ちょうどコロナが流行り始めた頃、志村けんが亡くなった。
コロナ感染で肺炎を発症したらしい。
そして、岡江久美子と共に彼の死は、人々にコロナに対する恐怖の念を植えつけた。
たいへんだぁ!
彼の持ちネタは、「だいじょうぶだぁ」だったのに。
今でこそコロナ=ワクチンに対して疑念を持ち始めた人が出ているが、あの頃はほとんどの人がコロナに怯えていた。
ただ、周りにコロナでひどい人はいないことには気づいていたのではないか。
人々が恐れていたのは、自分がなったらどうしようという、同調圧力から来るものだった。
ここでは、同調圧力については触れない。
なぜ身近にコロナで亡くなった人がいないのに、会ったこともない有名人が亡くなったことで、あんなにコロナを怖れたのか、について考えてみる。
これと、ハラリ君の言う「虚構を信じる力」と関係があるのだろうけれど、なかなかストンと腑に落ちない。
人は150人くらいの集団しか把握できないのだが、「虚構を信じる力」によって「国家」や「国際社会」を想像して創造しているらしい。
あるヒーローをリーダーとして国家を形成し、やがては神と崇めることも。
ピラミッド然り、天皇制然り、キリスト教然り、今の政治もそう。
一方で、ある芸能人やスポーツ選手を祭り上げ、時のヒーローとする。
彼らは、大衆の鬱憤の矛先をそらす装置となる(パンとサーカス)。
社会不安が増すと、大衆は強力なリーダーを求める。(やがては独裁者に)
歴史は同じことを繰り返してんだけどね~。(自分のこととなるとわからない?)
つまり、大谷翔平とヒトラーは「同じ」なのである。(成り立ちが)
藤井聡太ををすごいと思うのはいいのだが、神格化してはいけない。
もちろん、純粋にある有名人を応援するのはいいんだけれど、「偶像」(アイドル)ということを忘れないでね。
たまにはテレビやスマートフォンを捨てて、身近で大切な人や花、鳥や月に触れてみたら。
人は、誰か理想的な人間を想定したがるものなのか。そして、その人に引っ張ってもらいたいのか。身近に立派な人は一杯いるのにね。
芸能人(含むスポーツ選手)は広告塔であることを、そろそろ学習しましょう。ジャニーズを待たずとも。
でも、今こそ彼の「だいじょうぶだぁ」が必要だね。