かずっぺ♪のつぶやきブログ

生きてるだけで丸儲け♬

ありがとう

2007-07-08 22:45:00 | 日記
今夜はお通夜に行ってきました。
結香が通っていた保育園の園長先生が亡くなられました。
75歳だったそうです。
その保育園との縁は、私が子供の時に通っていた保育園の園長先生の奥様で
その後、何年かしたあと離婚されて夢であった自分で無認可の保育園を建てました。
龍平が3歳の頃、私がパートに出始め、男の子で元気が有り余り
とても母では面倒を見切れず、どこか一時預かりでもないかと探していたところ
その噂を耳にし、すぐに入れていただきました。
半年ほどの短い期間ではありましたが
全員で20人ほどのこじんまりした保育園で、アットホームな園でした。
おやつも園長先生直々の手作りまんじゅうや枝豆、ふかし芋、とうもろこし、
残りご飯でついたお団子、おにぎり、全て手作りでした。

そして数年後、結香の園を探し始めるものの
こんなに重いアレルギー児を引き受けてくださる園があるだろうか
心配と不安しかなかった時にふと思い出したのがやはりこの園でした。
すぐに園長先生にお話をしに伺い、本当に常に爆弾を体に抱えているような
重篤アレルギー児だと言うことを説明し、少しのことでも命に関わってしまう
大変な子であることを全部話しました。
だけど園長先生のポリシーは「どんな子だってすべて平等。私はどんな子だって
見てあげるよ。安心して預けにおいで」と言ってくれました。
本当に涙が出るほど嬉しかったです。
そして話が決まっていよいよもうすぐ入園だ、と言う時に
携帯に園から電話がかかって来ました。家族旅行中でした。
園長先生の声のトーンがいつもと違って不安を覚えました。
「ごめんね、私はどんな子だってなんでかんで見てあげたいのだけど
保母の先生方に話をしたら特に若い先生たちは怖がってしまってダメなのよ。
よそへ行ってもらったらって言われてしまって。
本当に申し訳がないのだけど、他を探してもらえるかしら」と涙ながらに
話してきました。
出先だったのでとりあえず電話を切り、後日改めてきちんと先生方も含め
大変な子ではあるが、気をつけてさえいればまったく普通の子と同じなんだ、
と言うことを説明してなんとか理解をしてもらったものの、最後には「もし何かあった場合には全責任は親に委ねる」のような誓約書をかかされました。
園長先生はまた泣きながら「こんなことまでさせてごめんね、ごめんね」と
言ってくれました。
案ずるより生むが如し、皆さんの協力や手助けのもと何事もなく
お友達もたくさん出来て無事卒園することが出来ました。
本当に感謝しています。
お友達にも恵まれ、お母さん方の理解も得られ、自分で想像していた園生活とは
まるで別世界の親子共々本当に楽しい2年間でした。
今でもその頃のお母さん方との子供ぐるみのお付き合いは続いています。
こんな素敵なめぐり合わせをくださったのもすべて園長先生のお陰と思っています。

今日は最後のお別れに行って来ました。
子供たちが園長先生が詩を書いた「園歌」を歌いました。
詩を見ると本当に園長先生の素晴らしさ、温かさが伝わってくる
素晴らしい園歌です。


咲いた桜 美しく のどかな国から 春が来て
僕たち私たち 嬉しいな
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに

森の緑 そよそよと 光の国から 夏が来て
むこうのお空に 虹が出た
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに

遠い山の むこうから 実りの国から 秋が来て
祭りのたいこも にぎやかに
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに

ぴーぷー北の 風吹いて 冷たい国から 冬が来て
木枯らし ヒュルル 吹いてくる
命はかがやく さんさんと
楽しい ほほえみ 子どものくに

元気な声の 子供たち ぞうさん くまさん うさぎさん
りすさん ひよこさん 歌ってる
楽しい ほほえみ 子どものくに


本当に本当にありがとう。
天国でもたくさんの大好きな子供たちに囲まれていることでしょう。

乱文ですが、最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。

コメント (7)
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