大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

胡桃豆腐

2010-12-30 09:14:24 | 父のいる風景
大文字屋では「胡桃豆腐」(くるみどうふ)を作っている。



胡桃豆腐は、こうして作る。

殻を剥(む)いた、薄皮のついたクルミを、擂鉢(すりばち)に入れて擂粉木(すりこぎ)で油が出るまでよく擂(す)る。

それを篩(ふるい)にかけてさらに滑らかにする。

大鍋に、擂ったクルミと水一升とクルミの2倍の量の葛(くず)を入れ、強火にかけ、大きな木の箆(へら)でゆっくりとかき混ぜる。

だいぶ温まってきたらそれに砂糖を加える。砂糖の量は葛の倍以上になる。

この頃になると葛の粘性が出てきて、箆を動かすのにもかなり力が要る。

大鍋、大きな箆、と書いたが、大文字屋の大鍋は直径60㎝ほどの鉄鍋、木箆は長さ50㎝ほどである。

箆でかき混ぜるのは、一つには、クルミと葛と砂糖が万遍なく混じり合うようにするためであり、一つには、素材を鍋底で焦げつかないためであろう。

憲ちゃんは、大きな木箆で大鍋の底を、手前から向こう側に、掬うように一定のリズムで箆を動かす。

手前から向こうに真っ直ぐに、次には手前から左に半円を描いて向こうに、次に手前から右に半円を描いて向こう側に、そしてまた手前から向こうに真っ直ぐに…。

これを15分から20分ほど続ける。火加減は中火から弱火にする。

箆で材料を掬う音が、トップン・トップンになり、それがやがてタップン・タップンになり、最後はドッスン・ドッスンに近くなる。

子供心には、父の作業は苦痛を伴うものには感じられなかった。(別にここで「つまみ食い」の言い訳をしたいわけではないが。)

いや、はっきり言えば、むしろ楽しそうに見えた。クルミを「練る」音にはリズムがあったのだ。

プロレスラーの豊登が腕と胸で鳴らしたカポン、カポンという音にも似て、コミカルに感じられた。

かき混ぜるもう一つの理由は、粘りや弾力をよく出すためである。

これはもう「混ぜる」というより「練る」段階である。「練り」がしっかりできていることによって、ねっとりとして、なお且つ、滑らかな舌触りの胡桃豆腐になる。足りないと弾力無くボソボソと崩れるような食感になる。

火から降ろす前に塩少々を入れて、甘みを強める。

十分に練って出来上がった「クルミ」は、縦×横40㎝四方、深さ4㎝の「かん」に流し入れられる。かなり粘りが出ているので、「クルミ」とカンの間に隙間ができないよう、またクルミの内部に気泡ができないよう形を整えるには、かなりの注意が必要である。

大文字屋では胡桃豆腐を作ることを「クルミをながす」と言っていたが、この言葉使いはおそらく「かん」の中に流しこむ作業からの連想なのであろう。

「かん」に流した直後は熱をもっているので、放置して冷ます。大方熱が取れたらラップをする。

これで出来上がりである。


しかし、一度に作れる量は限られている。一かんは一升の水を使い、大鍋で一度に2かんはつくれそうだが、日によって「4かん」「5かん」と「流し」ていることも珍しくなかったから、これはかなりの重労働になったであろう。とりわけ昔は茶の間横の通路の竃(かまど)に木切れや木端を燃やしてつくっていたから、熱気がひどく、夏場などは涼しくなった夕暮れ時につくっても、かなり体力を消耗したであろう。


*   *    *    *    *    *


胡桃豆腐は何に使われるのか。

石巻あたりの法事で食事に出される「おひら」の具である。

「おひら」とは、とろみのついた吸い物で、大ぶりの筍や椎茸や胡桃豆腐(4㎝角ぐらい)に、とろみのついたおつゆを張って、根生姜を摩り下ろしたものを一つまみ薬味に載せる。栗や里芋が使われることもあるらしい。

とろみは葛もしくは片栗粉でつけてある。(片栗粉といっても最近はほとんど澱粉(じゃがいもからとった)であり、本当の片栗粉は非常に少ないが。)

母が育った高城町にもあったらしいから、石巻一帯の風習なのであろう。


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クルミを擂鉢で擂るのは、兄(忠典)と私の仕事であった。その昔は、午後になると、みさちゃんなどの店員さんたち全員が、このクルミの摺り方にとりかかったそうである。

剥きグルミをはじめザクザク言わせながらつぶし、擂粉木を擂鉢の中で円を描くようにして摺っていく。はじめその円は小さいが、クルミが粒が小さくなり、ペースト状に近づいていくにつれて、円はだんだん大きくなっていく。その変化がなんとなく面白く、この作業は嫌いではなかった。

余談だが、私が小学5年生ぐらいに、女川の大文字屋に行った時のこと。女川の大文字屋では、すでに「ミキサー」を使って「水」や「くるみ」など材料を一気に撹拌し、あとは火にかけて練るという作り方をしていた。それを初めて見た私は「じゃ、邪道だぁ!!」と内心思った。と言っても、上記のような作り方を熟知していたから思ったのではなく、たんに「自分たちがクルミを擂るのに毎晩費やしている時間と労力は何なのか」と自分を否定されたような気分があったからであろう。ちょうど新美南吉の『おじいさんのランプ』で明るく便利な「電気(電球)」を見た巳之助(みのすけ)が愕然としたのと同じ種類の気持ちである。そもそも、この時期は胡桃豆腐のつくり方などきちんと分かってはいなかった。

この間の一周忌の際にこの話が出ると、女川の信子おばちゃんは、「あら、だから教えんだんだよわ。こいなぐすっとちゃんと混ざるからって。」

実際、大文字屋においても、胡桃豆腐づくりがミキサーを使ったものに変わるのに、それから半年もかからなかったのである。









付記1

水をふくめた材料の量は、作る時の条件によって変わるそうである。たとえば、湿気の多い時には水は少な目にする、あるいは、使う時間帯が少し先になる場合は、固くならないように水を多めにする、といったようにである。



付記2

砂糖については、私はザラメを使っているのを見た記憶があるが、母の話では普通の上白砂糖を使うこともあるそうだ。




付記3

「かん」は、できあがったクルミを流し込む「型」のような容器である。青っぽい灰色をしていて、何でできているのか知らないでいたが、先日母に訊いたところ「トタン」だそうである。最近そのトタンの職人さんがいなくなったため、今使っている容器でトタンの「かん」は最後になるそうだ。

因みに女川の大文字屋では瀬戸引きのステンレスを使っているのではないかとの母の話である。



付記4

石巻近辺で法事で出される料理には、「おひら」の他に「にいかく」というものがあるそうだ。それをつかうことを「にいかくをつける」といったそうだ。「がんもどき」におつゆを張って青菜(セリや三葉)をのせた吸い物である。「がんもどき」の代わりにそうめんを使ったりすることもあるそうだ。昔は完全に精進料理で生臭ものは使わなかったが、今は食糧事情の変化もあって、魚や肉類を使うことも珍しくない。この辺もすべて母の話である。




付記5

ミキサーを使うようになって擂鉢と擂粉木と私と兄はお役御免になったわけである。ミキサーでの撹拌はけっこう長い時間続けないとしっかりした粘りが出ないそうである。




付記6

以前にフィギュア・スケートの映像を紹介したが、伊藤みどりが五輪で女子で初めてトリプル・アクセルを跳んだ時に、彼女は「無心だった」と言っていた。

アスリートが競技において自分の能力をまったく障害なく発揮できる状態を維持することを「無心の状態」とか「ゾーンに入る」とか言う。日本では「勝つと思うな、思えば負けよ」という考え方が強く、一度邪念が生じると、なかなかそれから逃れることができない。それをちょっと変わった方法で脱出し得たケースがある。それがこれである。

>http://www.youtube.com/watch?v=gfp5z4dlei4&feature=related

私もリアルタイムで見ていたが、彼がワンバンウンドに近い悪球に手を出した時、「悪くない」とは思った。彼は四球を選ぶより、ボールでも打てる時は打ちに行く方を選ぶ、という考え方を持っていることを知っていたからだ。だから、あの悪球打ちは、少なくとも「悪くはない」、いやむしろ「いいんじゃないか」と思った。彼は「邪念」が生じた時に「それはなくならない」ということを知っていて、少なくともそれを振り払おうとはしなかった。それは無駄だとわかっていたからだ。彼は「どうすればいいのか」は知らなかった。しかし、少なくとも「どうしてはいけない」ということは分かっていた。経験を活かす上で「消去法」が役に立つことを示した好例と言える。それにしてもこの場面は本当にシビレた。


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