翡翠庵閑話

野鳥が好きな、閑人の独り言と日常の見聞録。少し遅れてUPする場合が多いですが、内容と日付は、合うようにしています。

セミの初鳴き

2024年07月04日 | 自然(公園含む)

 今朝、我家の前庭でクマゼミの鳴き声を聞きました。今年の初鳴きです。

 今年は35度越えの猛暑日が続く暑い夏で、セミが鳴くのが遅いなと言う気もしますが、早くから暑いと言ってもセミにはセミの事情があって簡単には地中から出てこれないようです。

 昔、10年ほど(2001年から2010年)我家の前庭のセミの鳴き声観察をした記録がありますが、これを見直してみると、7月4日が初鳴きという日が4回ありました。6月30日~7月5日というほぼ同じ頃(週)にして見ると、7回になります。従って、今年も従来どおりかなと云えるようです。なお、この週より早い年は無く、残りは7月9日、12日、16日 という記録になっていました。

 初鳴き後約2週間、耳をつんざくような状態になり8月の中旬過ぎると段々と下火になる、と言うのがセミの鳴き声のスケジュールです。

ーー7月13日撮影、追加ーー

 セミ合唱団の舞台は、こんな所です。手すりの中は、我家のささやかな家庭菜園。今はトマトが少しずつ収穫できます。

 今のスマホにはパノラマモードがありましたので、左右を可能な限り広げてみました。かなり密な植栽となっていますが、我家に木陰が出来るかというと全く出来ません。セミが飛び交うのを目の高さで見ることができますが。

 前の文の2000年初頭の頃は ↓ のようでした。(2010年7月1日撮影)木が育ちすぎて少し手入れした方が良いのでは?の声が出始めていました。画面中央左にあった大きなケヤキのうち手前の1本が切られ、右の植栽も少し手入れがされました。

 

ーー 7月18日 追記 ーー

 この日、東海・関東甲信越は梅雨明けしたと見られるとテレビで報じていました。クマゼミは、大合唱状態になっています。サッシを閉めてロックしていても、かなり大きな鳴き声が室内に入ってきます。また、木々の間を飛び交う姿も見られます。午後になるとお昼寝をする様で、しばらく静かになりますが、今度はアブラゼミが鳴き出します。


茨城への旅

2024年06月20日 | 紀行、旅

 6月18日から20日まで、家内も私も初めての茨城への旅をしました。娘が結婚して、双方の親の住む所を訪ねることを口約束していたのですが、コロナ禍になってしまい延び延びになっていたのですが、やっと第1弾が実現しました。スケジュール等は娘婿のT君が立ててくれ、我々は水戸駅まで行けば後はおまかせの旅でした。

 出発の日、日本列島は荒れ模様で、西の方から線状降水帯が太平洋岸を移動してくるというあまりありがたくないお天気でした。ひょっとすると静岡あたりで追いつかれ、新幹線止まる?という良くない予想が脳裏をかすめ、少々強い雨の中を早めに出発しました。

 1本早い新幹線に乗れたので、東京駅には当初予定より30分以上早く着きました。お昼をスタバで簡単に済ませていると、電光掲示板が、新幹線運転見合わせーを流していました。予定どおりの列車に乗っていたら、今頃は三島か小田原あたりで停車させられ、到着はかなり遅れたのではと思うと早めに出る判断は良かった様です。

 東京からは常磐線です。私も家内も初めて乗ります。特急は30分毎に走っていますが、全部指定席。自由席になれている我々にとっては、時間に縛られ少々窮屈な感じがしました。でも時間のせいかガラガラの状態でした。座席未指定の指定券(空いてたら座れる)もあるようですが、ややこしいので正規の指定席を求めておきました。品川発ですが、駅構内に慣れている東京乗換にしました。

 そんなわけで途中写真を撮る余裕も無く、落ち着いたのは宿で夕食の席についてからでした。宿は那珂川の河口から少し上流、海門橋がよく見える高台にあり、赤い大きな橋が夕日でライトアップされたように見えました。(右上の 丸 は部屋の照明の写りこみ)

 上流側を見ると、陽が沈んだところでした。

 もう一度、橋を見ると陽が当たらなくなって、赤い色は無くなっていました。夕陽によるライトアップのようでした。

 橋について、帰宅後に調べたら、明治以降5代目の橋で(それ以前は、渡船しか無かった)3代目までは木造。4代目(昭和5年完成)はコンクリート製、しかし基礎に問題があり、作っているときから橋脚が沈下していて、完成後8年目(昭和13年6月)の大水で一晩で崩落。その後20年間は戦中戦後の混乱期で、再建は出来なかった様です。「海門橋 小山いと子:昭和8年発表」という小説が生まれているほど、数奇な運命の橋だったようです。5代目(鋼製ランガー橋 昭和34年完成)はしっかり地質調査もして出来ているので、そんな心配は無いでしょう。橋中央部は水面まで15mあり、漁船の往来を考慮したものだそうです。

 落ち着いて夕食の時間に入りましたが、5年振りの再会でおしゃべりに熱中し食事中の写真はほとんど無し。大きな岩牡蠣が印象的な一品でした。お品書には「茨城県産蒸し岩牡蠣ポン酢」とありました。

 食事もさることながら、両家の家族が揃うのは5年振りのことで、娘が自分のブログに、両親同士の話が尽きなかった!とこんな写真を添えて書いていました。

 (娘の顔にはマスキングしてなかったので、私が書き足しました)

 

 翌日は、向こうのご両親は都合で先に帰宅されましたが、我々は娘夫婦の案内で近隣を観光しました。

 先ず行ったのは、大洗海岸。海岸線の砂浜は狭く岩場が続きます。太平洋の波が穏やかなこの日も強く波立っていました。大洗の名前の由縁でしょうか。

 夏には早いので人出はありません。岩礁と波と砂浜が、長く続いている様です。岩の上には鳥居があり、この先の崖の上には神社があるようです。岸辺の建物は宿泊施設で、道路沿いにかなり建っておりシーズンには賑わうようです。岩礁の外はいきなり太平洋で、サーフィンのメッカでもあるようです。浜辺の緑はハマナスのようで、小さい白い花を付けていました。黄色いネットのような植物は正体不明です。

 ひたちなか市側の海岸。広い広場になっています。何かイベントの準備で架設のステージでも建てる準備をしている様でした。

 次に行ったのは「国営ひたち海浜公園」。広大な駐車場も今はガラガラ。シーズン中に端っこにしか駐車出来なかったとしたら、ゲートを入るまでにかなり歩くことになります。

 メインゲートを入って中を巡るトレインの乗り場は?と探すのも大変でした。

 乗り降り自由のトレイン。そのまま一周すると40分ほどかかるそうですから、かなり広い敷地です。最初に観覧車に乗りました。

 観覧車に乗って頂上に近づくに従って園内の様子がわかり、居ながらにして周遊した気分でした。

 観覧車が頂点に達した頃、春のネモフィラで有名な「みはらしの丘」の向こうに発電所が見えました。後日地図で確認すると、右は常陸那珂火力(石炭)、中の奥の方に東海第2原子力があるはずですが、確とは分かりませんでした。

 観覧車を降りて再度トレインに乗り、みはらしの丘に近づくとネモフィラからコキアに植え替えの最中でした。丘の麓で風景を眺めながらお弁当を食べられるようになっていました。

 香の谷でも途中下車。ラベンダーやローズマリーなどハーブ類が沢山植えられていました。近くにある、グラスハウスで太平洋を遠望しながら休憩しました。ここはガラス張りの軽食堂兼イベントスペースのようでした。

 この公園はとにかく広い!時々来て、色々な楽しみ方が出来そうです。近くに住んでいれば年間パスポートを買って、毎週来ても飽きないかもしれません。

 

 海浜公園を出て、那珂湊おさかな市場へ寄りました。もう午後遅いので、お客さんは一般消費者・観光客ばかりです。漁港直結の市場なのでスーパーで並んでるお魚とは違ってほとんど丸のままです。それにしても安い!近くに住んでいれば買って帰りたいくらいです。そろそろ閉店?のようで「半額で良いよ!」なんて声をかけていました。T君は腕に覚えがあるので、今晩用にお刺身用のブリの柵を求めていました。

 お魚市場を後にして、向こうのお宅へ向かいました。ここでも話が盛り上がり楽しい一夜を過ごさせてもらいました。


鶴舞公園 普選壇 再確認して来ました

2024年06月11日 | 雑文

 前に、現在の朝ドラのバックによく使われている鶴舞公園について書きましたが、ちょっと調査不足だった、普選壇(普通選挙記念壇)を、美術館の帰りに途中下車して再度見て来ました。

 前回は、正面背後にある青銅板の文字が欠けているように見えると書きましたが、ちょっと年季が入って汚れが目立つだけで、近寄って見るとちゃんと読むことが出来ました。先の戦争では失われたが、昭和42年に復元されたと上の歴史散歩案内板に書いてあります。

 壇の左袖には、ご誓文の英訳もあります。右袖には建設の趣旨が書かれています。

 裏へ回ってみると、子供の頃は自由に出たり入ったりしていた舞台袖への出入り口は塞がれていました。使用に当たっては、有料である為でしょうか。市の景観重要建造物である表示もありました。

 壇の裏正面にこんな表示も有りました。子供の頃には気が付かなかったものです。顧問 文学博士 坪内雄藏 は、坪内逍遙の事で、著名人に設立趣旨など賛同してもらい箔を付けたものでしょうか?

 普選壇の裏から北を見ると、朝ドラのシーンに使われた噴水と市公会堂があります。

 普選壇の東側はバラ園で、その向こうには奏楽堂があります。先回はコスプレイヤーの大会でこんな落ち着いた風景ではありませんでした。もっともバラの時季は終わってしまい少々淋しくなった公園でした。


第46回 日本新工芸展 (松坂屋美術館)

2024年06月11日 | 美術(その他展覧会含む)

 タイトルの展覧会を見て来ました。会期の短い展覧会なので早めに行って来ました、と言っても会期半ば・・・。ここでの展覧会の後、各地を回るようです。

 陶芸が多いのでいつもの美術館とは違う雰囲気です。

 壁面のものは、染色が多くありました。明るい雰囲気のものが多かった様でした。

 この展覧会に七宝でカワセミをデフォルメした作品を出される方がいますが、今回も色合い的にはその雰囲気ですが、尾羽がカワセミとはちょっと違っているので別の鳥(ヤマドリ?)の様でした。鳳凰の様な感じもしますが作品名(碧の響)からだけでは分かりませんでした。


熱田まつりの花火

2024年06月05日 | 団地・町内会の行事、出来事

 6月5日は、曜日に関係なく熱田まつりが開催されます。昼間は熱田神宮境内では、勅使も迎えての厳粛なお祀りが執り行われます。これは傍らから見学することも出来ますが、炎天下なので老体の身には応えるので、私は行ったことはありません。

 また境内に屋台が出て夜店になり、そぞろ歩くのが庶民の楽しみです。この日からは浴衣を着ても良いという習慣から、近隣の子供たちもちょっとおしゃれをして三々五々友達同士連れだって出かけて行く姿に会いました。夜店は、最近は時間になると(花火の終わる8時半か9時だったと思います)一斉に消灯し帰宅を促し、夜遊び出来ないようにしています。

 さて花火ですが、夜7時40分から8時30分までの50分に、神宮から少し離れた公園から打ち上げられます。推奨される見物場所は打ち上げられる公園の西にある堀川端の白鳥公園が勧められていますが、私はいつも散歩する公園の西端から眺めます。

 以下は花火のもようです。初めのうちは単発のものばかりで、見栄えはちょっと物足りません。(PCでは田の字型にレイアウトしてあります。スマホでは縦に並びます)

 中盤を過ぎるあたりから少し複雑なもの、2、3発同時だったりして華やかさが出てきます。

 そろそろ終わりになる時間の5分前くらいから、一層華やかなものが続き、何となくクライマックス感が出てきます。

 これが最後のシーン。少し遅れて音が聞こえてきますが、終わりだよ!と告げられているようです。

 気が付くと熱田駅のホームが見えます。ホームからは見えないと思います。この前にケリがいる広場があるのですが、ケリも楽しんでいるかビックリしているか?聞いてみたいものです。

 花火が終わった直後の公園の端っこ。ちょっと土手になっていて用意の良い人は、椅子やらシートを持って見物に来ていました。


ケリに会いに行って来ました

2024年06月04日 | 野鳥

 熱田陸橋の南側の広大な空地に、ケリがいるのを見つけたのは今年の2月20日。それから5月5日にも見ています。今回はここを所用で通りかかった家内から、ケリがいたよ!とメールが来ました。早速確認に行って来ました。

 居ました、居ました。簡単に見つけることが出来ました。でも、今日は好天過ぎて、しかも逆光、まぶしい中での観察となりました。

 もう少し引き寄せてアップで。逆光なので折角の赤いお目々がクッキリとは写りません。

 近くを探すとケリは3羽いるようです。みんな揃ったところを1枚と思いましたが、バラバラで好き勝手に動くのでそれはかないませんでした。

 しかし、よく見ると小さいのが1羽います。ヒナか?と思いましたが、コチドリのようです。

 少し近づいて横を向いたところです。あまり荒れない程度にトリミングして疑似望遠してみるとやっぱりコチドリです。河原のような所もありますので、コチドリも寄ってくれた様です。

 さて帰ろうかと思いケリにさよならしたら、何だか巣を覗いている様な動作をします。

 ここで営巣中か?とよく目を凝らして見ましたがちょっと確認は出来ませんでした。かがんだクチバシの先に卵のようなものがあるような無いような、はっきりしませんでした。まぁ時々行って、ヒナを連れて散歩するかどうか観察することにします。

 それにしても、ここは街中なのに広い空地ですね。左の方はかなりカットしてます。右の方に、名鉄、JR、鉄塔があるのが区役所です。いつまでこのままか?永久にでも構いません。

 空地の周りはこんな柵で囲われています。もう数年になるので少々曲がっているところもあります。柵にスズメがいますね。

 スズメさんだけズームしてみました。クチバシがまだ黒くない(黄色い)ので孵ったばかりの若鳥かと思います。


夕方の公園散歩

2024年05月26日 | 野鳥

 夕方頃、公園に散歩に行って来ました。初夏の夕方ですからまだかなり明るい状態です。意識して運動代わりに散歩したりジョギングしたりする人がチラホラいるくらいで静かな公園です。

 広場を囲む遊歩道で、ちょっと見てはいけない?ものを見てしまいました。

 妙に仲良しのハトが道にいました。その時、私を含めて三人ほど人がいましたが・・・・

 黒いハトの上に白いハトが乗りました。この状態は一瞬のことです。

 英語では、mating or copulate と云うようです。白いハトは♂という事になります。他のギャラリーは初めて見た事らしく、何?と云う顔をしていましたので、さりげなく説明してあげました。私はこの公園で2度目くらいです。

 仲良しハトさんと別れて北の方へ行くと、カシワバアジサイが咲いていました。

 菖蒲の池でも、花が咲き出していました。今年はかなり念入りに手入れをしていたので、もう少し見栄えのする状態になるのではと期待してます。

 広場周囲のドングリのなる木は新しい葉を付けて夕映えの中で一段と輝いて見えました。


バンクシーが画いた?堤防の絵 その後(新堀川)

2024年05月26日 | 自然(公園含む)

 今年、3月8日に表題の不思議な光景を見たことを書きました。かなり時間が経ってしまいましたが、本日思い出してどうなったか見て来ました。

↓ 3月8日に載せたシーン

↓ 本日のシーン 堤防に画いたように残っていた枝(蔓 つる?)からしっかりと芽吹いており、新たに伸びた若葉も確認できます。

 対岸の見える所へ行ったものの、すっかり違う光景に何処だったか分かりませんでした。何枚かアップしたものを撮って家に帰り、上下に並べて見て、まぁここだろうと決めました。(左端に鉄骨が見えますが、これは最後に近づいた絵を載せました)

 近づいて見ると、葉っぱはしっかり盛り上がっており、冬になると枝が堤防に画かれた様だということは想像できません。

 鉄骨?の正体は電力会社の川を渡る送電線でした。河川横断の地中送電線かと思います。電圧高そうなのでしっかりガードしているようです。この鉄骨にも蔓が巻き付き葉っぱが茂っていました。端っこの鉄板で中の送電線まで巻き付かないよう鉄板が巻いてありますが、そんなの突破するような勢いです。


木村光宏日本画展 我行画想、喜々想描 (古川美術館、同分館)

2024年05月14日 | 美術(その他展覧会含む)

 古川美術館へタイトルの展覧会を見に行って来ました。木村光宏氏はこの地方を代表する日本画家です。

 本館では大きな作品が中心で、主にこの地方の風景を題材にしたものが展示されていました。氏の作品の軌跡を追うように展示されていました。

 分館では、部屋に合うように少し小さめの花や風景を画いた作品が展示されていました。


朝ドラに出ました(2)鶴舞公園

2024年05月11日 | 音楽・映画(演劇含む)

 朝ドラのシーンに出てくる鶴舞公園。最近も新しいシーンが出てきました。どうも日比谷公園の代わりらしいですが、懐かしい風景として見てくれている人も多いのではと思います。私も子供の頃の遊び場がこんなに有名?になるのは嬉しいことです。最近、新しく加わったシーンに出たところを巡ってみました。

 これは劇中には出てきませんが、正門とも云うべき「鶴舞公園」と書かれた扁額がある所です。子供の頃は、JR中央線のガードに取付けてありましたが、複線化工事で一時取り外されガードをくぐって入った所に安住の地を得たようです。遠くには噴水が見えます。

 昔々の物ですから右から読みます。左端には揮毫者の署名と落款も付いています。

 揮毫者の部分は、正二位大勲位桂太郎 陸軍大臣 桂??印 と読めますが正確にはまた調べてみます。

 噴水の手すり部分だけを、バックに使っていたシーンもあったと思います。

 この日は土曜日で何やら賑やかです。どうもコスプレイヤーの大会でもやっているようです。着替えのテントらしき物も目につきます。

 噴水の東に位置する奏楽堂。ここも遠望する形で出ていたと思います。(子供の頃は音楽堂と呼んで、遊びの集合場所にしたものです。)ここもコスプレイヤーに占領されています。

 奏楽堂も子供の頃は戦前の地震で壊れたらしくて、復興したものの、もっとシンプルな形でした。昔の形に復元されてドーム型の屋根が付き、手すりも付きました。手すりには楽譜が付いていますが「君が代」を表している由です。

 奏楽堂の南側はバラ園になっていて花盛りですが、仮装の人が多くて花見に来た人は少々面食らっているのではと思います。私もバラと奏楽堂を狙ってみましたが人が途切れることはありませんでした。

 まだ登場していませんが「普選壇」と呼ばれる由緒ある建造物があります。普通選挙施行を記念して建てられた様です。記念の演説会でも開かれたのでしょうか?正面の緑の部分には「五箇条のご誓文」がレリーフとなっていたはずですが、拡大してみると剥ぎ取られているようです。今度行った折りに再度確認してみます。ここは司法に関係する最も相応しい場所だと思うのですが、いずれ登場するのでしょうか?

 子供の頃は椅子などは無く傾斜した芝生の広場でした。椅子が設けられてから、将棋盤を持ち込んで青空対決をする人が沢山いました。今はどうなのかな?午前中にでも行かないと分からないと思います。今回はここまで。またアジサイの時にでも寄ってみます。