
うつ解消マニュアル
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)
第37回目(2009・5・15作成)
(マニュアルは第1回目にあります。常に最新版にしています。)
「うつ地獄の教訓」
グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104

ひと月振りでしょうか・・・
このひと月は私にとって、うつ復活後の大きな勉強と試練の時でもありました。
あまりの忙しさに、折角の連休も自宅で仕事をしなければならない状況でしたが、
配偶者も気持ち良く手伝ってくれました。
思い起こせば6年前、
うつになった頃もあまりの忙しさに配偶者の手を煩わせました。
その時も気持ち良く手伝ってくれたものです。
思わぬ事で配偶者の有り難みを再認識することになりました。

(我が家のまり)
ところで、大きな試練と学びのことですが・・・
うつの経験のお陰で、自分では人間的にも精神的にも成長したという実感みたいなものがあったのですが、忙しくなるとやはり駄目ですね。
最初の気付きは、人の話をよく聞かなくなったり面倒がる自分の発見です。
頼ってきた人に、きっと嫌そうな顔を見せていたに違いありません。
うつの経験からも「自分がされて嫌なことはしない」ということが自然に身に付いたはずなのですが、先ずこのことが駄目でした。
私が尊敬する哲学者林竹二の「絶望のないところに本当の優しさはない」と言う言葉が思い出されました。
私のうつ地獄は人間性を取り戻すためのものだったと思っていますが、
ちっとも優しさのない自分がそこにいました。
そして、辛いときこそ・忙しいにときにこそ自分の真価が問われるときなのに・・
自分のことで一杯になっていたことを思い知らされることが、昨日ありました。
私より遙かに後輩である職員から、仕事上のことで嫌みとも取れる言動があり、
そのことに腹を立てた私は、その上司に部下の指導力の欠如を指摘したのです。
「言うべきことは言う」、これは正しいことですが、
それには相手への愛情がその根底になければなりません。
それなのに私は己の怒りにまかせて、爆発させてしまったのです。
後になってよくよく考えてみると、
嫌みを言った方にもそれなりの言い分があってのことでした。
ところで、私はその上司の人となりを「頑張り屋だけではない、
人間的な深みもある好ましい人物」として大いに評価していました。
だから、このことは平和裡に、
そして互いに理解を深め実のあるものに出来たはずなのです。
怒りが、理性を上回ったてしまったということでしょうか。
嫌みというのは、その人の了見の狭さを露呈するものです。
恥ずかしいことですし、人を非常に不愉快にさせるものです。
そんな常識もないのかという私の正論は、正直に言いますと、
その時は怒りを原点にした理性を欠いた愛情のないものでした。
指導力を激しく問うた私は、鬼畜以下だったと思います。
私には想像も付かないほど、彼は傷ついたことでしょう。
(今は大いに反省しています。)
「うつ解消マニュアル」に書いた「笑顔や肯定語」は一体どうしたのでしょう。
今はただただ自分の不明を恥じるばかりです。
恋する二人の脳は理性を司る脳の部分が抑制されていることが、
最近の研究で確認されていますが、怒りを感じた時も同じなのですね。

(北海道美瑛町)
また、どんなことにでも言えることだと思うのですが、
「暇なときに手伝うのは当たり前、
忙しいときにこそ手伝う」というのが大人の良識です。
そう思って生きてきたはずなのに・・・
忙しくなってからの私は、全然駄目でした。
手伝う余裕がなかったというのは本当のことですが、
大人の良識をすっかり忘れていました。
先日書いた「悪人正機説」が思い出されます。
自分の本性に悪人がいることを、常に自覚しておく必要がありますね。
忙しさは当分続きそうですが、
うつ地獄を経験した者として恥ずかしくない言動に心がけたいと思います。
それにしても、このことは克服したと思っていたのですが・・・
(脳及び心疾患並びに認知症及び更年期障害予防)
第37回目(2009・5・15作成)
(マニュアルは第1回目にあります。常に最新版にしています。)
「うつ地獄の教訓」
グー(2007.7.1開設)のブログに開設中
http://blog.goo.ne.jp/kenatu1104


ひと月振りでしょうか・・・
このひと月は私にとって、うつ復活後の大きな勉強と試練の時でもありました。
あまりの忙しさに、折角の連休も自宅で仕事をしなければならない状況でしたが、
配偶者も気持ち良く手伝ってくれました。
思い起こせば6年前、
うつになった頃もあまりの忙しさに配偶者の手を煩わせました。
その時も気持ち良く手伝ってくれたものです。
思わぬ事で配偶者の有り難みを再認識することになりました。


(我が家のまり)
ところで、大きな試練と学びのことですが・・・
うつの経験のお陰で、自分では人間的にも精神的にも成長したという実感みたいなものがあったのですが、忙しくなるとやはり駄目ですね。
最初の気付きは、人の話をよく聞かなくなったり面倒がる自分の発見です。
頼ってきた人に、きっと嫌そうな顔を見せていたに違いありません。
うつの経験からも「自分がされて嫌なことはしない」ということが自然に身に付いたはずなのですが、先ずこのことが駄目でした。
私が尊敬する哲学者林竹二の「絶望のないところに本当の優しさはない」と言う言葉が思い出されました。
私のうつ地獄は人間性を取り戻すためのものだったと思っていますが、
ちっとも優しさのない自分がそこにいました。
そして、辛いときこそ・忙しいにときにこそ自分の真価が問われるときなのに・・
自分のことで一杯になっていたことを思い知らされることが、昨日ありました。
私より遙かに後輩である職員から、仕事上のことで嫌みとも取れる言動があり、
そのことに腹を立てた私は、その上司に部下の指導力の欠如を指摘したのです。
「言うべきことは言う」、これは正しいことですが、
それには相手への愛情がその根底になければなりません。
それなのに私は己の怒りにまかせて、爆発させてしまったのです。
後になってよくよく考えてみると、
嫌みを言った方にもそれなりの言い分があってのことでした。
ところで、私はその上司の人となりを「頑張り屋だけではない、
人間的な深みもある好ましい人物」として大いに評価していました。
だから、このことは平和裡に、
そして互いに理解を深め実のあるものに出来たはずなのです。
怒りが、理性を上回ったてしまったということでしょうか。
嫌みというのは、その人の了見の狭さを露呈するものです。
恥ずかしいことですし、人を非常に不愉快にさせるものです。
そんな常識もないのかという私の正論は、正直に言いますと、
その時は怒りを原点にした理性を欠いた愛情のないものでした。
指導力を激しく問うた私は、鬼畜以下だったと思います。
私には想像も付かないほど、彼は傷ついたことでしょう。
(今は大いに反省しています。)
「うつ解消マニュアル」に書いた「笑顔や肯定語」は一体どうしたのでしょう。
今はただただ自分の不明を恥じるばかりです。
恋する二人の脳は理性を司る脳の部分が抑制されていることが、
最近の研究で確認されていますが、怒りを感じた時も同じなのですね。


(北海道美瑛町)
また、どんなことにでも言えることだと思うのですが、
「暇なときに手伝うのは当たり前、
忙しいときにこそ手伝う」というのが大人の良識です。
そう思って生きてきたはずなのに・・・
忙しくなってからの私は、全然駄目でした。
手伝う余裕がなかったというのは本当のことですが、
大人の良識をすっかり忘れていました。
先日書いた「悪人正機説」が思い出されます。
自分の本性に悪人がいることを、常に自覚しておく必要がありますね。
忙しさは当分続きそうですが、
うつ地獄を経験した者として恥ずかしくない言動に心がけたいと思います。
それにしても、このことは克服したと思っていたのですが・・・

私を元気づけてくれたのですね。
有り難う御座います