今日は卒業式でした。
午後から校長室で6人だけの卒業式。
校長先生からの言葉
「今日ここへ来られた事が素晴らしい」
支えてくださった先生方のお陰です。
この日を迎えられたことだけで私にとっては十分花丸。
親としての自信をなくし、日々自分を責める毎日。
どう接すればいいかわからなくなってまるで腫れ物を扱うかの時期もありました。
泣いてはいけない、しっかれしなければ。
自分が親に泣かれるのがすごくイヤだったので
龍平の前では絶対に泣くまいと頑張ってきたけど
1度だけ修学旅行に頑張って行く、と前向きになれていたけど
結局直前になって勇気が出ず、行く事が出来なかった時
一生懸命になってくださっていた先生の前で「ごめんなさい」と泣いてしまった時
奥にいた龍平が「泣かないでよ」と声をかけてくれたこと。
学校ばかりが人生でない、と気持ちを切り替えたつもりだけど
やっぱりどこかで期待してしまっていて
龍平の気持ちの浮き沈みの波にいつも振り回されて
それでも生きてくれているだけで良かった。
朝、部屋を覗いたら首をつって死んでいたらどうしよう、
などと真剣に悩んでいた時もあった。
2年の頃、珍しく自分から話をし出して
「ママ、俺はこうやって2年間パソコンの前で過ごしてきちゃったけど
得るものもいっぱいあったよ。ここで友達に色んなこと教えてもらったし
すごくプラスになったよ」
と話をしてくれた。
龍平に「今、こんな時代だし、無理に学校に行かせて龍平に死なれちゃったりしたらママ生きていけないし。」と言うと
「ママは俺がそんなことをすると思っているの?
人生これからが楽しいのにそんなことするわけがないよ。信じてよ」
ものすごくびっくりした。そして感激した。
テレビを見て笑ってくれている、ご飯を食べられる、ゲームに没頭できる
そんな些細な事、これだけでも十分と思えた。
一時はこれが人間かと思うくらい暗く死んだようになっていた。
声をかけても返事もしない。
やっと返事をしたと思っても「しらねーよ」「うぜんだよ」「しつけー」「出てけよ」
これが思春期かと腹をくくらねばと思ったがやっぱり辛かった。
相談室に何日か通えていた頃に
相談員さんたちと給食を食べていて
龍平が「このパン、持って帰ってもいいかな」と言ったらしく
「本当はいけないけど、特別にいいよ」と言い「どうしたん?食欲ないん?」と
相談員さんが聞くと
「ううん、妹がアレルギーで色々食べられないものがたくさんあってママは
大変なんだ。だらか持って帰ってママに見せてあげようと思って」と
言う話を後から相談員さんが聞かせてくれた。
実際には私にパンを見せてくれた事実はなかったのだけど
そんなことがあったことを聞かされてものすごく驚いた。
親バカと思われてもいいけど、こんなに優しい気持ちを持てる子に
育ってくれた事に感謝しなければ。
けど優しすぎて自分を出せなくなってしまった、これも私の責任。
何度も友達が迎えに来てくれて、誘ってくれて
そんな友達にさえも「気を使ってもらって申し訳ない」と言った。
こんなに回りのみんなに一生懸命になってもらっているのに
応えることができない自分がまたイヤだったりしたんだろうな。
色んな意味で龍平なりに必死で頑張った3年間だと思う。
帰り際に養護の先生が
「人より辛くて頑張って頑張った事は絶対にこの先力になるよ」と言って下さった。
嫌な思い出ばかりの中学生活から開放されて
ものすごく重たい鎧がやっと脱げたような感じなんだろうと思う。
言い方を変えれば
今まで親に反抗することなく、我慢していい子で来た龍平が
「学校に行かない」という強い意志で初めての反抗だった。
物事を自分で決断した、その事実はすごいことだと思う。
これですべてが終わったわけではないけれど
私も龍平もものすごく大きな仕事を一つやり終えた気持ち。
2年受け持ってくださった先生、本当に本当にありがとう。
色んな感謝の気持ちを伝えたかったけど、言葉にしようとすると
涙が出てしまって「ありがとう」ばかりしか言えなかった。
お疲れ様。
そして卒業おめでとう。よく頑張ったね。
午後から校長室で6人だけの卒業式。
校長先生からの言葉
「今日ここへ来られた事が素晴らしい」
支えてくださった先生方のお陰です。
この日を迎えられたことだけで私にとっては十分花丸。
親としての自信をなくし、日々自分を責める毎日。
どう接すればいいかわからなくなってまるで腫れ物を扱うかの時期もありました。
泣いてはいけない、しっかれしなければ。
自分が親に泣かれるのがすごくイヤだったので
龍平の前では絶対に泣くまいと頑張ってきたけど
1度だけ修学旅行に頑張って行く、と前向きになれていたけど
結局直前になって勇気が出ず、行く事が出来なかった時
一生懸命になってくださっていた先生の前で「ごめんなさい」と泣いてしまった時
奥にいた龍平が「泣かないでよ」と声をかけてくれたこと。
学校ばかりが人生でない、と気持ちを切り替えたつもりだけど
やっぱりどこかで期待してしまっていて
龍平の気持ちの浮き沈みの波にいつも振り回されて
それでも生きてくれているだけで良かった。
朝、部屋を覗いたら首をつって死んでいたらどうしよう、
などと真剣に悩んでいた時もあった。
2年の頃、珍しく自分から話をし出して
「ママ、俺はこうやって2年間パソコンの前で過ごしてきちゃったけど
得るものもいっぱいあったよ。ここで友達に色んなこと教えてもらったし
すごくプラスになったよ」
と話をしてくれた。
龍平に「今、こんな時代だし、無理に学校に行かせて龍平に死なれちゃったりしたらママ生きていけないし。」と言うと
「ママは俺がそんなことをすると思っているの?
人生これからが楽しいのにそんなことするわけがないよ。信じてよ」
ものすごくびっくりした。そして感激した。
テレビを見て笑ってくれている、ご飯を食べられる、ゲームに没頭できる
そんな些細な事、これだけでも十分と思えた。
一時はこれが人間かと思うくらい暗く死んだようになっていた。
声をかけても返事もしない。
やっと返事をしたと思っても「しらねーよ」「うぜんだよ」「しつけー」「出てけよ」
これが思春期かと腹をくくらねばと思ったがやっぱり辛かった。
相談室に何日か通えていた頃に
相談員さんたちと給食を食べていて
龍平が「このパン、持って帰ってもいいかな」と言ったらしく
「本当はいけないけど、特別にいいよ」と言い「どうしたん?食欲ないん?」と
相談員さんが聞くと
「ううん、妹がアレルギーで色々食べられないものがたくさんあってママは
大変なんだ。だらか持って帰ってママに見せてあげようと思って」と
言う話を後から相談員さんが聞かせてくれた。
実際には私にパンを見せてくれた事実はなかったのだけど
そんなことがあったことを聞かされてものすごく驚いた。
親バカと思われてもいいけど、こんなに優しい気持ちを持てる子に
育ってくれた事に感謝しなければ。
けど優しすぎて自分を出せなくなってしまった、これも私の責任。
何度も友達が迎えに来てくれて、誘ってくれて
そんな友達にさえも「気を使ってもらって申し訳ない」と言った。
こんなに回りのみんなに一生懸命になってもらっているのに
応えることができない自分がまたイヤだったりしたんだろうな。
色んな意味で龍平なりに必死で頑張った3年間だと思う。
帰り際に養護の先生が
「人より辛くて頑張って頑張った事は絶対にこの先力になるよ」と言って下さった。
嫌な思い出ばかりの中学生活から開放されて
ものすごく重たい鎧がやっと脱げたような感じなんだろうと思う。
言い方を変えれば
今まで親に反抗することなく、我慢していい子で来た龍平が
「学校に行かない」という強い意志で初めての反抗だった。
物事を自分で決断した、その事実はすごいことだと思う。
これですべてが終わったわけではないけれど
私も龍平もものすごく大きな仕事を一つやり終えた気持ち。
2年受け持ってくださった先生、本当に本当にありがとう。
色んな感謝の気持ちを伝えたかったけど、言葉にしようとすると
涙が出てしまって「ありがとう」ばかりしか言えなかった。
お疲れ様。
そして卒業おめでとう。よく頑張ったね。