↑ 漁夫像 (高橋英吉・作 注.施設内は基本的に撮影可。以下同じ。)
11月下旬、石巻に新たに完成した複合文化施設「マルホンまきあーとテラス」を訪問した。
かつて石巻には1000人以上収容のホールとして石巻市民会館が存在したが東日本大震災による損壊と以前からの老朽化をうけ解体されていた。
石巻市民会館と言えばウルトラマンショーからウイーン少年合唱団やクラッシクオーケストラのコンサートなどで訪れたことがある。重厚で落ち着いた佇(たたず)まいと市民プールが隣接していることから私にとって馴染み深く思い出深い場所だった。そんな市民会館がなくなったと聞いたときにはやはりさみしさを感じたものだった。
「マルホンまきあーとテラス」は1200人収容の大ホールを擁し実質的に石巻市民会館の後継施設になる(管理は石巻市芸術文化振興財団)。また「複合文化施設」とあるように施設内には「石巻市博物館」が入っており石巻所縁(ゆかり)の芸術家・文化人にまつわる展示が催されている。こちらは南浜町で津波の直撃を受けた「石巻文化センター」の後継に当たる。一般市民も利用できる研修室や創作室も設けられている。
因(ちな)みにネーミングは「マルホン」が同施設を建設した建設会社「丸本組」(大成建設とのJV)のネーミングライツ(命名権)取得によるもの。「まきあーとテラス」は公募により決定され「まき」が石巻の「まき」、「あーと」が「芸術(art)」の「あーと」、「テラス」は「集合施設」の意味のほかに「芸術に光を当てて未来を“照らす”」意を含むとのこと。名前が長いので以下「まきあーとテラス」とする。
設計は建築家の藤本壮介氏の事務所による。外観は「三角屋根や倉庫が立ち並ぶ昭和初期の旧北上川河口の町並みを石巻の発展を象徴する歴史的な風景と考えデザイン」されているという。全体に白を基調とし明るく開放的な配色で滞在スペースにも余裕があり使いやすく過ごしやすい印象を受けた。
おいしいコーヒーの飲めるカフェもオープンしました。(「珈琲工房いしかわ」20211221追記)
今回の訪問のきっかけは市民会館の後継施設の完成ととともに高橋英吉の作品の展示だった。高橋英吉は石巻出身の彫刻家(木彫り)で鰐陵(がくりょう=石巻高校)のOBでもある。だから名前は高校時代から知っていたのだが作品をしっかり鑑賞した記憶はなかった。良い機会と思い訪問することにしたのだ。
「石巻市博物館」の展示には「企画展示」と「常設展示」があり訪問当日の企画展示は「文化財レスキュー 救出された美術作品の現在(いま)」であった。東日本大震災で被災した石巻文化センター所蔵の美術作品や歴史資料は全国の美術館・美術大学等で修復を受け保管されました。それらが一堂に会した展示です。損傷の種類や程度、修復の方法やその後の状態について詳細な記録が付されて展示されていました。文化センターの1階と2階とで損傷の程度に違いがあることや泥や黴(かび)の除去・剥離した絵具の復元など修復方法についての記述や被災時の写真とともに作品を見るのは非常に興味深かった。しかし最も心に残ったのは「震災による傷跡や損傷は作品の経た歴史の一部として考え、現状を維持して残す」という処置方針がとられたことだ。「どのような意図で作品を継承していくのかについては今後議論を積み重ねて必要があるでしょう。作品そのものを守り伝えるととももに、作品に付与された『震災の記憶』や『文化財レスキューの記憶』を継承し、広く伝えていくことが当博物館の役割だと考えています。」美術作品は生きている。彼らの生にも震災は一ページを加えたのだ。
文化財レスキューの展示には石巻出身ではない方の作品も含まれており所蔵の基準は不明だがこれまで目にすることのなかった作品の一つひとつが新鮮だった。割れた額縁に細木を留めた抽象絵画(?)「カラカラ」、石巻の街並みを水彩画に描きカレンダーにもなっている浅井氏の作品もあればこれまで知らなかったが何か懐かしい感じの「少年(蝶)」(漆絵)、洗濯板状の模様の板を張り合わせたオブジェ「潮流」(潮に流される姿を想像してしまう)…。その中に高橋英吉の作品「山伏像習作」・「マリア像」・「天平女人倚像」も傷跡を残したままに展示されていた。
常設展示の「高橋英吉作品展示室」に向かう。すると「高橋英吉・幸子父娘(おやこ)展」とある。英吉の長女で版画家である幸子さんの版画が共同展示されていた。「手のひらを太陽に」といった唱歌や宮澤賢治の文章をモチーフにしたものなど温かさと深みとメルヘンのもつ暗さ怖さを湛えている。スタイルの凝縮を感じる。
そして高橋英吉の作品群を見た。
まず「黒潮閑日」(くろしおかんじつ)。一人の男がもう一人の坐っている男の頭に手を当てている。髪を洗っているのか髯(ひげ)を剃っているのか。首の手拭いが風に靡(なび)いている。いずれにしても海の男たちの生活の厳しさ激しさが生々しく伝わってくる。実際英吉は美術学校を中退後に南氷洋(南極海)に向かう捕鯨船に乗っておりその時の生活に材を採ったらしい。
次に「潮音」(ちょうおん)。これも潮風を受けながら綱だろうか獲物だろうか肩に担いで立つ姿が力強く雄々しい。全体がざっくりした質感で海神さもありなんと思われる象徴性の高い作品である。
そして「漁夫像」(ぎょふぞう)。こちらも筋骨逞しい四肢だが全体に円みがありしなやかで滑らかで底光りするような存在感がある。何よりもこういう顔の人は石巻にはいるよなと思える顔である。坊主頭で日に焼けた健康で若い漁師さん。あるいは高校の部活で坊主頭の陽に焼けた柔道部や野球部の選手。そんなローカリティ(局地性)なり親近感を感じさせるのだがもしかしたらあらゆる人に同様な印象を与えるところがこの作品の普遍性なのではないかと思われた。海と太陽から受け取ったエネルギーをそのまま人間のエネルギーに変えたようなそんな強烈な若さのエネルギーを感じる。これらは海の三部作と呼ばれる英吉の代表作だそうだ。
「聖観音立像」(しょうかんのんりゅうぞう)」。作品解説によれば南氷洋から日本に帰港する数日前に亡くなった母を弔うために制作された。極めて繊細優美で尚且つ緻密に造られている。30歳そこそこで仏像への深い造詣を備えていたことに驚く。なおこの作品は戦後石巻高校が所蔵している。だから私は在校中に図書館のどこかに安置されていたこの像を何度も見ている。
ここからは私が在学中の現国の担当である丹野征一先生の奥様からうかがった話である。実はこの作品は一度石巻高校を離れる可能性があった。それは石巻文化センターが高橋英吉の作品を一か所に集めて展示することを計画したからである。石巻文化センターの開館は昭和61年(1986年)であるから私の卒業後のことである。石巻文花センター設立にともない英吉作品の集約が企画され石巻高校に譲渡(もしくは貸与)の申し入れがされた。それに対して学校側でもいろいろと協議されたであろう。その内容は定かではないがおそらく学校内に留める方向になったのであろう。そうして当時図書館担当であった丹野先生が高橋英吉さんのご遺族に手紙を出すことになった。手紙の中で先生は次のように訴えた。計画の趣旨はもっともなことである。文化センターであれば空調設備など芸術作品の保存環境が整備されているし高橋英吉さんの作品が一堂に会して見られしかもより多くの人が鑑賞できるメリットがある。しかし一方で天変地異や火災の際に一度に作品が失われるリスクが生じる。そして何より次のようなことがありました。毎日一人の生徒がこの観音像の前へやってきてじっと見つめ授業が始まると帰っていく。生徒は毎日観音像と対峙し凝視することを繰り返しました。やがて生徒は卒業し芸大に進学し芸術家の道へ進みました。先輩の残した作品に触れることができ自分の先輩にこういう人がいると実感できる。このことの意味は大きいのではないでしょうか。こういう理由から石巻高校が作品を所蔵することを許可していただけないだろうか。概ねそのような内容の手紙だったそうである。結果的にご遺族が所蔵を許可してくださり「聖観音立像」は石巻高校の生徒たちの宝であり続け被災を免れもしたわけである。なお従来通りの安置が決定後ご遺族と面会した際先生は長女の幸子さんから「お母さん、こちらがあの字のきれいな方よ。」と言われたと笑いながら奥様に言ったそうである。実は手紙は丹野先生の奥様が代筆(清書)していたのである。それで奥様はこの時のことを嬉しく覚えておられるそうだ。いずれにしても丹野先生はこの作品が石巻高校に留まるに与るところ大だったのではないか。無論先生ひとりの力ではないにしても。この経緯をご存知の方がいらっしゃったら教えていただきたいものである。
絶作となった「不動明王像」。戦地へ向かう輸送船の中で手作りと見られる彫刻刀で彫ったと伝えられる。像の裏面に刻まれた「破邪顕正」(はじゃけんしょう)は「誤った考えを否定して、正しい考えを示すこと」を意味する。日頃から戦争の不条理を非難していた英吉は彼なりのやり方で自分の考えを表現しようとしていたのだ。
高橋英吉の作品と人生についてはまだまだ伝えたいことはあるがここからは皆さんに実際に現地に足を運びその目で見ることをお勧めしたい。実物を見ることは本当に大事だ。
復興が進んだとはいえまだ苦しんでいる人たちがいる。芸術は金持ちのお遊びだという人もいるだろう。しかし実際に作品をこの目で見て感じることがいかに心豊かな時間になることか。創ることも味わうことも傷ついた人の心を癒し力を与えてくれるものだ。
まきあーとテラスには鑑賞はもちろん市民の創作・発表のためのスペースも数多く用意されている。かつての石巻市民会館や文化センターがそうであったようにこれからはこの施設が市民の思い出の場所になるであろう。
(20211221追記
・高橋英吉の作品は常設展だが幸子さんとの「父娘展」は12月26日(日)まで(テーマ展「高橋英吉・幸子父娘展」)。
観覧料:大人300円/高校生200円/小中学生100円
・企画展「文化財レスキュー 救出された美術作品の現在(いま)」の会期は下記の通り。会期中に一部展示内容が変わります。
前期:令和3年11月3日~令和4年1月10日(月・祝)
後期:令和4年1月12日~2月27日(日)
観覧料:大人500円/高校生300円/小中学生150円
※上記料金で常設展も観覧できます。
※会場へは石巻駅前からバスで行けます。最寄りバス停は「総合運動公園」。
※その他詳細は付記1「石巻市博物館 案内(市・チラシ)」をクリックして参照してください。)
20211126 マルホンまきあーとテラス ―石巻市博物館の高橋英吉展と丹野征一先生―
付記1
まきあーとテラスは石巻市開成地区、石巻商業・専修大学・総合運動場などの近辺に位置し最寄りバス停は総合運動場で石巻駅前から15分程。
よい話ばかりではないようです(汗 (朝日新聞,20210423)
復興施設 建設はできたけれど…維持費ずしり 石巻
(20240712 追記 :上記記事の魚拓)
付記2
高橋英吉についての記事
石巻が育てた天才彫刻家たち第一部 英吉と達(石巻日々新聞 20200812)
(20240712 追記:上記記事の魚拓)
付記3
石巻日日新聞(2021年10月27日付)記事によると聖観音立像は石巻高校と石巻市との間で貸与の協定が結ばれ毎年それを更新する形で半永久的に石巻博物館に展示されることとなった。保有権は維持するものの石巻高校を離れることになったわけである。これも一つの時代の変わり目なのであろう。
母校石高から博物館へ 高橋英吉の観音立像 秀作広く市民の目に
(20240712 追記:上記記事の魚拓)
付記4
高橋英吉は昭和17年(1942)、前年に生まれた長女幸子さんを残しカダルカナルで戦死(享年31歳)。実は丹野先生の父も生まれたばかりの丹野先生を残し同じ年にカダルカナルで戦死している(享年27歳)。ご遺族は知らなかったと思われるが、丹野先生は高橋英吉のプロフィールから当然知っており、それだけに観音像の所蔵には思い入れがあったと思われる。
付記5
丹野先生の奥様は元々字にはある程度自信があったそうだが或る時丹野先生から「字は丁寧に書け」と注意されてからそれを心がけているそうだ。それを聞いてその時によって字の書き方が変わってしまう字に自信がない私は「丁寧に書けばいいんだ」(自分なりの精一杯を尽くせばいいのだ)と思えるようになった。卒業しても先生から教わることはあるものだ。
付記6
石巻博物館には他に「歴史展示室」、「毛利コレクション展示室」、「石巻にゆかりの先人たち」の展示があり、私も今回だけでは見切れなかったので再訪して楽しみたいと思う。
付記7
最近つぶやいた曲
Elton John, Dua Lipa - Cold Heart (PNAU Remix) (Official Video)
Ed Sheeran - Shivers [Official Video]
Billie Eilish - Happier Than Ever (Official Music Video)
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