荻窪鮫

元ハングマン。下町で隠遁暮らしのオジサンが躁鬱病になりました。
それでも、望みはミニマリストになる事です。

出世の巻。

2013年05月10日 | 聖なるブログに名も無きカテゴリを
男も40半ばを過ぎますと、リーマンの世界では課長とか次長とか部長とかいった役職に就くかと存知ます。

企業規模の大小・ブランド性の有無・業種の差異等問わず、どうであれ出世というのはうれしいものであるはず。

なぜなら、評価というのは自分でするものではなく、あくまで他人がするものだからです。

自分で下す評価などなんの意味もない、ただのマスターベーションであります。

他人に認められてうれしくないヒトが存在する訳ありません。

もし仮に、本当に出世に興味がないとしたら、そのヒトはリーマンには向いていません。

競争原理に身を置くのを否定して生きるヒトも少なからずいますからな。僕は知りませんけど。



学生時代の友人と酒場にて。

『ところで○○さ、そろそろ部長になったの?』

『え?俺?いやぁ部長になれって言われてるんだけど、断ってんだよねぇ。役職手当なんかたかが知れてるし、責任ばっかり重くなって意味ないからさぁ』



という様な会話を少なからず聞いた事があります。

この場合、○○氏に部長昇進のお話しなどありません。

企業の昇進辞令というのは絶対であり、上記の様な意味のない理由で回避出来る訳がないからです。

○○氏が上記の様な寝言を言うのは【見栄】にすぎません。

まぁ、男も40半ばを過ぎますと、ひとめ見ただけで『あぁ、このヒトはせいぜい課長かなぁ』とか『あぁ、このヒトは部長だろうなぁ』というヒトの格というのが如実に現れます。

これを俗に【貫禄】という訳ですね。

こればかりは正に男の履歴書であり、一朝一夕で身につくものではありません。

仕事とは男にとっては人生であるべきだと僕は思っております。

精神誠意その職に注力していれば、必ず結果は出ます。

その結果に伴い、当然評価も高まるものと僕は思っております。

他人からの評価がない人間は、人生をいい加減に送って来た人間と言いかえても差し支えはないでしょう。



【出世への近道】。居酒屋の便所でこのテの説教板はよくあります。【親父の小言】とか。

結構、身にこたえます。40半ばを過ぎると。

『妬み屋は出世しない』谷沢永一(ニッポンの文芸評論家・1929~2011)

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