元号が 平成から令和に移った
平成は 春爛漫の櫻の様に
勢いよく咲き誇り そしてまた
櫻花の様に潔く散る
令和は 万葉集を出典とし
天平二年正月〈730年〉
大伴旅人邸で
山上憶良らと 梅見の宴で
梅花を詠み
その歌の序文の一部といふ
梅は早春 寒風のなか
百花に先駆けて咲く
古木の黒い枝から
すっくと細い若草色の枝が
天に向かって伸びてゆく姿は
凛としていて
人の心を矯め直す力を孕む
また その実を得る為
兵糧攻めに備え
城中に植えられたといふ
生きる! に立脚した
梅の有り様に
令和といふ時代も
倣って❗️と願ふ
渾沌の世に梅の香よ
気高く薫れ
昔 この辺りは 松林で
風の日は終日
松籟に心委ねた
昭和33年8月
瓦山町内会 創立
今年還暦を迎えた
また昭和48年4月 老人倶楽部
松風会 設立
46年めの今年の
4月1日の集いを以って
元号の節目に合わせた様に
平成と共に 活動の幕を降ろした
今は亡き大勢の瓦山に
暮らした方々
集い 昔を語り 戦争体験を語り
懐かしい歌をうたい
悩みごとを打ち明け
共に泣き 助け合い 分け合い
笑って来た 幾春秋
お世話下さいました
N様 有難う御座いました
命有るもの 形有る物に
永遠は有りませんが
心の中に仕舞われたものは
色褪せない
宮城県の方言に
話しが及びました
・いずい を
標準語にしてみたら・・
・東京から嫁して来た方が
“浜から嫁して来ました“と
言ふ方に合い
よかった〜っ横浜出身の方だ❗️
心強いっ❗️と思って
よく聞いてみたら
海に面した土地柄を 浜 と
呼ぶことを知り
ガッカリなさったそうで・・・
皆 大笑いでした
今年の春 頂戴した蕗の薹
直ぐに軽く茹でて 冷凍庫へ・・
ばっけ味噌
〈仙台辺りで蕗の薹を
こう呼びます〉
忙しくて 味噌と三温糖を
練る時間が無くて 数日・・
その後娘の懐妊❗️
悪阻の為の嗜好の変化に対応
リクエスト料理に
てんやわんや・・
梅干作りの季節到来
天敵の夏
出産 産後肥立help・・・
蕗の薹は冷凍庫で冬眠ならぬ
夏眠
秋風が立ち始め
やっと やっと
季節外れの蕗の薹味噌作り
夏眠から目覚めた蕗の薹は
色も鮮やかに
香りも春のまま
待っていてくれました
味噌と三温糖を弱火で
30分程練り上げて
次の日 すっかり冷めたら
水分をしっかり取って
刻み 味噌と和えます
さあ
季節外れの蕗の薹味噌
仏様 神棚 曼荼羅掛軸に
御供えです
そして 明日は
東京の叔父・叔母に
姪達に
小田原の夫様のお姉様に
送ります📦
熱々御飯🍚と 召し上がれ
丁度
新米の季節ですね
子供の頃の 唯一の楽しみは
お小遣いで 本📚を買うこと
ささやかな小遣いは
本代に消えた
幾らの小遣いで
本代は如何程だったのか・・
この本は 150円とある
昭和35年頃のこと
誕生日のプレゼントに
炭鉱に暮らす兄弟姉妹の
末っ子の少女の 日記を
まとめた📙 にあんちゃんを
お願いしました
赤貧洗うが如し
炭坑夫の収入は・・・
貧しさ故の少女の哀しみが
飾らずに素直に書かれた
日々の日記からこぼれて来る
身につまされ
涙がこぼれた小学生の誕生日
🟢思い出したこと
炭鉱の大企業の子息の
晩御飯の様子を 夏のこととて
開け放たれた窓から覗いた
炭坑夫の子供達
次の日 登校するや
お前んち 昨日は
何の日だったんや❓と
炭坑夫の子供は聞く
意味の分からない
大企業の子息は
別に何の日でも無い❗️と
答える
食卓に普通に並べられた
夕餉の皿小鉢のお菜は
炭坑夫の子供達には
特別な日でも
食べられない献立
それが日常生活と知った
炭坑夫の子供達の驚き
そして それはまた
大企業の子息の驚きとなり
貧しい食事の日々を暮らす
炭坑夫の労働によって
自分は
特別な日でも食べられないと
言われた食事を のうのうと
食べ 暮らしていた
知らなかったこととは言え
恥ずかしさに身が縮み
親への憤りとなり
延いては資本主義社会への
反発となり
後 過激派組織に
身を投じた
二十歳代の頃
過激派の青年の手記を読み
にあんちゃんを
思い出しました
皆様方の訪れた
旅 の話に花が咲きました
その土地の様子
辻々の土産物屋 宿・・・
行ったことのない方々まで
擬似体験した
楽しい時間⏰でした
物見遊山 交友をあたためる
思い出を辿る
非日常を愉しむ等々
目的は様々・・・
古今東西 旅 は
人間の潜在願望と
思えてならない
鎌倉時代 平家に焼かれた
東大寺再建の為の
砂金勧進を依頼され
奥州藤原氏へ向かった 西行
江戸前期
松島の月🌕まず心にかかりて と
みちのくの旅に出た 芭蕉
江戸後期に 菅江真澄は
旅行家として日本国中を旅し
その紀行文は
当時の風俗を知る
貴重な資料として残る
やがて人生そのものが
旅 であると思われて来る
目に見えぬ定めの所へ産まれ
出会い 別離を繰り返し
歩みを止めることなく
人生を生き
やがて死出の旅に出る
これも 旅の
最終章ではないらしい
大相撲 貴景勝は
22歳で大関に昇進
1958年 年6場所制になって
9番目の若さといふ
大関昇進の口上に
武士道精神を重んじ 云々
武士道 は
明治32年 〈1899年〉
38歳の 新渡戸稲造が
アメリカ🇺🇸から出版した
原文は英文で書かれ
The Soul of Japan
〈日本の魂〉と
サブタイトルを付けた
日本民族は
正しく理解されていないとの
危惧感からだった
冒頭に
高き身分の者に伴う義務 とあり
武士道は
日本の象徴である
櫻花と同じ様に
日本国土に咲く
固有の華である・・・と続く
櫻待つ季節 武士道を
開いてみては如何でしょう
庭に来る 野鳥の名前と
鳴き声が知りたかった・・・
ある日
森林公園の入口の
台原コミュニティ・センターに
出勤すると
玄関の重い硝子戸の下に
小鳥🐦が一羽 くちばしあたりを
血まみれにして死んでいた
見ると 硝子戸にも
血がついていた
今時は野鳥も様々な
病原菌🦠を持っていたりする・・
紙に包んで 持ち帰り
さて あなた🐦のお名前は・・・
鳴き声は・・・
四苦八苦して調べたら
ジョウビタキ 黒と🟠色の
雀よりちょっと大きな
可愛い野鳥
庭の隅に弔いました
出会いました 野鳥図鑑に
何と鳥の鳴き声が聴ける
QRコード付き・・
差し詰め 昔なら
ソノシート
少し前なら CD💿
QRコードとは
なるほど なるほど
大好きなホトトギス
お久し振りです・・
あの日のジョウビタキ
こんな鳴き声でしたのね
素敵な本📚に出会えた
秋