13時44分、福島県立博物館から会津若松駅へ。タクシー乗り場が見つからないのでバスを利用(鶴ヶ城三の丸口停留所より)。博物館は鶴ヶ城からも飯盛山からも近いが、タクシーの通行は多くない。市内には主要観光スポットを回る循環バスが30分に一本程度運行されているのでそれを利用(「ハイカラさん」とその逆方向の「あかべぇ」)。行き当たりばったりの観光はタイムロスが出るが仕方がない。きちんと観光したい人はしっかり下調べしておくとよい。
というわけで、何とか14時10分会津若松駅に到着。15時11分発JR只見線・会津鉄道会津線に乗る。この路線は西若松まではJR只見線、西若松以降は会津鉄道会津線で、乗り換え無しで接続している。目指すは芦ノ牧温泉駅。たしか郡山からの磐越西線と、会津若松を通る只見線は、20代に一度乗っていて、その際は夜行だったように思うが、朝目覚めた時に、窓外に水墨画のような雪景色-山河に降りしきる雪-が広がっているのを見て感動したことがある。夢のような景色だった。今回は川に沿って走ることはなかった。列車は会津盆地をひた走る。磐越西線でも感じたが、車窓の風景は周囲に田んぼや山は見られるものの、広がりを感じさせ、トンネルだらけの東北新幹線とは異なり、開放感があった。
15時31分芦ノ牧温泉着(600円)。ホームに降りると、「恋駅」の文字とリボンの飾り(?)。珍しく思いつつカメラのシャッターを押していると、「猫」のコスプレアニメも。??? どうもここは「猫駅長」のいる駅らしい。写真を撮っているうちにいつのまにか改札が閉められていたので乗り越えて出札。列車の運転士には「切符は駅員に渡してください」と言われたのだが、駅員の姿が見当たらない。そして駅舎内には猫駅長に関するデコレーション。タレントとの記念写真&サイン色紙みたいなものも。そして猫駅長らしき猫の姿が。(ピンボケでちゃんと映っていませんが。)
猫駅長といえば和歌山の貴志川線のタマ駅長が、廃止寸前のローカル線を救った猫として有名である。こちらは思いきり二番煎じであるが、もしかしたらこの猫駅長のいる駅として、私は昨年の段階で旅行先としてリストアップしていたのかもしれない。
ここから宿まではバスで行く。というか、芦ノ牧温泉駅だが、温泉街までバスで10分ほどかかる。駅から歩いて3分ほどのところにあるバス停「上三寄」(「かみみより」と読むらしい)から15時46分会津バス大川発電所前行きに乗車。16時10分芦ノ牧車庫に到着。このあたりには10軒ほどホテル・旅館がある。バス停から2分程歩くと今夜の宿「渓山」(けいざん)があった。
本来はこちらに2泊を考えていたのだが、2日の予定を考えると到着が夜の7時を回り遅くなるということで、今回は2軒の宿に一泊ずつとなった。こちらは渓流に面したかけながし露天風呂が自慢。チェックイン時間が15時からと早めなのも選んだ理由である。全8室とこじんまりした宿で、30代前半ぐらいの若い主人とそのお母さんなのだろうか女将さんと、あと従業員はいるのだろうか、少ないスタッフで切り盛りしているようだ。
16時15分チェックイン。建物は古そうだが、しっかりしている。清掃が行き届いているらしく清潔感がある。主人が館内を案内してくれる。タオル鉢巻をして顔面汗だくである(もうちょいこまめに汗を拭いてくれい!)。何か非常に一生懸命だ。一生懸命なのはわかるが、もう少し余裕をもってくれるとよいのだ。部屋は純和室。落ち着く。渓流を望む眺めがいい。前の晩の「庄助の宿」は窓は開けられなかったが、こちらは開けられるので、渓流の眺めがよりダイレクトに楽しめる。木枠の窓ガラスがちょっとレトロ。ただし、部屋は川からかなり高い位置にあり、それで窓を開けられるので、小さい子供などがいると危ない。そういう意味で子供に向かない宿である。
この日はいろいろ動いたので、まずは内湯で汗を流す。くせのないいいお湯だ。会津盆地はその昔は海だったので、温泉も塩化物泉が多いという。さっぱりしたお湯だ。部屋は禁煙なのでロビーで喫煙。驚いたのはこのロビー。冷房がないが暑さを感じない(この日も30℃超)。扇風機が置かれ、戸や窓が開放され、よく風が通る。渓流沿いであることや建物の構造も関係するのだろうが、何か年季を感じさせる。(因みに部屋はエアコン完備である。)
夕食は部屋食。たしか6時以降でき次第連絡してお運びしますと言われたのだが、なかなか来ないので催促の電話を入れる。そうすると、ちょうど今できましたのでお運びしますとの返事。例の汗だくの主人によって運ばれてきたのは土地の食材を生かした郷里料理。う巻→うざく、蓴菜(じゅんさい)、福島牛のすき焼き風、馬刺し、等々。鮎の塩焼きは「養殖ですが地元産です」。どれも一つひとつ丁寧に作られている印象。福島牛は味が素直で肉の味がすっきりしていて美味しい。馬刺しは辛味噌か何かで食べるのだが、これが旨い。聞くと福島ではこれが普通だそう。馬刺しというと生姜醤油というイメージがあるが、この方が馬刺しには合うと私は思った。
ところで、食事は美味しいのであるが、お酒は? 夕食が運ばれた際、ビールを注文するとともに宿の主人に日本酒のメニューはないかと尋ねたところ、そういうものはなく、日本酒は普通酒と冷酒の2種類あると言う。普通酒は萬代芳(ばんだいほう)、冷酒は末廣(すえひろ)である。実は宿の公式HPには、3種類の地酒の写真が載っていて、「風が吹く」、「会津娘」、「国権」は日本酒マニア(?)なら知っているどれも美味しい地酒である。これら全部でなくても、また、同じ銘柄でなくても、まあ美味しいところ2つぐらいはあるだろうと思っていたのだが、それが一つもないと知って、エッと思った。HPをタブレットで示して宿の汗だくの主人を「追及」すると、「そちらはまだ調整できなくてすみません」と謝るが、悪びれたようすがなく、ちょっとと思った。聞けば、もともと日本酒には力を入れていたのだが、需要が少ない、客が持ち込みで好きなお酒を飲む、開栓すると劣化しやすい日本酒を常時数種類揃えるのは小さな宿では難しい、等々などから現状に至った旨説明してくれた。小さな宿であるから分からないではないが、公式HPを直すぐらいのことは当然のこととしてやってほしいものだ。それと、開栓しても劣化しにくいお酒はあるし、お酒の保存方法にもいろいろあるので、もっと研究してほしい。因みにこの夜は、他の部屋からも日本酒の注文があって、私がオーダーしたものを切らしてしまうという事態にもなっていた。まあ、旅の目的の第一は温泉なので日本酒の件は置くとしよう。
宿の主人とは震災の影響も話題になった。会津地方は福島県でも内陸だが、原発の風評被害は払拭し切れておらず、客足はまだ完全には戻っていないとのこと。観光業ばかりではなく各種産業にも同じことは言えるのだろう。放射能のホットスポットは原発から離れたところにも存在するので、単純に原発からの距離で安全が判断できるものではない。だから利用者には科学的なデータをもとに安全を判断してほしいわけだが、そういうことを考えなければいけないこと自体が福島県のイメージを重くする。復興いまだしである。まだまだ時間がかかるし、そのための努力を続ける必要があるということだ。
そういったことはともかく、夕食は、豪華さはないが丁寧に造られていて、好感を持つことができた。
食後一息ついて、いよいよ露天風呂へ。2種類の露天風呂へは廊下からスリッパを脱いで階段を降りる。廊下の露天風呂入口付近にスリッパが置いてあれば誰かが入浴している印なので、他の客は遠慮する。そのようにして貸切状態にするのがこの宿のルール。
一つ目は檜(ひのき)の露天風呂。夜の闇の断崖の先に、緑の中に包まれるようにしてあるそのお風呂。目を閉じると、チョロチョロと湯の流れ込む音、下方からは谷川のせせらぎ。鬱蒼と迫る緑、それらを供に湯に浸る。心と体が休まる。
二つ目の露天は岩風呂。といっても天然の岩ではなく、石を人為的に配置したものだが、こちらも悪くない。
二つの露天をはしごしてこの夜は12時過ぎに床に就いた。
* * * *
翌朝6時前に目が覚めたので再び檜の露天風呂に入る。朝の爽やかな空気と迫りくる山の緑の精気で心も体も洗われる。渓流に沿い、樹々の緑に囲まれ、湯舟ひとつ。そのシンプルさがいい。やはり明るい中で緑を目でも感じながら入るのはいい。そういう意味でもやはりこういう宿には2泊はしたい。昼間にゆっくりこの露天風呂を味わいたいところだ。
入浴後の朝食は朝食会場で。質素だが、地のものを生かした、丁寧に作られた、実のあるもの。こちらも一つひとつ丁寧に味わって食べる。静かに音楽が流れ、外には蝉の声が流れる。
この宿は万人向きではない。フロントに冷房はない、窓はサッシではない、建物に段差が多い、窓から落ちたら危ない、部屋風呂がない(一室だけ渓流を眺められる風呂付の特別室あり)、食事は豪華ではない、バスの送迎がない(地元の公共交通機関を守るためにあえて無料送迎をしないところもある)、いわゆる観光ホテルの至れり尽くせりのサービスはない、提供していない日本酒をホームページに表示している、客扱いは洗練されていない。その代わり、胃腸を酷使しない質朴さ、渓流の水音と樹々の緑を味わいながらの露天風呂、適当に放っといてくれる気楽さと静けさがある。そういうものを望む方には向いている、そんな宿である。
この極めてシンプルな宿をチェックアウトしたのは9時頃。宿は10時までにチェックアウトすればいいのだが、最寄り駅までのバスの便が9時代の後は12時過ぎになり、近隣に時間をつぶせる場所もないことから、早めのチェックアウトである。宿からは記念として塗り箸をいただく。それより美味しい日本酒を置いてくれと思いながらありがたくいただく。きさくな女将にお礼を言って渓流の宿を後にしたのだった。
* * * *
さて、芦ノ牧車庫バス停に行くと、当初ナビタイムで調べてあった時刻のバスがない。ダイヤ改正されて時刻表が変わっているらしい。宿の人に確認すればよかったと後悔。この日も暑いのに数十分待って9時半頃のバスに乗る。会津若松行きなので、往路と別ルートにあるが、このままバスで会津若松まで行くことに。路線バスだが利用客は多くなく、周りの景色も楽しめる。
グーグルマップで見ると、バスは鶴ヶ城近くを通る。この日も観光の予定は立てていなかったので、鶴ヶ城を見てみようと思う。相変わらず行きあたりばったりである。
鶴ヶ城近くのバス停で降りる。時間帯によって停まる停留所が変わるらしく、降りたバス停から鶴ヶ城までは少し距離がある。遠くに鶴ヶ城の天守閣が見えるが、歩くとかなり距離がありそうだ。タクシーを探しつつ炎天下を歩くこと10分ぐらい、結局鶴ヶ城に徒歩で辿り着く。まずはお濠。かなりの広さである。野鳥がいれば鯉もいる。城全体がかなりの広さであることがこの外周からだけでもわかる。というより、この外周から見るからこそ城の大きさが分かるというべきか。
北出丸に出る。出丸とは本城から張り出した形に築かれた曲輪(くるわ、郭)や小城。曲輪は、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称。小城は今はないから、かつてあった小城の跡ということになる。このあたりで目に付くのは防塁のような石垣。内側は傾斜のついた階段状で登りやすく、外側は絶壁で登りにくい。敵が直進できないように曲がりくねった通路。
椿坂を通って濠を渡り、太鼓門、旧表門と入り、天守閣に向かう。左右に石垣。それを上り下りするための省スペースの武者走り、城本体に登りにくくするための高い石垣。敵の攻撃を待ち受け撃退するための工夫が凝らされている。それはたんなる機能だけではなく、濠の水や草木の緑と相俟って機能美も生み出している。
天守閣の前は今は公園として整備されているので芝生や植栽になっているが、往時は本丸、兵士の待機する建物、望楼などの軍事施設、籠城に必要な塩蔵や井戸などの生活施設、武人の嗜みの茶室もあったようだ。(復元された茶室があり、有料だがお茶をいただくことができる。)
城というと天守閣に目が行きがちだが、こうして城全体をゆっくり見て歩くと、それがひとつの目的に向かって造られた多機能構造体であることがわかる。もっとも、日本の城は戦国時代初期までは山城が主で、戦国時代中期から城自体が増え、しかも平地を望む丘陵に建てる平山城(ひらやまじろ)や平地に建てる平城(ひらじろ)が増えたそうだ。山城に比べ防御に劣るが政治的支配の拠点として優れることや、戦乱の日常化という時代背景が、この傾向を後押ししたようだ。こちらの城は発端となる館(やかた)の建設が南北朝時代(1336-1392年)に遡(さかのぼ)り、最初の天守閣が建てられたのは1593年、現在の形を整えたのは1639年(寛永16年)つまり江戸時代初期。300年以上かけて完成をみたわけである。
まあ石垣の石の一つひとつの巨大さを見ただけでも、その建造の困難さはわかるので、それを含めてさまざまな人間の智恵が読み取れるというという意味で、城を見るというのは意外に面白いということが分かった。
天守閣近くの売店兼食堂でイチゴミルクフラッペを食べて一息。城は充分堪能したので、天守閣博物館は見ず、会津若松駅に向かう。売店でタクシー乗り場を聞き、タクシーに乗る。運転手さんと、最近はドライバーさんの階級制とか表彰制とかあって励みになるとか、東京も地方も業界的にはあまり変わらない(そんなに儲からない)とか、四方山話(よもやまばなし)をしながら駅に向かう。
会津若松駅には11時半頃到着。混みあいそうなランチ時を避け、駅のお蕎麦屋さんでお昼とお酒を少しやろうと思ったのだ。お蕎麦と郷土料理のセットを頼み、ビールの後に、日本酒をいただく。日本酒に関して言えば、このお店も美味しい日本酒を飲めるお店ではなかった。まあ、どこでも大手メーカーが幅を利かせている状況はあるのだが、日本酒鑑評会金賞受賞蔵が7年連続全国最多の福島なのだから、もう少し地酒推しのお店が多くてもよいのではと思った。駅という人の出入りが多い、地域の表玄関となるところだけに。
料理の中ではまず「蕎麦」が目に付く。蕎麦屋だから当然なのだが、実は泊まった二つの宿のどちらにもお蕎麦が出されていたのだ。しかも、その蕎麦は妙に短い。このお店もそうで、これは会津蕎麦の特長なのかもしれない。その短さにどんな由来があるかは不明。ふだん食べ慣れた長さとは違うので、少し違和感を覚えるが、まあ食べ慣れれば食べやすいのだろう。蕎麦の味はややあっさり目で、味や香りはそれほど強くない。穏やかな中に野趣ある味わい。調べると、かつて山間部では主食でもあったらしく、会津蕎麦には長い歴史があるようだ。それと「こづゆ」である。豆麩やひじきが、細かく刻まれた根菜とおつゆであっさり煮込まれた煮込み料理で、見た目「おくずかけ」に似ている。こちらは葛をかけていないのでトロミはない。素朴な味だが、ふだんの酒の肴というより、お祭りなど特別な日に供される郷土料理なのかもしれない。お赤飯とともにお腹いっぱい食べたい感じの料理である。ほかにも「ぼうだら(棒鱈)」や鰊(にしん)の酢漬けなどもついて、いわば会津郷土料理の入門セット。これはなかなかよかった。
福島の郷土料理に舌鼓を打ち、これで思い残すことはない。
14時13分会津若松発JR磐越西線快速郡山行に乗った私は、15時19分に郡山着。15時51分に郡山発JR東北新幹線つばさ144号東京行に乗り、16時48分東京着。グランスタのはせがわ酒店をひやかし、17時17分東京発JR中央線快速武蔵小金井行に乗り、17時32分新宿着。17時41分に新宿発小田急線小田原線快速急行小田原行に乗り、17時58分登戸着。同線各駅停車本厚木行に乗り換え、18時04分生田に到着。こうして旅は終わった。
* * * *
思えば今回の帰省の旅は、再会の連続だった。渡波海水浴場、昔大文字屋に勤めていた旧姓イトウさん、Mくん、モコちゃんはじめとする女川の大文字屋さん、会津若松の飯盛山の水の楽園。最初に出会った時と再会の時との印象の違いは、そのまま私自身の変化を反映している。同じ書物を再読する毎(ごと)に、異なる部分に注意を引かれ、そのたびに発見があるように。
再会とは再び会うことだ。そういう機会が増えたということは、おそらく私の人生が折り返し地点を過ぎたということなのだろう。
そんなことを、鈴虫の声を聞きながら思った。
20190803-04 芦ノ牧温泉 渓山
20190803 芦ノ牧温泉 渓流の宿 渓山 会津温泉旅03
20190804 鶴ヶ城 会津温泉旅04
付記1
調べてみると福島は面積が全国3位という「広い」県である。因みに1位は北海道、2位は岩手である。
付記2
渓流の宿 渓山 HP こちらはお米は自家栽培、野菜は無農薬だそうである。
付記3
会津芦ノ牧温泉観光協会 HP wikipedia によると開湯は約1200年前、行基によるとのこと。
付記4
宿が面している渓流は、阿賀川(あががわ)といい、阿賀野川(あがのがわ)水系の川。阿賀野川は福島・群馬に源流を持ち、日本海に注ぐ。阿賀川も阿賀野川も一級河川である。
※一級河川…国土保全上または国民経済上、特に重要な水系で国土交通大臣が国土交通省令により、水系ごとに名称・区間を指定した河川である。(環境省「環境アセスメント用語集」より抜粋)
付記5
「萬代芳」は「風が吹く」を造っている蔵の定番酒。ちなみに造りのしっかりした日本酒は開栓後も味が落ちにくく、モノによっては開栓後1か月後に味が出始めることもある。また、小さい容器に小分けにして冷蔵保存すれば香りが飛ぶのもかなり抑えられる。これは「日本酒原価酒蔵」という居酒屋が採用している方法である。行ったことはないですが。
付記6 最近聴いた曲
Marshmello ft. Bastille - Happier (Official Music Video)
Lana Del Rey - Looking For America (Audio)
付記7 (20190916 追記)
「う巻」(うまき、鰻巻き)は鰻(うなぎ)の蒲焼きを卵焼きで巻いたもの。「うざく」は鰻と胡瓜の酢の物。
付記8 (20190917 追記)
忘れていたが、渓山の夕食で最も美味しかったのは冬瓜(とうがん)のあんかけ。鮎の写真の左に見える椀だろう。しっかりした、それでいて澄んだ味わい。作物・調理ともに良い。旬のものはいい。冬瓜は「7 - 9月に収穫し」、「完熟後皮が硬くなり、貯蔵性に優れる。丸(玉)のままなら冷暗所保管で冬まで日持ちすることから、冬瓜と呼んだ。」と wiki にある。
付記9 (20190917 追記)
渓山の夕食の鮎は養殖ものだが、近くの川で獲れたものではないのかと訊くと、川鵜(かわう:川や湖沼に棲む鵜)に食べられて獲れないのだそうだ。因みに「鵜(う)」は日本には、ウミウ、カワウ、ヒメウ、チシマウガラスの4種類が繁殖し、そのうち鵜飼い(うかい)に用いるのはウミウ(海岸に生息する鵜)である。また中国の鵜飼いでは川鵜を用いる( wiki による)。
後記
私の人生の折り返し地点がいつなのかは分からない。折り返し地点はいろいろとあったと思う。ただ、こういうブログを書くようになったという観点からすれば、父の死がその一つであることはたしかだ。
それまで私は自分の人生を記録することがなかった。とりわけ高校卒業後はそうであった。生とはただ消え去るものという思いがあった。消え去るものは消え去るに任せることこそ生にふさわしいと言う思い。記録しないことにそんな思いを言い訳のように後付けしたのではない。残すということに意義を感じなかった。それ以上に大切なものがあった。それが、ある必要に迫られ、写真を撮ったりしたことから、こういうブログを書くことになった。そして写真もたくさん撮るようになった。
「ブログ」とは「ウェブログ web log」すなわち「インターネット上に記録すること(したもの)」である。また、ログ(log)の語源は「航海日誌 log-book 」である。そういうわけでブログはインターネット上の日記と言っていい。
西尾実によれば、文章というものが常に誰かに向けて書かれたものであるという点から言えば、日記は「他日(たじつ)の自己」へ向けて書かれた文章だという。いつの日かの、未来将来の自分に向けて、私は書いている。そういうことになる。私自身の表層的な意識としては、自分が後から振り返って読んで楽しめればよいと思って書いている。だから、自分が読んでつまらないと思うものは書かないでいる。制約がないわけではないが、自分が好きなように書いている。
語源的に航海日誌でもあるブログ。航海日誌はしかし、「他日の自己」へ向けて書かれているだけではない。航海に従事する他者が、参考にしたり、航海について学んだりする。地理や歴史の後世の資料になることもある。そういう役割をもっている。インターネット上に公開することを考慮しても、ブログには個人の趣味性だけでなく公開性・公共性もある。
ブログは、人生という航海を記録したものだ。いろいろな航海がある。そのそれぞれについてこれからも書いてみようと思う。
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