5月2日、父和男は、自宅往診デビューをしました。
その日珍しく正気に戻った父。
往診の先生にもしっかり受け答えして、
なんで父親は、先生の前になると症状も良くなるのか?不思議です。
和男の七不思議です。
往診デビューをしたのは、腰に褥そうを見つけたからでした。
平行して、介護保険の手続きも走りました。
先生が帰られた後に、「いつも迷惑かけてすまんなあ。お父さんに何かあったら、
先生と上手くやり取りお姉ちゃんしてくれな。」と子どものように大きな声で元気に言いました。
「長いことお風呂入っていないから、明後日夜勤明けにお風呂入れるからね!」と私。
父は、素直に「はい!」と返事しつつ、また認知症で怒りんぼうの和男になってました。
翌日の夕方、勤務中に母親から電話があり、父親の呼吸がおかしく泡をふいてお風呂場の前で倒れていると相談。
私より先に救急車やろ!!と、母親に救急車の呼び方教えて、私も病院へ。
父は、病院に運ばれ救急の先生の話しによると、救急隊員が到着した時点で
心停止、呼吸停止、瞳孔も開ききり30分経っているので、昇圧剤を使っても数時間~1日持つかどうかとの事。
どうしても、父が可愛がっていた篠山にいる私の息子に会わせたくて、なんとか延命をお願いした。
店主が篠山を往復し、父は、孫に会える事ができた。
地下の待合室のベンチで夜明けを迎えた。
悲しみに浸る間もなく、現実に向き合わないと気持ち切り替え
落ち着いているとの事で篠山まで息子を送り、葬儀屋さんの予約や、準備でフラフラになった。
父は、その日から体温33℃になりながら3日間眠り続けた。
明日、もう亡くなるかもしれないと思うと、あ~もっと優しくしてあげたら良かったなあとか、
あんなに病院嫌いやったから、病院やめてあげて手術も止めてあげたら良かったのかな?と
後悔ばかりしばがら、父親の棺に入れる物を準備していた。
聴覚障がいの弟が、「お父さん、目が覚めてしゃべってたで。僕の言うことにもうなずいてで」と言うから、
すぐに病院に行くと、本当にしゃべるし、目も開いている。
しかも、身体が痒いとベットで暴れ、くくられていた
亡くなる間際に調子戻ると聞くのでそれなのかなと思っていた。
翌日もよくわからないが話してる。
人工呼吸器を付ける手術の説明もあったけど、外せるくらい普通に呼吸してる。
確か、30分心停止して、呼吸も止まり、瞳孔開いてたよね。
それ1回死んでたって事だよね。これって生き返った?
恐るべし和男パワー!だと思った。
まるでマンガのような展開だった。
死に際に母親がこれまでの恨み言を言ってたからか、
まだまだこの世に心配ごとが沢山あったからか、
父は、生かされているのかよくわからないが?
職場の人もあまりに頑固なお父さんと知っているので、
生き返るような気がしたと言われ、私も笑ってしまう。
頑固な人は、何度も生き返るそうだ。当たっているようです。