さぽーと・けあぺん(就労継続支援B型事業所 兵庫県丹波篠山市)

地域の方々と関わりながら、障がい者の方々と一緒に働き事業所を楽しみながら育てて行く日々のお話しブログです。

辛口なほど②

2018-04-25 22:45:04 | 介護、福祉
和男ボイコット作戦は、成功しましたが、診てくれる先生がいないと困る。
本人不在で勇気を出して、3時間以上待って女性の先生に相談しました。

先生は、30代位でした。
先生は、大学病院から送られた紹介状を読み、

「中々のつわものですね。
お父さんの年齢を考えると、本当は、入院しないとあかんけど、
好きにさせてあげたら良いと思いますよ。
薬も飲まなくてもいいです。たぶん、飲めと言っても無理でしょう。
家族さんも頑固なお父さんだとしんどいでしょう。
怒らせないでいるのが、お父さんもストレスなく長生き出来る。
家族さんが大切と思っているかも知れないけど、
難しい人ほどなんだかんだと死ぬ死ぬと言いながらも長生きして元気なんですよ。
病院の患者さんの大半そあんな高齢者の人沢山います。
もうだめだ~となってからでも、ちゃんと受け入れますから。」
と、言ってくれました。
すごく自分の思いを理解してもらえたような気がして、
何だか張り積めたものが切れて泣いてしまいました。
他の人が聞いたら、先生らしくなかったかもしれないですが、
辛口な言葉に響くものがありました。

仕事でも、辛口な言葉で注意してくれる人には、どこか優しい思いやりを感じます。
厳しさの中にも寄りそってくれているような。
あ、でも嫌味や感情的なもんは違います。

怒られ慣れをしていない、今の若い人たちには、理解してもらうのが難しいかもしれません。
でもいつか、あの日怒られたことがどこかで自分の身に付いていたのなら
それは、大きな意味があった事になると思います。

父親にヘルパーのテキストに載ってたのと同じ流れで、いよいよ認知症の症状が現れてきた。
先週夜中には、近所を徘徊し叫んでいたそうだ。
本人は、悪い男が来たと言ってました。

今日、父親は、珍しく病院について来てくれました。
相当しんどい様子で「今日、死んでしまうような気がする」と口にしていて、
私もそうなるかもと不安でした。
病院の処置室でしばらく寝て、先生に声をかけられ父親は、いつもの和男パワー全開で復活してました。
先生も「どこが病気なんですか、検査も数値的に何も問題ないですよ」とあきれていました。( ;∀;)
先生の言葉通り、うちの父親にかぎっては、死ぬ死ぬと言う人ほど長生きする、当たってました。
これからも、私は、ひげ爺さんに励まされた「生まれた時からの定め」を胸に、
手を焼かされる父親ですが、敬いながらお世話をして行きます。

辛口なほど①

2018-04-20 18:23:39 | 介護、福祉
今週も母親、父親の病院と弟の事で忙しい1週間でした。
母親が通う病院に父親も通えるように、これまでの大学病院に手続きしてもらいました。
医療費の上限も同じ病院に家族が通っていないと意味がないらしく、
2人分の入院代がそれぞれ毎月恐ろしいくらいかかりました。( ;∀;)

大学病院の採血の順番は、いつも7:30から並び、
そこから父親を迎えに行き、採血の結果を2時間近く待ちやっと診察になります。
何も問題なければ、また父親を自宅に送り、病院に戻り支払いする。
その日だけで自転車、タクシーを使って3往復して夜勤に入る、
入院ともなれば時間との戦いでした。
先生も父親の心不全のためにあらゆる方法や投薬を考えてくださるのですが、
心不全は、利尿剤がメインで、寝る間もないくらいの大変さがあるのですね。

頑固な父和男は、今年初めの頃に、自分の身体なのに思う通りにならず、しんどいし、苦しいし、
頭と心のバランスが崩れたのでしょう、こんな身体なら死にたい、生きていても仕方ない、殺してくれと自宅で大声で泣き叫びました。
病院ばかり連れて行く私が悪いと罵られ、自殺騒ぎになり大喧嘩になりました。

それから、私も考え方を変えました。
父親の人生だから私が長生きして欲しいと病院に行っても
それは、私の自己満足なのかも知れないなあと。
父親は、その日から沢山の薬を飲む事を止め、自分らしく残りの人生を歩む事を決めたようでした。
でも、やはりいざと言うときは、浮腫で大変な事になるので、
母親が入院したときに自分も同じ病院がいいと父親が言うので手続きをお願いしたのですが、
今週、母親の治療には合わせて一緒行く~と何度も言ってたのに、頑固な父親は、なんだかんだと言い訳して
布団から出て来ずまんまと和男ボイコット作戦を成功させました。

つづく

母の帰省

2018-04-13 15:36:50 | 介護、福祉
久しぶりの更新です。
年明けから、坂を転がる勢いで父親と母親の入院が交互にあり、
仕事休めない、自宅、実家、病院、篠山を行ったり来たりとかなりキツい日々続いてました。
苦しい時にお世話になっているひげ爺さんから「人生の定めと思って受け入れなさい」とお言葉を頂きました。
すごく心が軽くなりました。
あ~そう言えば、何でこんなに自分ばかりしんどいんやろ、親の事で振り回されてるんだろうと
泣き言、不満と今思えば自分勝手な思いばかりで、
しんどさからイライラで病気の両親に対しても周りの人にも優しい気持ちすら無かったです。
世の中には、24時間熟睡される事もなく、大切な人の介護をされている人も沢山居られます
その事を思うと、私がしている介護は、ほんの僅かな時間。
「人生の定め」と思う事で、イライラして運命に逆らっても仕方ないと焦る事を止めました。
ひとつ、ひとつどんな事もこなして行こうと気持ち切り替えました。
そうしたら、何だかひとつ終わるごとに、
以前みたいに焦りもなくて、また次進んでみようかなあ~と、気持ちに余裕できたような気がします。

元気に過ごせる時間が半年~1年と言われた母のために、
母のきょうだいに会わせてあげる計画をしました。
私を子どもの頃から可愛がってくれたおじさん、おばさん、いとこのみんなが温かく迎えてくれました。
おばあちゃんが生きていた頃と変わらない優しく温かい時間を過ごせて母も私も店主も前に進めそうです。
みんな本当にありがとうございました。
また来週からしんどい治療が始まりますが、長生きしたいと願う母もきっと頑張ってくれると思います。