翡翠庵閑話

野鳥が好きな、閑人の独り言と日常の見聞録。少し遅れてUPする場合が多いですが、内容と日付は、合うようにしています。

鶴舞公園 普選壇 再確認して来ました

2024年06月11日 | 雑文

 前に、現在の朝ドラのバックによく使われている鶴舞公園について書きましたが、ちょっと調査不足だった、普選壇(普通選挙記念壇)を、美術館の帰りに途中下車して再度見て来ました。

 前回は、正面背後にある青銅板の文字が欠けているように見えると書きましたが、ちょっと年季が入って汚れが目立つだけで、近寄って見るとちゃんと読むことが出来ました。先の戦争では失われたが、昭和42年に復元されたと上の歴史散歩案内板に書いてあります。

 壇の左袖には、ご誓文の英訳もあります。右袖には建設の趣旨が書かれています。

 裏へ回ってみると、子供の頃は自由に出たり入ったりしていた舞台袖への出入り口は塞がれていました。使用に当たっては、有料である為でしょうか。市の景観重要建造物である表示もありました。

 壇の裏正面にこんな表示も有りました。子供の頃には気が付かなかったものです。顧問 文学博士 坪内雄藏 は、坪内逍遙の事で、著名人に設立趣旨など賛同してもらい箔を付けたものでしょうか?

 普選壇の裏から北を見ると、朝ドラのシーンに使われた噴水と市公会堂があります。

 普選壇の東側はバラ園で、その向こうには奏楽堂があります。先回はコスプレイヤーの大会でこんな落ち着いた風景ではありませんでした。もっともバラの時季は終わってしまい少々淋しくなった公園でした。


新堀川下流部散歩

2024年04月15日 | 雑文

 久し振りに新堀川へ行ってみました。もう冬鳥たちは居なくなってるかなと思いましたが、ひょっとすると何かいるかもと期待しながら行きましたが、やっぱりもう居ませんでした。

 僅かに見かけたのはこの2種類だけ。ムクドリとマガモのペアでした。今年は早く帰ったようです。

 さて帰ろかなと思いましたが、今日はもう少し下流まで行ってみようと思い直しました。いつも沢山のカモたちを見るあたりまで来ました。振り返ると工事中の橋の向こうに名鉄電車が通過していくのが見えました。橋の工事は何処まで進んだかは帰りに見ることにしてもう少し先まで行くことにしました。

 国道1号線がJR東海道線を跨ぐ橋の修復工事はどうなったか気になっていたので、その現場まで行ってみました。残念ながら橋の工事は、国道の北側。橋の下に虎柵がしっかり遮断しており警備員さんも目を光らせていてのぞけませんでした。いつか反対側から覗いてみようと思います。

 上が国道、下が東海道線、そして上の写真を撮るために立っている地面の下には地下鉄名城線が走っているはずです。とても複雑な工事で、国道の北側に1車線の仮道路橋を作り1車線分ずつ迂回させながら掛替えをしていくようです。南側地面の下には地下鉄があるので仮道路橋は北側だけにせざるを得ないのでしょう。あと数年?時間も掛かるわけです。工事内容は前に見た看板から想像しています。

 こんなことを想像していたら、踏切のチンチンが鳴って遮断機が降り、電車が通過していきました。上下合わせると数分に1回は通過して行くようです。

 日本の大動脈?の工事現場を見た後、川へ戻りました。旧東海道が通っていたあたりから、下流を見ました。精神川を改修して作った新堀川ですから護岸は上流部とさして変わりません。このあたりは川縁りを歩けませんので、旧東海道の説明看板がある辻へ出ました。

 旧東海道に出ました。昔の面影は道が真っ直ぐでは無く左右にカーブしながら通っている様です。左奥の「宮」方から来て画面右へ曲がります。川を渡るあたりは今の1号線になっていて面影は残っていないですが、少し東へ行くと「鳴海」へ行く旧道があるようです。

 旧東海道の回り角から、南へ行くとまた川へ出ます。道路橋に沿って水道橋らしき橋がありました。川の先に知多方面につながっている内田橋が望めます。

 宮の宿まで行くのはちょっと遠いので、本日はここで終了にして戻ることにしました。

 文斉橋の工事現場の現況です。ちょっと前までは全面カバーで覆われていましたが、もう雨に当たっても良い状態になったのか、新しい橋の本体がむき出しになっていました。CLの印があるあたりが橋の中心でしょうか。下全面に落下防止のネットが張ってありました。前より幅が広くなった様子はありません。元々水処理場への出入口の橋と云うことだったはずで、一般車両の通行まで考えられた改修では無いようです。

 工事中の橋の上流側、名鉄本線の橋を電車が通り過ぎていきました。

 文斉橋の工事は、令和8年までとしてありましたので、まだかなり掛かります。下流の鳥見の為に早い完工を待っています。


もう少し働いて ネ !

2023年12月24日 | 雑文

 これ私の腕時計。確か21世紀になる2年くらい前買い換えたものです。前の物は腕を動かすと自動的に発電して動くタイプの違う別メーカーの物。それが調子が悪くなって(地下鉄の中で分かりちょっと慌てたのを覚えています)、急遽同じ様なデザインのものを探してこれにしたのです。

 こだわったのは、カレンダー機能とソーラー電池で動くこと。しかし、今は当たり前のGPS等の電子的な機能はまだ搭載されていない物です。従って、カレンダーは31日でない月は日が変わったら手動で送ってやらなければなりません。今時そんな古い物まだ使っているの!と云われそうですが、秒針の遅れや進みは、実生活上困るほどではありませんし、チタンで軽く、時々のカレンダー送りも習慣になってしまっているので面倒とも思いません。

 むしろ、日曜日が「赤」で表示されることが大事なのです。今まではアルファベット表示で使っていましたが、SUNの文字が永年の使用で薄くなっていました。そろそろ買い換えかなと思いましたが、日本語表示にしてみたらクッキリと赤い表示が再現しました。ほとんど陽が当たらなかった日本語表示で、もう少し付き合ってもらうことにしました。


伊藤圭介先生の銅像

2023年08月23日 | 雑文

 所用の帰りにちょっと気になっていた銅像の存在を確認してきました。

 名古屋市鶴舞中央図書館前の「伊藤圭介先生像」です。詳細は省きますが、シーボルトに会ったりして名大病院の基になる学校を作ったこの地に相応しい郷土の偉人です。

 先生のアップと台座の名称版です。

 

 鶴舞公園の大改修に伴って、先生の後ろの森に有ったベビーゴルフ場が無くなり新しく休憩施設が出来ました。(まだ入っていませんので詳細不明)

 この近くのバス停で乗り換えしたり、病院の帰りに利用します。気になったので「痛々しいお姿」を撮しておきました。

 2022/9/14 先生の像には包帯?が巻かれてちょっと痛いたしく見えました。他の像はそのままなので、先生だけ何処かへ移転するのかなと思いました。

 いくつかの像がありましたが、先生の像には特に厳重に包帯が巻かれていました。

 2022/10/27 ほぼ昔のままの位置にあるようです。

 2023/5/17 月末には新施設がオープンするので、像の周りも手入れしているようでした。少々騒々しいなとおっしゃているような・・・・。


明けまして おめでとう ございます

2023年01月01日 | 雑文

 今年の初日の出は出たかなと思い、陽が出るはずの方角を眺めてみました。もう日の出の時間は過ぎていて、建物の上に出てきそうな時間(7:08)なのですが、ちょっと雲が多くてお日様は見えませんでした。真ん中よりちょっと左よりの所が明るくなっているので、あの雲のあたりにいるのだと思います。

 暗雲垂れ込め、何か今年も波乱の世界が予想されるような、しかし、もう少し待てば青空も待っているということでしょうか?

 この景色では、年賀状代わりになりませんので、今年のペーパー年賀状をスキャンしてアップしておきます。


幸せの黄色い電車 Part Ⅱ

2022年12月19日 | 雑文

 幸せの黄色い電車(黄電)に再び出会いました。所用があって地下鉄で出かけたところ、いつもの乗車駅(神宮西)で待っていると、なんと先月運良く乗れたと書いた黄電が来ました。こいつは縁起が良いと乗り込みました。

 中吊りや座席上部の広告は、全部が市営交通の歴史を書いたものです。

 栄に出かけるときに乗る「基幹バス」がスタートした時のものがありました。愛称を「ミッキー」と付けていましたが、最近は全く言わなくなりました。そう言えばそう言ったなぁとちょっと懐かしくなりました。このバスの2号線は、全国でただ1つ道路の真ん中が専用レーンになっていて、乗降停留所ホームも分離帯にあるという不思議なものです。そんなことが書いてあります。

 世界デザイン博も懐かしい想い出です。会場は私の住む熱田区で、その跡地に国際会議場と白鳥公園・白鳥庭園が残っています。JR・名鉄・地下鉄の乗換がスムーズにいくよう金山が総合駅として整備されました。

 金山利用者にはとても便利になったと思いますが、私にとっては、JR熱田駅の快速が金山駅新設により通過されるようになり、ちょっと不便になりました。でも1時間に4本の普通があるので、難民になった訳ではありません。新幹線乗換で遠方へ行く時に、混雑しない熱田駅で通しの切符が買えますのでたまに使います。(コロナ禍で、3年程は新幹線乗ってませんが😢)

 掲示を眺めているうちに、下車駅の黒川へ着き下車。ホームドア越しに「ウインザーイエロー」の黄電を撮っておきました。(ドアは閉まりかけています)

 乗ってきた黄電の後ろ姿。この駅はカーブしていないし、後姿が見える頃はスピードがでていて様にならない絵ですが。

 

 帰りにホームへ降りていくと、黄電がいるではありませんか。ただし、2時間ほど前に降りた側のホームなので乗るホームではありません。もう発車するところで、階段の途中から慌てて1枚。

 ひょっとして来たときと同じ電車?と思い目の前を通り過ぎる車両の番号を撮りました。2634、3枚前の絵の車両番号と同じです!同じ黄電に2度逢ったことになります。何か良いことありそうな?でもこの日、何も良いことは起きませんでした。


ちょっと 一服

2022年11月13日 | 雑文

 家内から、ティラミスを作るからエスプレッソを淹れて とのリクエストがありました。丁度先日買ってきた、illyの未開のエスプレッソ缶がありましたので要望に応えて開缶して淹れることにしました。私も久しぶりに、エスプレッソを飲める口実になりました。

 我家にはエスプレッソを淹れる道具は2つあります。小さい方は、家内が初めてイタリアへ行ったとき、ホームスティ先でお土産に頂いたもの。大きい方は、小さいのは1人分しかできないのでエスプレッソの味に目覚めた私めが国内で買い求めたもの。どちらもトンガリ帽子のオジさんが画いてある同じイタリアのメーカーのものです。どちらもよく使ってました。久しぶりの出番です。大きい方は5人分淹れることができます。

 1人分の方をジノーリのカップに注ぎ、私の分になりました。スプーンは工芸美術展のお土産コーナーで求めたサクラの形のものです。 これからちょっと一服です。


幸せの黄色い電車

2022年11月12日 | 雑文

 所用の帰り、地下鉄で「幸せの黄色い電車」に乗れました。これは名古屋市営交通100周年を記念して、今は走っていない初期の電車のカラーだけ再現して走らせているものです。全体で2編成だけ走らせるということを報道で知っていましたが、こんなに早く巡り会えるとは。

 到着して、お!黄色い電車、と思いましたが、とにかく乗り込みました。本来、広告を吊り下げたり掲示する所は、すべて市営交通の歴史が印刷されたものになっていました。

 空いていたので、チラチラと読みながらスマホで少し撮して来ました。地下鉄開業の1957年から40年余りは黄色一色の車両がほとんどで、その後ステンレスの無塗装ばかりになった様です。

 市営交通は、路面電車から始まり、バス、地下鉄へと拡大していき、今は、路面電車はありません。下車駅で、発車するまでの短い時間に黄色い電車を撮りました。ホームドアーがあるので全身は判りませんが、紫の線は、名城・名港線 の印です。車体は現行のもので、カラーだけの復刻です。

 発車して、遠ざかる黄色い電車。次はいつ会えるか?

 正式な名称は、「黄電メモリアルトレイン」だそうで、2023年1月末頃まで走るようです。東山線、名城・名港線に、各1編成だそうで、乗れた時はラッキー!です。矢っ張り「幸せの黄色い電車」と言えそうです。


芸文界隈

2022年10月23日 | 雑文

 Tさんの展覧会を見た後、すぐに出られる屋上庭園へ出てみました。

 屋上庭園から、勤めていた頃の会社のパラボラアンテナが見えます。40mのビルの屋上に40mの高さのアンテナ塔だったと思いますが、大きな建物が周辺にできて小さくなってしまった様です。ちょっと感傷的ですが、我がふる里が見える という感じです。付いてるアンテナは当然時代の進歩で変わっているだろうな?携帯も、3G 4G 5G と変わっている時代ですから。

 この後、別の階で開催の大判の写真展を見ました。4×5(確か しのご と読むはず)など大きなフィルムを使い、全紙より大きなプリントをしている豪華な(贅沢な)写真マニアの展覧会でした。ピントも良くて見事なとしか言いようのない作品ばかりでした。

 展示室を出ると2階から12階(天井)までの吹き抜けがあり、不思議なオブジェがぶら下がっています。(生えているのかも)1枚では入りませんので、上の方と下の方に分けて撮ってみました。どこかに作者や題名が書いたものがあるとは思いますが、後日調べてみます。

 外へ出てオアシス21の西側にあるバス停へ行きたいのですが、近道はNHK前の歩道を渡り階段を登るルートのようです。ここは地上のように見えますが、2階分くらい登ったバスセンター屋上の広場です。先ほどまでいた芸文のほぼ全景が見えます。左の一部見えるビルはNHK名古屋のビルです。ニョキニョキ立っている塔は、バスセンターの排気筒かと思います。

 ここから私の乗るバス停方向へ向かってなだらかな下り坂になっています。階段を降りる必要は無い様です。途中には「宇宙船」が止まっています。屋根の部分はガラス張りで水を湛えています。その向こうには、ほぼ最上階まで組み上がった、建替中の中日ビルが見えます。

 この辺り昔の面影が無くなって、鉄とガラスの街になってしまったように感じます。私は石器時代に生きていたのかも知れません。

 (タイトルの芸文は「愛知県芸術文化センター」の略称です。)


熱田神宮へ参拝

2021年12月21日 | 雑文

 久々に熱田神宮参拝へ出かけました。参拝とは書きましたが、動機は新しくできた剣の展示館「草薙館」を見るためです。「草薙館」別項にします。ここでは行き帰りと最近の界隈と境内の様子を書いておきます。

 我家から熱田神宮(本宮)までは、名鉄とJR東海道線を渡っていかなければならないので随分遠くにある感じですが、近道して徒歩10分ちょっと。新しくできた歩道橋を渡っていきます。昔あった開かずの踏切と評判の悪かった踏切は数年前に無くなりその上にエレベータ付きの歩道橋が出来ました。当然、古い歩道橋は撤去されてありません。新しい歩道橋の途中から古い歩道橋のあった方角を見るとこんな景色です。

 歩道橋を渡った向こう(西側)には名鉄の商業施設のビル(通称、神宮前のパレ)がありましたが、全部東側に新築移転しました。西側のビルはただ今撤去作業中です。数年すると景色がまた大幅に変わると思います。右奥の森は熱田神宮。

 歩道橋を渡ると今度は南大津通を渡ります。JR熱田駅方向から伸びているアーケード街は閉店する店が多く寂れた感じです。賑やかなのはお正月とお祭りの有る時ぐらいかも。

 境内に入ると、お正月の準備か巫女さんが数人何か検討しているようでした。緋色の袴の巫女さんを見ると神宮へ来たと強く感じます。

 本宮(拝殿)の風情は変わりません。お正月になると石段の辺りも白布が広げられ、超大きな賽銭箱になり、遠くから投げ込んでもOKなようになります。石段の上では撮影禁止なのでちょっと遠くからです。

 お参りをして逆順で参道を戻って行きます。鳥居を挟んで本殿を遠望します。

 手水舎の辺り。一時コロナ禍で使用禁止になっていましたが、通常に復したようです。右の竹で作りつつあるのは、お正月用の臨時の手水です。参道脇の溝の上に20人位は使えるようになっています。

 新しく出来た「くさなぎ広場」です。亀さんが沢山いた池は改修され船のオブジェが浮かんでいます。左の建物が新しく出来た「草薙館」、中の奥の方は「宮きしめん」の食事処。屋根はありますが、昔もそうでしたが、オープンスペースになっています。

 二十五丁橋。昔々(記憶では40年前)は渡れましたが、しばらくして保護のため見るだけになっていました。しかし、やっぱり渡って感じてもらおうと云う配慮からか、真ん中だけ通れるようになりました。でも、写真写りはちょっとね?と思います。石を25枚ならべた橋です。西行法師がこの橋のほとりの木陰で休み、こんなに涼しいのにどうして熱田なんて名付けたのか?と云った謂われが立て看板に書いてあるはずです。

 ここまで見て「草薙館」に入りました。これは別項で記載します。

 草薙館を見てから、宮きしめんでお昼にしました。草薙館の刀剣体験コーナー(ここは写真OK)から見た宮きしめんのお店です。新装はなりましたが、雰囲気は昔と同じ感じかと思います。

 本日、いただいた、とろろ+エビ天をトッピングしたきしめんです。かまぼこに「宮」の字が入っていたのに気がつかず逆になってしまいました。屋外でしたが、運良く陽だまりの良い席でいただきました。

 帰路につきます。今までいた所の案内板がありました。参拝して参道を戻ると目につくようになっています。

 参道両側にある佐久間灯籠の周りの茂みが刈り込まれ、良く見えるようになっていました。ただし、上部の飾りは抜け落ちる危険があるのか、全部外して周りに並べてありました。何だか重厚さが無くなってしまったようですが・・・。東から西をみました。奥に対の灯籠が見えます。

 旧参道を渡ります。この道は静かで私はこちらの方が好きです。左側にあった能楽殿は無くなり「令和記念館」というのが建っていますが、まだ行ったことがありません。

 東門の大鳥居です。

 線路を渡る歩道橋へは、少々疲れたのでエレベーターを使いました。左、画面の外になりますが、最近、映画やTVのロケが行われる「神宮小路」は健在です。

 歩道橋を渡りきると我が町内へ入ります。私には、線路は俗世間と神域の境界のような存在です。新装なった神宮の内外をゆっくり見られたので、これで初詣代わりにしようと思います。分散参拝とやらに協力です。