翡翠庵閑話

野鳥が好きな、閑人の独り言と日常の見聞録。少し遅れてUPする場合が多いですが、内容と日付は、合うようにしています。

岐阜・大垣への小旅行

2024年07月10日 | 紀行、旅

 岐阜に住む妹夫婦から、久し振りに会いませんかと誘いがあり、老夫婦2組で日帰りの小旅行をしました。

 メインの目標は大垣で「鮎」を食べることでしたが、西岐阜駅で落ち合い最近出来た岐阜県庁からの眺めが良いので案内しますとのことで、新県庁へ向かいました。美術館などがある地域でした。

 広々とした敷地の駐車場から建物を仰ぎ見ました。大きすぎて全部入りません。パノラマモードにすれば良かったのですが、左、右と2枚撮っておきました。真ん中がかなり抜けています。

 3階までと20階は公開エリアになっていて、開庁時間は誰でも入れるそうです。

 1、2、3階の中心部は吹き抜けになっておりエレベータホールになっています。木をたっぷり使った居心地の良さそうな場所です。何処かの小学生が社会見学に訪れたのか集まって先生のお話を聞いていました。

 専用のエレベータで一気に20階です。周りが全部こんなガラス張りの展望室になっています。外へは出られません。

↑ 北東方向。曇り空でシルエットですが、岐阜市中心部・柳ヶ瀬、金華山(岐阜城)が見えます。

↑ 左 金華山のアップ  ↑ 右 南方向、木曽川とはるか彼方に名古屋駅前のビル群が見えます。

 ↑ 北西。長良川に掛かる橋の向こうに雲がかかった伊吹山、左寄りの窪んだ所が関ヶ原か?

 ↑ 南西。長良川の流れ(右から左に流れる)と養老山脈

 ↑ 室内はぐるりとこんな木組みそのまま、ガラス張りの展望室です。

 ↑ 椅子とテーブルが要所に配置してあって、のんびり休憩も出来ます。周囲にあまり高い建物は無く、歴史的景観が望めるので新名所になるでしょう。信長になった気分になれそうです。中心部(上では左側の壁面)は大小の会議室が並んでいます。

 県庁はまたお天気の良いときに寄ってみたいと思いました。

 鮎料理のお店は、大垣の今宿という地にありました。昔は宿場?だったような地名ですが、お店の外にはソフトピアセンタージャパンの建物が見えて、今はIT、DXの起業家が集まる地のようです。

 主目的の鮎料理ですが、お刺身が街のスーパーでは手に入らないもので、コリコリしてとても美味しかったです。手前は甘露煮。ちょっと手を付けて証拠を残さなくてはと撮った写真です。

 あとは食べるのに専念しました。思い出して撮ったのは姿焼き(塩焼き)です。囲炉裏風の盛り付けをしてテーブルに出てきました。

 鮎を堪能した後は、大垣は初めてでしょうと、少し”観光”をしてくれました。義弟は高校時代は大垣でしたので良く知っているはずですが、昔とは変わったな?と言いながらハンドルを握っていました。大垣城の周辺の街を回り、昔、川湊だった所で下車し周辺を散策しました。

 伊勢へ向かう船着き場の道標が立っていました。「南いせ くわなへ十り さいがうみち」と書いてある様です。俳句の韻を踏んでおりこのような道標は珍しいそうです。くわなへ=桑苗 春の季語の由 さいがうみち=調べましたがよく判りません。参詣道?のような解説を見たような? ただしここに建っているのは展示用の複製で、本物は近くの記念館に保管されているようです。近くに建っていた説明では「谷木因建立の俳句道標」 とありました。

 その後、色々調べてちょっと判ったことは、さいがうみち=在郷道 の様です。在郷は、いなか、ふる里 と言う意味もあり、南へ行けば、桑名まで十里、芭蕉さんあなたのふる里への道ですよ と言うような意味になりそうな気がします。(全体を口語訳したような解説になるようなものは見つかりませんでした。あくまで私見です。)

 この水路から揖斐川に通じており近年までは水運の大動脈だった様です。対岸には灯台が復元されていました。木造ですが熱田の宮の渡しの灯台より高いものでした。周辺は桜の木が多くお花見のシーズンには賑わうようです。川を往き来した船も泊められ、赤い橋が架かっていたりして風情もあります。大垣・桑名は10里、桑名・宮は7里、直行便はあったのかな?と思いました。

 大垣は「奥の細道」のゴールの地ですが、奥の細道 むすびの地 という石碑も建っていました。

 石碑の奥に見えるのは、大垣の弟子(谷木因等)と別れ、伊勢へ帰る芭蕉の別れのシーンの像が建っていました。(2人の間が離れているのは何故だか分かりません。芭蕉さんだけアップしておきます。)その後の調べでは、木因等4人が長島まで一緒に乗っていき最後の句会をしたようです。

 近くには「奥の細道むすびの地記念館」もありましたが時間の都合で見学は省略。下はこの地の某藩士が別荘に使っていた古民家と門で、句会を開いたりしていたようです。記念館の前にある駐車場の横にありました。記念館のある地は、木因の旧宅があった所のようです。

 駐車場の脇にある最近出来た休憩所で一服して、大垣駅から名古屋へ帰りました。休んだ隣の建物に大垣の夏の食べ物、金蝶饅頭が売られていたらしいのですが、この次の楽しみにとっておきます。

 日帰りの小旅行ではありましたが、内容盛りだくさん、もう一度行ってみたい意義ある一日でした。


茨城への旅

2024年06月20日 | 紀行、旅

 6月18日から20日まで、家内も私も初めての茨城への旅をしました。娘が結婚して、双方の親の住む所を訪ねることを口約束していたのですが、コロナ禍になってしまい延び延びになっていたのですが、やっと第1弾が実現しました。スケジュール等は娘婿のT君が立ててくれ、我々は水戸駅まで行けば後はおまかせの旅でした。

 出発の日、日本列島は荒れ模様で、西の方から線状降水帯が太平洋岸を移動してくるというあまりありがたくないお天気でした。ひょっとすると静岡あたりで追いつかれ、新幹線止まる?という良くない予想が脳裏をかすめ、少々強い雨の中を早めに出発しました。

 1本早い新幹線に乗れたので、東京駅には当初予定より30分以上早く着きました。お昼をスタバで簡単に済ませていると、電光掲示板が、新幹線運転見合わせーを流していました。予定どおりの列車に乗っていたら、今頃は三島か小田原あたりで停車させられ、到着はかなり遅れたのではと思うと早めに出る判断は良かった様です。

 東京からは常磐線です。私も家内も初めて乗ります。特急は30分毎に走っていますが、全部指定席。自由席になれている我々にとっては、時間に縛られ少々窮屈な感じがしました。でも時間のせいかガラガラの状態でした。座席未指定の指定券(空いてたら座れる)もあるようですが、ややこしいので正規の指定席を求めておきました。品川発ですが、駅構内に慣れている東京乗換にしました。

 そんなわけで途中写真を撮る余裕も無く、落ち着いたのは宿で夕食の席についてからでした。宿は那珂川の河口から少し上流、海門橋がよく見える高台にあり、赤い大きな橋が夕日でライトアップされたように見えました。(右上の 丸 は部屋の照明の写りこみ)

 上流側を見ると、陽が沈んだところでした。

 もう一度、橋を見ると陽が当たらなくなって、赤い色は無くなっていました。夕陽によるライトアップのようでした。

 橋について、帰宅後に調べたら、明治以降5代目の橋で(それ以前は、渡船しか無かった)3代目までは木造。4代目(昭和5年完成)はコンクリート製、しかし基礎に問題があり、作っているときから橋脚が沈下していて、完成後8年目(昭和13年6月)の大水で一晩で崩落。その後20年間は戦中戦後の混乱期で、再建は出来なかった様です。「海門橋 小山いと子:昭和8年発表」という小説が生まれているほど、数奇な運命の橋だったようです。5代目(鋼製ランガー橋 昭和34年完成)はしっかり地質調査もして出来ているので、そんな心配は無いでしょう。橋中央部は水面まで15mあり、漁船の往来を考慮したものだそうです。

 落ち着いて夕食の時間に入りましたが、5年振りの再会でおしゃべりに熱中し食事中の写真はほとんど無し。大きな岩牡蠣が印象的な一品でした。お品書には「茨城県産蒸し岩牡蠣ポン酢」とありました。

 食事もさることながら、両家の家族が揃うのは5年振りのことで、娘が自分のブログに、両親同士の話が尽きなかった!とこんな写真を添えて書いていました。

 (娘の顔にはマスキングしてなかったので、私が書き足しました)

 

 翌日は、向こうのご両親は都合で先に帰宅されましたが、我々は娘夫婦の案内で近隣を観光しました。

 先ず行ったのは、大洗海岸。海岸線の砂浜は狭く岩場が続きます。太平洋の波が穏やかなこの日も強く波立っていました。大洗の名前の由縁でしょうか。

 夏には早いので人出はありません。岩礁と波と砂浜が、長く続いている様です。岩の上には鳥居があり、この先の崖の上には神社があるようです。岸辺の建物は宿泊施設で、道路沿いにかなり建っておりシーズンには賑わうようです。岩礁の外はいきなり太平洋で、サーフィンのメッカでもあるようです。浜辺の緑はハマナスのようで、小さい白い花を付けていました。黄色いネットのような植物は正体不明です。

 ひたちなか市側の海岸。広い広場になっています。何かイベントの準備で架設のステージでも建てる準備をしている様でした。

 次に行ったのは「国営ひたち海浜公園」。広大な駐車場も今はガラガラ。シーズン中に端っこにしか駐車出来なかったとしたら、ゲートを入るまでにかなり歩くことになります。

 メインゲートを入って中を巡るトレインの乗り場は?と探すのも大変でした。

 乗り降り自由のトレイン。そのまま一周すると40分ほどかかるそうですから、かなり広い敷地です。最初に観覧車に乗りました。

 観覧車に乗って頂上に近づくに従って園内の様子がわかり、居ながらにして周遊した気分でした。

 観覧車が頂点に達した頃、春のネモフィラで有名な「みはらしの丘」の向こうに発電所が見えました。後日地図で確認すると、右は常陸那珂火力(石炭)、中の奥の方に東海第2原子力があるはずですが、確とは分かりませんでした。

 観覧車を降りて再度トレインに乗り、みはらしの丘に近づくとネモフィラからコキアに植え替えの最中でした。丘の麓で風景を眺めながらお弁当を食べられるようになっていました。

 香の谷でも途中下車。ラベンダーやローズマリーなどハーブ類が沢山植えられていました。近くにある、グラスハウスで太平洋を遠望しながら休憩しました。ここはガラス張りの軽食堂兼イベントスペースのようでした。

 この公園はとにかく広い!時々来て、色々な楽しみ方が出来そうです。近くに住んでいれば年間パスポートを買って、毎週来ても飽きないかもしれません。

 

 海浜公園を出て、那珂湊おさかな市場へ寄りました。もう午後遅いので、お客さんは一般消費者・観光客ばかりです。漁港直結の市場なのでスーパーで並んでるお魚とは違ってほとんど丸のままです。それにしても安い!近くに住んでいれば買って帰りたいくらいです。そろそろ閉店?のようで「半額で良いよ!」なんて声をかけていました。T君は腕に覚えがあるので、今晩用にお刺身用のブリの柵を求めていました。

 お魚市場を後にして、向こうのお宅へ向かいました。ここでも話が盛り上がり楽しい一夜を過ごさせてもらいました。


イチゴ狩り

2023年04月23日 | 紀行、旅

 仕事を兼ねて来名していた娘夫婦ですが、仕事がオフの日に何処かへ行こうと云うことになり、急遽イチゴ狩りに行って来ました。場所は娘がネットで調べて予約してくれた所です。以前行ったことがある知多の方面は予約満杯で、何とか空いていた所は名古屋市内!と言っても東の外れで、見覚えのある隣の市にある変電所の建物が見える所でした。

 害虫が入らないようにか、完全な温室の中で採りやすいように栽培されているイチゴ園でした。交配はどうするのか気になって作業をしていた人に聴いてみたら、蜂を使うそうです。刷毛で人間がやるのかと思ったら、それではとても追いつかないと言うことでした。

 最後に皆で記念写真を撮りました。娘が自分のブログに掲げていたものを流用しましたが、娘自身にはお面を付けていなかったので、私が図形ソフトで加工しました。


榛名山ー前橋市内から

2023年01月15日 | 紀行、旅

 宿泊したホテルの窓カーテンを開けると、真正面に榛名山の山塊に朝の日が当たろうとしているところでした。左下の丸い地球?のようなものは上毛新聞社入り口のモニュメントらしい。正面の斜めのものは、新前橋駅正面玄関三角屋根の左側です。

 ちょっとズームアップして山塊だけを撮ってみました。真ん中の尖った峰の左、ちょっと低いが格好いいのが榛名富士です。あいにくの曇で山裾はもやの中です。

 先の2枚は1月14日。翌15日の朝は良いお天気で、一段ときれいでしたので、同じシーンをもう一度。

 ズームアップしているうちに山裾が影に入りました。赤城山の影でしょうか?右遠方の雪を被った山並みは、上越国境の山々です。もうすこし右へ振ると谷川岳も見えるようですが、スマホでは限界です。


3年振りの新幹線

2023年01月13日 | 紀行、旅

 コロナ禍になってずっと旅はしていませんでした。年が明けて間もない頃、拠ん所ない事情により家内の里へ、ほぼとんぼ返りの旅をすることになりました。少しだけ旅で見た「拾いもの」を留めておきます。

 名古屋駅。駅へ来ると旅に出るのだという感情が湧くものですが、今回はそんな気があまり起こらない旅です。新幹線ホームの東側、在来線の間の工事はリニア新幹線駅の工事でしょうか?当分の間こんな風景が続くのでしょう。

 西側を見ると駅の外ですがクレーンがいくつか見えます。あれもリニア関連の工事か、それとも民間の再開発ビル?の様に感じました。

 富士駅を通過してまもなく、天気予報から富士山が見えるのを期待していなかったのですが、若干霞んではいるものの富士山が全容を見せてくれました。今の時期もう少し雪があっても良さそうですが、ほんのわずかしかありませんでした。富士市の街中は工場やら電柱が邪魔しますがそれを外れると田園の中に全容を表してくれます。

 田園風景の中で見られるのはほんの一瞬に近い時間で、10秒ちょっとで山裾がこんなに隠れてしまいます。前にある山が迫ってきて次の10秒後には完全に隠れます。でも予期せぬ富士山が見られたので良かったです。


熱田駅の「しらさぎ」

2022年09月21日 | 紀行、旅

 うん?変なタイトル ですが、ちゃんといたのです。

 よく訪問させていただくブログの主さんが大阪から金沢に引っ越しされて、サンダーバードで里帰り?されたことを書いていらっしゃいました。金沢?サンダーバード?そう聞くと金沢・名古屋間には「しらさぎ」が走っているはず。しかも名古屋へ着くと次の出発まで我家の近くの熱田駅へつばさ?を休めに来ているのを思い出しました。今も来ているのかしら?と、にわか鉄道マニアになって駅の近くに行ってみました。

 住宅展示場があった空き地の向こうに、名鉄の線路があってその奥がJRの留置線。止まっている6両編成の列車は間違いなくJRの特急です。その奥、右の建物は熱田区役所、さらに奥の杜は熱田神宮です。

 居ることは居ましたが、どうも昔見た姿とはちょっと違っていました。前は「しらさぎ」の絵がついたエンブレムを付けていましたが付いていません。近づいて乗車口の辺りを見てもありません。JR WEST JAPAN の表示がありますので、JR西の車両です。

 

 陸橋の上から前を見ましたが、ここにもマークはありません。11時30分前に動き出しました。名古屋駅へ回送され48分発の列車になるものと思われます。

 別の日に、後ろには付いていないか陸橋の北側から見れば名古屋駅から回送されてくるところが見えるはずと思い、別の日の00分頃に言って待っていましたら予想通り入ってきました。残念ながらエンブレムは付いていませんでした。車両の左のホームは熱田駅、緑地帯右の線路は名鉄電車です。

 検索してみたら、車両が新しくなってエンブレム(マーク)の表示は止めたようです。しかし側面窓下の横線はサンダーバードは青だけ、しらさぎは青とオレンジの二重線でJR西のエリアからJR東海のエリアを走ることを表しています。同じ形式の車両ですが共用はしていない様です。多分、色々事情があるのでしょう。

 ところで、もう1つ疑問は、北陸トンネルは交流電化で作られていて赤い電気機関車が走っていましたが、今はどうなっているのでしょうか? しらさぎ、サンダーバードは交直両用らしいのは判りました。ちなみに在来線は直流で電化、新幹線は交流で、電力会社のエリアをまたぐ北陸新幹線は50/60HZ両用であることも判りました。東海道新幹線は全部60HZ(まだ両用の技術は開発されていなかったらしい)。ひょんなことで、昔の鉄道模型マニアに1時戻った出来事でした。

  後日譚:昔のおもちゃ箱を開けてみたら、赤い電気機関車ありました。EF70型、北陸本線で活躍するために開発されたものです。食卓にレールを2本だけセットして載っけてみました。電気を流すとちょっとだけ動きましたが、手入れしないと列車は引っ張れないようです。Nゲージ(レール幅9mm)の手のひらに載る大きさです。パンタグラフは動きます。

 なお、図鑑の中には「しらさぎ」という名の鳥はいません。ペリカン目サギ科の白いサギは、コサギ、チュウサギ、ダイサギ の3種です。昔々、特急「しらさぎ」は、どのサギのつもりなのかなと調べたものですが、不明でした。


箱根の旅

2020年01月15日 | 紀行、旅

 娘夫婦がちょっと遅れて13日に正月休みとして、我が家に来ました。13日夜は、久しぶりの再会と遅いお正月を祝してすき焼きパーティとなりました。

 翌14日は疲れていたのか、2人はお昼頃まで起きることなく、まぁ日頃の疲れが貯まっているのだろうと察して休ませてやりました。

 この日は箱根で1泊する旅行を計画してあり、午後遅めの出発となりました。往路の足は娘の婿さんが運転する車に我々夫婦が便乗する形です。道は混んではいなく快適な旅になりました。途中2カ所で休憩しながらの車の旅です。途中、古くなった東名高速道路はあちこちで舗装修理をしていました。修理前の所は「でこぼこ」が車の振動で感じられて、あぁ、東名も古くなったものだと素人にもわかるくらいでした。

 富士川のサービスエリアの展望台から、富士川と富士山の全景を見ることが出来ました。

 御殿場で高速道路を降りて一般道を乙女峠に向かって上り、峠を越えて仙石原へおりていきました。本日の宿(小田急レイクホテル)は芦ノ湖の北のはずれ、湖のそばでした。

 下は翌日朝の部屋の窓からのもので、林の向こうに湖面が少し光って見えます。湖の上空は雲が立ちこめているようです。

 朝食後、本日の予定は雲の多そうな湖は敬遠し、大涌谷経由早雲山までロープウエイを往復することにしました。ロープウエイの駅、桃源台まではホテルの玄関から徒歩5分ということなので、車はそのままホテルの駐車場に置かせてもらいました。ほとんどホテルの敷地内を歩く感じでしたので、きっとこの辺りの施設は一体で開発されたものと推察されます。樹木が多く森もあるので、季節が良ければ鳥さんもいっぱいいるものと思います。箱根ビジターセンターへも、この辺りから8分とありましたので、時間が許せば行ってみたかったです。

 桃源台からのロープウエイは、数年前に強羅に2泊し箱根のあちこち巡ったとき往復したことがあります。今回は大涌谷の噴火と昨年の豪雨の後で、登山電車も強羅からのケーブルカーも運休中、バスとロープウエイだけが動いている中での観光です。

 ロープウエイが高度を上げていくと芦ノ湖が大きく見えてきました。

 

 この車窓の外は雲ではありません。大涌谷に近づいているので、湯煙(あるいは噴煙?)です。途中乗換駅の姥子駅ではロープの駆動装置をまじかに見ることができました。

 

  大涌谷へは帰りに寄ることにして終点の早雲山へ先に行くことにしました。大涌谷を眼下に見ながら行きます。以前来たときより擁壁(段々)が多くなっているように感じました。

 終点の早雲山駅周辺は特に見るものもなく、ちょっと歩いただけで折り返しのロープウエイに乗りました。

 大涌谷では下車して遊歩道を歩いてみましたが、途中で厳重な立ち入り禁止の柵がしてあり、以前の半分ほどまでしか行けませんでした。監視員の人も時々すれ違い、まだちょっと危険地帯なのだと云う雰囲気でした。これは以前来たことがある人にしか分からないことかも知れません。展望台で眺めている人はそんなことは感じていないでしょう。

 例の黒い卵も食べて再度ロープウエイに乗りました。行きと違って少し雲が少なくなって富士山がチラチラと見えました。

 

 

 やがて芦ノ湖が見えるようになり、ロープウエイの旅は終わりに近づきました。

 

 ロープウエイの旅を終わった後は、ひたすら箱根の山を小田原まで下り、お昼を食べた後、娘夫婦とは西と東に分かれそれぞれの帰途につきました。幸い小田原停車の「ひかり」に乗ることができ、名古屋までノンストップで行くことができました。(我々は、老人向けのジパングクラブの愛用者で割引がある代わり「のぞみ」には乗れません。)


小牧市へ (名古屋コーチン発祥の地、れきしるこまき)

2019年05月30日 | 紀行、旅

 主たる目的は別項のメナード美術館へ行くことでしたが、「名古屋コーチン発祥の地」の像が到着した小牧駅前にあったので1枚撮ってきました。駅前は前からきれいになっていましたが、再度整備中のようでした。

 小牧で生まれた名古屋コーチン?ですが、試験場がこの地にあったことからそう呼ばれるようになったようです。ちょっと見上げる位置から撮ったので巨大な像に見えますが、実物の2倍くらいだと思います。

 美術館を見た後、名古屋コーチンを材料にした(メインとしてシャブシャブで食べました)お昼を食べて新しい施設が4月にオープンしたことを調べておいてくれたので、見に行くことにしました。ここではカメラを出さなかったので、いただいてきたパンフを借用しておきます。

 なまえは、歴史と知ると小牧を合成した命名であることは間違いないです。

 小牧山の頂上には小牧城を模した資料館がありますが、最近の発掘調査でわかったことを展示するため麓に新しく作ったもので、実物大の石垣模型やITを駆使したビジュアル解説など斬新な設備の館です。駐車場からかなり距離があり(500m位)山すそを歩いてたどり着くので、休憩を兼ねてお城大好きの落語家出演のビデオを見ると予備知識も入って良いかと思います。

 我々はざっとみましたが、お城好き(マニア)には一見の価値ある施設だと思います。ここを見てお山に入れば1日がかりとなりそうです。


築地本願寺

2018年12月24日 | 紀行、旅

 ひょんな縁で築地本願寺を訪ねる事になりました。最終目的は同寺付属のブディストホールでの演劇を見に行くことでしたが、初めて訪ねる有名な場所でもありますので、拝観をさせていただきました。

 新幹線から見る富士山、今日はあいにくの曇り空で、辛うじて裾野と冠雪した頂上の一部が見えただけでした。今年2度目の東海道新幹線、2度とも富士山は見えませんでした。

 

 東京駅へ着いて頭に入れた地下鉄の乗換えを戻しながら、丸の内線、銀座線と乗り継いで無事「築地」へ。ちょっと前ならば築地市場へ観光に行く人の乗降駅ですが、移転したことと年の瀬が迫った休日の午後なので思ったほど混んではいませんでした。地下鉄を出るといきなり本願寺の独特な建物が目に入り、迷うことはありません。

 コインロッカーがあれば預けて拝観しようと思いましたが、ちょっと離れた駅にしか無いので、キャリーケースをコロコロしながらの拝観になりましたが、画面左のほうから入るとエレベータもあり人出が多くなかったので邪魔にはなりませんでした。

 本堂へ入ると正面に絢爛豪華な祭壇(仏壇)が目に飛び込んできます。観光の人も自由に歩き廻って観覧することができます。もちろん静かに、特に読経中は。注意書きはそれくらいしかありませんでした。

 我々の目標はパイプオルガンを見たいというのがありましたが、入ってすぐには見当たりません。ちょうど案内の方が立って見えたのでお尋ねしました。「後ろにありますよ」の言葉に今入ってきた入り口の上を見上げるとありました。思わず、おおーと声を上げそうになりました。

 案内の方は音楽も好きなようで、いろいろ説明してくれました。西ドイツ製、パイプはコンサートホールよりは少なくて約2000本、しかし音は柔らかいと思います、演奏者の席は観客席の後ろでお祈りする人と一体になれる(特に結婚式には進行と合わせ易いらしい)などでした。(演奏席は後に載せてあります。)

 説明のお礼を云って、我々もしばらく着席して、荘厳な雰囲気に浸りました。

 しばらく着席して、雰囲気に浸ったあと周りを廻って外へ出ました。

 パイプオルガンの演奏者の席です。ほんとうに観客席の傍です。

 要所の柱には音響スピーカーとディスプレイが取り付けられており、何処からも正面で行われているお勤めなどが身近に感じられるよう配慮されていました。

 外へ出て振り返ると日没前の青空に、独特なスタイルの屋根がくっきり浮かんでいました。

 駐車場の隅に親鸞聖人の銅像があり、参拝者を迎えているようでした。上の画面の右下辺りの位置です。


名古屋港見学会

2018年11月15日 | 紀行、旅

 所属している団体の行事の名古屋港見学会があり参加してきました。

 地下鉄を出て集合場所まで行く間に南極観測船を退役した「ふじ」が保存係留されているそばをとおりました。係留している岸壁前は広場になっていて、タロ、ジロの銅像、スクリュー、南極の石?がオブジェとして飾ってありました。今度機会があったら説明をよく読んできます。

 今回乗る船が我々を待っていました。「ぽーとおぶなごや 2」です。

 船の中は会議室?となっています。テーブルの中のガラスの下にはディスプレイがあって、名古屋港の地図とこの船の航跡を見られるようになっています。今、右上あたりにいます。

 新名古屋火力発電所の2本の煙突が遠くに見えます。昔、左の煙突の下辺りに有った建物で5年間仕事をしていましたが、全部作り直されたので影も形もありません。

 伊勢湾岸道路の名港トリトン(3つの橋で名古屋港を跨いでいます)の真ん中の橋をくぐります。車道の下は海面まで50mあり、日本丸も飛鳥Ⅱも通れガーデン埠頭へ着岸できます。それより船高のある船はトリトンの外側にある金城埠頭へ着く事になります。

 金城埠頭近くを通り、飛島埠頭方面へ行き、西名古屋火力発電所の傍をとおりました。ここもリニューアルされ昔の面影は全くありません。現在は熱効率世界一のギネスブックに認められている最新の発電所です。ここは勤務したことはありませんが、出張では何度か行きました。

 名港トリトン下を再度通り帰途につきました。50mの橋脚を下から眺めることはなかなか無いと思います。

 船上のディスプレイには通って来た航跡が黄色く表示されています。真ん中あたりのGARDEN PIER と書かれた所へ戻ります。

 着岸寸前に「ふじ」の船尾が見えました。船尾にはヘリコプター甲板があり、ヘリコプターも載っています。

 この見学会は、私にとっては勤めていた所を海上から眺める思い出の旅でした。乗船下船の位置は帆船をモチーフにしたポートビルの傍です。

 下船後、ポートビルで開催中の帆船模型展をちょっとのぞいて来ました。

 特等賞?は咸臨丸でした。