ライトメロウなひと時

コンポーザー丸木一虎のミリオンセラーまでの珍道中日記 とりあえずはCDを手売りで1000枚売るぞー!!

ギフト

2012-11-01 20:20:14 | 日記
いつも当ブログを読んでくれてアリガトーね。
そして師匠、前の日記にコメントありがと~。こうして、たくさんの友人に読んで貰えてるってのは幸せな事。
実は先日、俺の音楽仲間でもあったえいさんが亡くなったと言う知らせを受けました。そのえいさんは、長年デュシャンヌ型ジストロフィーと言う難病に冒され闘病生活を送っていました。人生の殆どを病室で過ごした彼は、歌詞を書く事で生きる価値を見出したのです。彼との出会いはミクシーだった。音楽系のコミュニティでのやり取りがキッカケだった記憶があります。

えいさんからマイミク申請を戴き、それ以来、俺の書くブログやつぶやきの大半に彼はコメントをくれたものだった。また皆さんがご覧の当ブログにも毎回チェックしてくれた様子で、時々コメントも残してくれました。またえいさんの長年の夢だった、オリジナル作品をCD化する際に、プロデュースのご指名までして戴きました。そのマキシシングル「えい/孤独な旅人・心の夜明け」は、東京でチェーン展開するディスクユニオンの渋谷店でご購入戴けます。また、彼のホームページでもサンプル音源が用意されてるので、お時間のある時にでも是非聴いて戴ければ嬉しいです。

筋肉の病気の為、主なコミュニケーション方法は口の動きを読んでもらうか、かろうじて動く指でパソコンのキーを打つ事のみでした。キューベースと言う音楽制作ソフトを使い音楽を作り続けた彼の作品は、とても力強かった。魂を揺さぶるほどに力強かった。新しいCDでも参加を依頼してくれたのだけど、札幌には制作に必要な機材らしい機材を持って来ていなかった事もあって、参加を辞退したんです。その新作の制作途中での死去でした。悲しいですよ、ホントに。彼は長崎に暮らしてて、一度も会った事はないんだけどミクシー時代にはよく、会いたいねなんてお互い言い合ってたものだった。その約束は叶う事はなかった。


「こんな素晴らしいメロディを書く人に、僕の夢を託したかった」

えいさんからCDのプロデュースを依頼してもらった時に掛けてもらった言葉です。

あの時のあの言葉が、今も忘れられません。物作りの過程で険悪な空気になる瞬間もあったけど、彼は常に思いやりのある素晴らしい人でした。さよならすら交わせられない別れだったのが辛かった。病室と言う狭くて孤独な世界でも、彼の作品には光がイッパイだった。精一杯動かした指先の向こう側に、えいさんは俺を見つけ出してくれた。何億人といる中に、俺を見つけ出してくれた奇跡。それは神様からの素敵なギフトだった。

いつになるか分からないけれど、えいさん。俺がいつかそっちに行った時には、その時は必ず会おう。会った時には、素敵な歌を一緒に作ろう。うん、それはいつになるか分からないけれど、あの時叶えられなかった約束を、いつか必ず果たそう。それまでは、あなたがわりかし近くの星から、俺を眺め、俺が素敵な事をやったのを見つけた時には、二人が唯一一つになれたミクシーの時みたいに、イイネ!をポチッてくれたら、嬉しいな。

友達より。