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叔父の特攻隊の話

2024-08-15 07:03:11 | 日記

私は55歳.なので,戦争は全く経験がない.

父親は昭和10年生まれ.他界したが,子供の頃に近くの空港が燃えているのを見たらしい.

あとはサイレンが鳴ったら防空壕に入ったり,防空頭巾とか,竹やりで相手の戦闘機をつっつく練習とか.

配給では,かぼちゃが多くて,飽きてしまったとか.

終戦後にアメリカ兵がチョコレートをくれて,驚くほどおいしかった.という話は聞いたことがある.

「戦争はするものじゃない」というのは何回も言っていた.

 

父親は10人兄弟の末っ子(双子).

長男(私から見て叔父)は戦争に行った.

赤紙という書類が自宅に届くと「兵隊になる」事を意味する.

母親は,涙を流したそうだが,戦争反対とか,兵隊に行くな.とかいうと

「非国民」として,非難され 場合によっては逮捕?とのこと.

 

叔父は,大家族での長男だった.家は裕福ではないので,学校は途中であきらめ,自分で勉強したそうだ.

私が中学生の頃,叔父の茶色く四角いアタッシュケースを見せてもらったことがある.

その中には,銀色の四角いお弁当箱と数冊のノートが入っていた.ノートの中身は,勉強の内容だ.

昔は教科書なんて手に入らなかったようで,それを書き写したり,勉強した内容をまとめていた.

そして,ラグビーが好きだったらしく,自分でお弁当箱に 白米と梅干をつめて,持って行ったそうだ.

 

地元では秀才.と言われていたようだ.飛行機に乗るためにはある程度の学力が必要だったようだが,

地元では一番最初に「特攻隊」として選ばれたようだ.

赤紙が来ただけでも 親としては泣くだろうに,特攻隊だったので・・・・・.

 

戦争に赴くとき,駅に多くの人が集まり「バンザイ」をしたそうだ.

 

そして,フィリピン海沖で特攻したとのこと.

 

骨が戻ってきたかは全くわからないが,家族のお墓には叔父の名前が刻まれている.

 

非国民・強制的な入隊など.昔の日本はどうかしていた.というか,戦争をする国は 政治家主導で,国民は犠牲者.

日本の戦争の歴史は,誇れない.なので他国に対して,一般人の私たちも反省し,立場を理解しなければならない.

特に海外出張や旅行の時に,本当の戦争の歴史を知らなければ現地の人に失礼になることがある.

といっても,国民も国の政治家の犠牲者であるのは間違いない.

隣国の核開発に余念がないところの様だったのかもしれない.

20年位前に,初めて海外に行った.オーストラリアだった.

自由時間の時に,公園の奥に大きな白い塔があったので,行ってみたら,戦争記念館だった.

中に入り,当時の新聞の記事(英語)を読んだら,日本が侵攻してきたとのこと.

オーストラリアまで日本軍が行っていたなんて・・・・.知らなかった.驚いた.

仕事でタイに行ったとき,若い高学歴の女の子が通訳についてくれた.その時に教えてくれたんだけど,

「タイのお年寄りは日本人が嫌い.戦争で多くの人を殺した.だけど今は,多くの仕事を日本は与えてくれるので 若い人々は日本が大好き」とのこと.

またフィリピンでは「決して一人で出歩かないで.拳銃で殺されるかもしれない」と.一緒に仕事で行った人は,田舎道を散歩していたら,

猟銃を突き付けられて「お前は日本人か?」と言われた.とのこと.殺されると思ったようだ.

こんなことも私は知らないで海外に行っていたので,とても恥ずかしかった.

 

先日,卓球女子の 早田選手が「特攻資料館」に行きたいとおっしゃったようだ.

特攻隊だった叔父を持つ私でも全く知らなかった.ぜひ行かなければならない.

 

昨年 広島の 大和記念館に行ったときに,ゼロ戦があった.「叔父はこれにのって自爆攻撃をしたのか・・」と思うと

涙があふれてきた.

人の命が,たった一つの爆弾を爆発させるために失うなんて,それを考え出した人,指示した人に恨みしかない.

まずはその人々から 真っ先にぶつかっていただきたかった.というのが本音だ.

 

オリンピックでメダルをとるために,小さなころから つらい努力を繰り返してきた早田選手が,戦争で亡くなった

特攻隊の記念館に行きたい.とのお話し.とても感動しました.

日本国民として,過去のつらい歴史にしっかりと 私も向かいたい.なので,今年度中に鹿児島に私もいって,勉強してきたいと思う.

だって,学校の勉強では,戦争の悲惨さを教えてもらえなかったからね.


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