別したり攻撃する民族」でもある。だが、「同じでない」の物差しはどこにあるのか・・・いつからその物差しがこんなに狭くなってしまったのか。
この映画については見終わった後に、ぜひ小学生に学校などで見てほしいとも思った。
この映画の終わり方も象徴的である・・・日々の当たり前のような積み重ねの中に真実が見える。
そして和島監督は、加賀さんがパートナーの自閉症の息子さんと接している事実を全く知らずに出演をオファーしたそう。
作品には監督ご自身の病気のことも反映されていて、隠さずオープンにすることでいい循環や素敵な偶然も生まれたのかも。
上映館は全国にじわじわ拡大中。桂さんの記事もきっと鑑賞者を増やすはず。
このネタにリアクションいただきありがとうございます。
監督がそんな方だったとは、また加賀まりこさんの環境にもビックリです。
少なからず、小生も同様の環境を抱えており、映画見ながら、そうそう「あるある」なんてシーンも。ただ、そうした事象のことでなく、この映画で伝えたいテーマについて、少しでも多くの方に見ていただきたいと思いました。