だんだん、身体の疲れがとれないでとうとう、その疲れが同じ事しか考えられなくなり、とうとう人に説明する事もできない状態なので周りにお願いして状況を説明しようとして会社の人にお願いして、精神科に電話したら、もうそれだけで精いっぱいの状態なのに対応が悪い。
そして、何も連絡もないのでストレスがだんだん、怒りに変わったのでとにかく、周りに話しまくりそれでも、すっきりしない。
もう、説明する事さえ考えるのにストレスになっていく。
もう、身体の状態がかなり深刻にきつい。
しかし、偶然な事になんとか生活できている。
そして、土曜日、日曜日になんかうつの言葉がはいって来て、その言葉が落ち着いていくイライラを解消しているのに気づいた。
だから、家でゆっくりしててもうつという事を認識すると
だんだんと変な発想が浮かび、相手の事もよく理解できるようになっていた。
だから、その考えを日記に書いていたら、やっぱり、明日の事がストレスになってイライラして、病院の掃除の事や掃除させている患者さんに不信になって、なんか怒りを感じて来て、よく考えたら今、うつの世界にはいっていて何かしらの必然があると信じ込みだした。
そして、疲れて眠り、起きて買い物に行ってくだらないと思いだしたら、ただの偶然に気づいた。
今まで、やっていた事に反省する癖を見いだしていたので何かしらの必然性を考える自分がいたのに気づいた。
だから、うつの世界で行動には必然があると勘違いして、その事に防御線を貼って周りを巻き込み、病院に抵抗していた事に気づいた。
だから、制度ではできないと言われ、結局は指示に従う事がわかるとだんだん、その事を受け入れる自分に気づいた。
疲れがとれて、考えるとただの偶然が偶然を読んでただの偶然の結果ではないかと気づき始めた。
いつの間にか、失敗ばかりやっていたので自分に問題あるのかなと思い、反省してやっていたら成功する事に気づき。
何かしらの偶然が結果を招いた事に気づかなかった。
だから、家族も不思議な偶然に振り回され、成功するから感に頼り、生きて来て、それに振り回されてきた家族が犠牲に合い、その愚痴を聞いたり、その偶然が一人でやらない事になってただ一人で生きる結果となってだから、一人で反省して振り返り、対処する事に気づき、対応したらだんだん成功する事に気づき。
ただ、一人で生きていこうと考え始めたのかな?
その一人の事がきっかけとなって一人暮らしを始めた。
ただ、一人暮らしになって成功さえしてれば、いい考えにはなって自由に生きられるとれて勘違いしていた。
そして、家族が結果ではやっていけないのに気づいたので
最後の手段である子供の運に気づき、おこってばかりいたので萎縮していたのに気づいたのでだから、お願いしたら、その姿にびっくりして優しい気持ちでやったつもりでができないのに気づいていないので単に一人で片付けるようになっていた。
だから、できないのに工夫してしまったら変な成功に気づき、それは合理化だと気づかされた。
ただ、偶然が偶然を呼びできないもの同士が気づき、その合理化が成功できてさらに凄いパワーで成功するのでびっくりしてそれを信じるようになった。
だから、みんな成功するから歩まなければならない道に歩まないで楽にして、遊ぶ事をよぎる覚えたらそこでいろんな知識に出合い、それを実行したら成功するのでさらに追い討ちをかけた。
でも、結果は結果であってそれを気づかないで遊ぶ事を知らない子供が耐えて自分の事を楽しんでいるので情報を知らない。
だから、そんな事を学ぶ事かけたできないけど結果が出ていたので訳のわからない家族が本来、やらないと言わないと思い、それが陰の仕事だと気づき陰の仕事をやる。
だから、陰の仕事を知らない事が変な理解をうみ、それを自分のせいにしないでやったら過去のつけがだんだんと訪れ過去の責任をとるけどそのしわ寄せが家族に来ているのに気づかないで遊ぶ事を覚えた遊び方を学んで成功した事は実は家族の協力であって、その事がわからないのでそのしわ寄せをまた家族へ追い討ちをかけて、本来、やらないといけない家族の成長を止めて、だから変な頼り片付けになっていたのに気づいていないので周りの家族は家族の責任だからとして無視する。
結局は公共に頼るけど、また変な状況を作り、変な行動がはいって来ているのに気づかないでやっていたら、やらなければならない子供が成長してないので遊ぶ事を覚える止めと変な方向に走り、もうすでに危ない状況になっていた。
だから、偶然が偶然を呼び。
その偶然にであった人達が成長の道標を教え初めて、偶然の奇跡が起きていたのに気づいていない。
だから、お互いしわ寄せをよぎ持ってお互いの知識でものをみる事になる。
そのしわ寄せが身体に来ているのに気づかないで行動していたらだんだん、変な事に気づいてお互いの行動を見つめていた。
だから、変な偶然が偶然を呼び奇跡がおこっているのに気づいていないので、その事には偶然であってストレスを知らないので身体にきているのに気づいていない。
だから、否認をして変に認めると不思議な事がおこって偶然になっていた。
それが結果。
その結果にびっくりして身体と心と考えと精神がぶつかりパニックになっていた。
それが精神病として現れていた。
それがまた変な偶然を産んで
パニックになって説明できない自分ができたと思い信じない。
それが精神と生き方。
変な偶然が変な必然性を求めてパニック。
その精神がかなり一致しておかしいのに気づいて、精神と身体と心と考えが一致してでた結果が偶然。
やっぱり、偶然だから偶然に頼り生きていく。
だから、でてきたのはパニック。
そのパニックと偶然に生きていく。