せっかくなのでここに住む人たち以外にも
知ってもらう意味はあるのかな、と思い発表文の内容を
綴らせてもらおうかと思いました。
長文ですが、興味のある方はどうぞお付き合いください。
始めまして。
この度、食物アレルギー対応委員の委員長をさせていただいておりますOOと申します。
小学4年の娘が主に卵、乳製品、甲殻類にアレルギーを持っておりほぼ毎日
代替え弁当を持って学校に通っております。
アレルギー児を育てて10年になりますが、本当に色々ありました。
母乳で育てたい一心で生まれてから約2年間、限られた特定の野菜と塩、
米も食べられないのでヒエやアワを子供と一緒に食べ、
台所用品も同じ鍋カマやまな板、包丁などを使っても反応が出てしまうのですべて別にし、体の中に爆弾を抱える我が子をまるで腫れ物を触るかの様な子育てでした。
保育園入園の際も、先生方に怖がられてしまい一時は入園を断られる事態にもなりましたが、一人の先生が「お母さん、私も色々と勉強したいのでぜひ結香ちゃんの
お世話をさせてください」とのなんとも心強い、そしてありがたく嬉しい言葉を頂き、無事に入園することが出来ました。
小学校へ上がる頃にはだいたいの子が軽減してくると言われている中で
どうして家の子だけが、同じアレルギーの会の仲間たちの子がどんどん食べられる様になってくるのを横目に、この戦いはいったいいつまで続くのだろう。
誰が代わってくれる訳でもなく、私がいなければいったいこの子はどうなってしまうんだろう、といった先の見えないトンネルの中で未だもがき苦しみながらの毎日です。
しかしそんな中、理解ある担任の先生や思いやりのある優しいお友達に恵まれ、お陰様で小学校に上がってから4年間特に事故と言う事故もなく過ごしてくることが出来ました。本当にありがたく思っています。
この度、給食センター新設にあたりアレルギー対応委員を募集しているのを知り、これから益々増え続けるであろう食物アレルギー児にとってまたご両親にとって少しでもお力添えになれればと思い申し込みアレルギー対応委員の会議に出席しております。
食物アレルギーは最近こそ表示義務が基本となりましたが、まだまだ私たちからすると過ごしにくい世の中であり、また理解されているようであってまだまだそうではない部分がたくさんあります。
大人でさえ迷って悩んでしまう表示を子供本人に理解できる力を、と言うのはアレルギー児を持つ親にとって本当に難しい課題の一つです。
娘が保育園に通っている時に我が家には大変な事件が起きました。
地元の和菓子屋さんで買った饅頭に卵が入っており、それを食べた娘が大変なことになりました。もちろん表示には卵が記載されていないのを確認の上で食べさせました。
しかし、途端にもがき苦しみ始める娘の様子を見てこれは普通ではないと確信し、すぐにその和菓子屋さんに電話をしました。するとお店の人はただ一言「欄に書ききらなかったから」との簡単に答えでした。
本当に義務化されて少しづ理解もされてきているであろうと思っていた矢先であり、私たちにとってとてもショックな事故でした。
やはりアレルギー児を持った苦労や大変さは当事者でなければ理解してもらい難いんだな、国がやってくれるのを待っているのだけではいけない、やはり当事者の私たち親がどんどん声をあげていかなければと思いました。
毎日毎日、給食の献立表をミスのないように確認し、代替え弁当を作る際にも
回りにあまり目立たないように、それでいて引けをとらないで本人も満足するようなものを作るのは大変な作業であり、プレッシャーや苦労もあります。
前の晩に次の日の献立を見て「明日はこれが食べられるんだ」と思った時の肩の荷が下がる気持ち。朝目が覚めるとハッとまず「今日の給食はなんだっけ」と考えます。
幸い我が家は学校に近く、私が仕事もしていないので届けに行くことも、慌しい朝の時間の中で代替えを作る大変さは他の人に比べるとまだまだ楽なのかもしれません。
お仕事を持ちながら朝代替え弁当を作り、食べる頃には冷めてしまうであろう汁物などを詰める時の気持ちは親として辛いものであると思います。
普通の子が当たり前のように毎日食べている給食を、朝学校に出かける時に「今日はラーメンが食べられるよ」と言った時の子供の喜んだ顔は複雑な思いでもありますが、その分きっと些細なことでも喜べる、人の痛みをわかる子であって欲しいと親として願います。
走るのが遅い子、目が悪くてメガネをかけている子、顔にホクロのある子、色んな子が当たり前にいていいように、体に合わない食べ物がある子も一つの個性として受け止めてもらえる世の中を望むのはアレルギー児を持った親として共通する部分だと思っています。
飽食の時代と呼ばれる今のこの世の中、食物アレルギーを持つ子供たちは「食べられる」と言う喜びを知っています。
そして本当の味を知っています。そんな娘を私は誇りに思います。
不自由は多いけれど、お友達が協力してくれたり理解してくれることに感謝の気持ちを持っています。
「食べられなくてかわいそうね」と言う言葉をアレルギーの子はよく言われます。
しかし本人は食べられなくてかわいそう、と思っていません。
食べられない=かわいそう、ではないのです。
どうか食物アレルギーの子をかわいそうな子にしないであげてください。
そして毎日毎日食事作りに頑張っているお母さんたちの苦労をこの給食センター新設ほ機会に少しでも和らげて欲しい思います。
多くの子ども達が一食でも多くおいしく食べられる学校給食になったら、子ども達もどんなにか嬉しいかわかりません。
自校式にも劣らない、是非そういう給食を作ってください。
どこよりも誇れる食のバリアフリーを素晴らしい新設給食センターで築き上げて欲しいと思っています。
給食がレストランの食事のように、誰がどんな風に作っているのかわからなかったり、出されたものをただ食べるのではなく作り手の温かい気持ちまで見える、そして子供達もそんな給食を皆で楽しく感謝の気持ちを持つことができる、
そんな素敵な給食が理想です。
ありがとうございました。
知ってもらう意味はあるのかな、と思い発表文の内容を
綴らせてもらおうかと思いました。
長文ですが、興味のある方はどうぞお付き合いください。
始めまして。
この度、食物アレルギー対応委員の委員長をさせていただいておりますOOと申します。
小学4年の娘が主に卵、乳製品、甲殻類にアレルギーを持っておりほぼ毎日
代替え弁当を持って学校に通っております。
アレルギー児を育てて10年になりますが、本当に色々ありました。
母乳で育てたい一心で生まれてから約2年間、限られた特定の野菜と塩、
米も食べられないのでヒエやアワを子供と一緒に食べ、
台所用品も同じ鍋カマやまな板、包丁などを使っても反応が出てしまうのですべて別にし、体の中に爆弾を抱える我が子をまるで腫れ物を触るかの様な子育てでした。
保育園入園の際も、先生方に怖がられてしまい一時は入園を断られる事態にもなりましたが、一人の先生が「お母さん、私も色々と勉強したいのでぜひ結香ちゃんの
お世話をさせてください」とのなんとも心強い、そしてありがたく嬉しい言葉を頂き、無事に入園することが出来ました。
小学校へ上がる頃にはだいたいの子が軽減してくると言われている中で
どうして家の子だけが、同じアレルギーの会の仲間たちの子がどんどん食べられる様になってくるのを横目に、この戦いはいったいいつまで続くのだろう。
誰が代わってくれる訳でもなく、私がいなければいったいこの子はどうなってしまうんだろう、といった先の見えないトンネルの中で未だもがき苦しみながらの毎日です。
しかしそんな中、理解ある担任の先生や思いやりのある優しいお友達に恵まれ、お陰様で小学校に上がってから4年間特に事故と言う事故もなく過ごしてくることが出来ました。本当にありがたく思っています。
この度、給食センター新設にあたりアレルギー対応委員を募集しているのを知り、これから益々増え続けるであろう食物アレルギー児にとってまたご両親にとって少しでもお力添えになれればと思い申し込みアレルギー対応委員の会議に出席しております。
食物アレルギーは最近こそ表示義務が基本となりましたが、まだまだ私たちからすると過ごしにくい世の中であり、また理解されているようであってまだまだそうではない部分がたくさんあります。
大人でさえ迷って悩んでしまう表示を子供本人に理解できる力を、と言うのはアレルギー児を持つ親にとって本当に難しい課題の一つです。
娘が保育園に通っている時に我が家には大変な事件が起きました。
地元の和菓子屋さんで買った饅頭に卵が入っており、それを食べた娘が大変なことになりました。もちろん表示には卵が記載されていないのを確認の上で食べさせました。
しかし、途端にもがき苦しみ始める娘の様子を見てこれは普通ではないと確信し、すぐにその和菓子屋さんに電話をしました。するとお店の人はただ一言「欄に書ききらなかったから」との簡単に答えでした。
本当に義務化されて少しづ理解もされてきているであろうと思っていた矢先であり、私たちにとってとてもショックな事故でした。
やはりアレルギー児を持った苦労や大変さは当事者でなければ理解してもらい難いんだな、国がやってくれるのを待っているのだけではいけない、やはり当事者の私たち親がどんどん声をあげていかなければと思いました。
毎日毎日、給食の献立表をミスのないように確認し、代替え弁当を作る際にも
回りにあまり目立たないように、それでいて引けをとらないで本人も満足するようなものを作るのは大変な作業であり、プレッシャーや苦労もあります。
前の晩に次の日の献立を見て「明日はこれが食べられるんだ」と思った時の肩の荷が下がる気持ち。朝目が覚めるとハッとまず「今日の給食はなんだっけ」と考えます。
幸い我が家は学校に近く、私が仕事もしていないので届けに行くことも、慌しい朝の時間の中で代替えを作る大変さは他の人に比べるとまだまだ楽なのかもしれません。
お仕事を持ちながら朝代替え弁当を作り、食べる頃には冷めてしまうであろう汁物などを詰める時の気持ちは親として辛いものであると思います。
普通の子が当たり前のように毎日食べている給食を、朝学校に出かける時に「今日はラーメンが食べられるよ」と言った時の子供の喜んだ顔は複雑な思いでもありますが、その分きっと些細なことでも喜べる、人の痛みをわかる子であって欲しいと親として願います。
走るのが遅い子、目が悪くてメガネをかけている子、顔にホクロのある子、色んな子が当たり前にいていいように、体に合わない食べ物がある子も一つの個性として受け止めてもらえる世の中を望むのはアレルギー児を持った親として共通する部分だと思っています。
飽食の時代と呼ばれる今のこの世の中、食物アレルギーを持つ子供たちは「食べられる」と言う喜びを知っています。
そして本当の味を知っています。そんな娘を私は誇りに思います。
不自由は多いけれど、お友達が協力してくれたり理解してくれることに感謝の気持ちを持っています。
「食べられなくてかわいそうね」と言う言葉をアレルギーの子はよく言われます。
しかし本人は食べられなくてかわいそう、と思っていません。
食べられない=かわいそう、ではないのです。
どうか食物アレルギーの子をかわいそうな子にしないであげてください。
そして毎日毎日食事作りに頑張っているお母さんたちの苦労をこの給食センター新設ほ機会に少しでも和らげて欲しい思います。
多くの子ども達が一食でも多くおいしく食べられる学校給食になったら、子ども達もどんなにか嬉しいかわかりません。
自校式にも劣らない、是非そういう給食を作ってください。
どこよりも誇れる食のバリアフリーを素晴らしい新設給食センターで築き上げて欲しいと思っています。
給食がレストランの食事のように、誰がどんな風に作っているのかわからなかったり、出されたものをただ食べるのではなく作り手の温かい気持ちまで見える、そして子供達もそんな給食を皆で楽しく感謝の気持ちを持つことができる、
そんな素敵な給食が理想です。
ありがとうございました。