大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

カメラ

2013-12-22 17:41:34 | 日記

今年に入ってから愛用のNikonのコンデジが、ズームレンズをキュルキュル言わせはじめ、そろそろ寿命かなと思っていたところ、10月下旬になってついにウンともスンとも言わなくなった。

ついに御臨終かと諦めていたが、Nikonのサイトを見ると修理を受け付けているようなので依頼してみることに。ズームレンズの不具合で約9500円程の見積もり+ニコンイメージング会員は10%引き。購入時に会員登録していたので8500円程の出費で、各機能動作確認、清掃を含めたメンテナンスを受けることができた。期間は1週間ほど。自宅まで製品を取りに来てくれて返送もしてくれる非常にありがたいサービスだった。

カメラ 20131222

COOLPIXシリーズの製品番号S8000。2010年発売時の1600万画素、10倍ズームはこのクラスでなかなかのスペックだったし、今は昔のCCDだが、まだまだ画像は見るに耐える。個人的には良い機械だと思っている。

もともと憲ちゃんの一周忌を記録に収めるつもりで買った。それが震災前後の石巻を記録することにもなった。特に失われる直前の風景を2011年正月に記録できたことは偶然ながら感慨深い。

20100816 憲ちゃんの一周忌

お正月帰省 20101230~20110102 前編(年越しまで)

※ 今気が付いたが、この頃はgooブログの仕様上、写真が小さいサイズでしか送れなかった。折を見て大きいサイズで作成し直そう。

カメラと言えば思い出すのは、憲ちゃんが買ったCanonの一台。私が小学校高学年の頃だったと思うが、憲ちゃんが購入していじくり回していたのを覚えている。それ以前もカメラはあるにはあった、というより、あったはずだが、どんなものであったかはほとんど記憶にない。

そのCanonの一台は、私もよく使ったので覚えているのだろう。中学卒業直前ぐらいに当時名古屋に山一の支店長で赴任していた春彦さんの家に遊びに行った際、守山市の明治村や木曽路の妻籠馬籠まで足を伸ばし撮影したことを覚えている。

特に明治村では、ステンドグラスの施された窓を背景に、アンティークの椅子が配してある部屋を撮影し、とりどりの色を含んだ光線が室内を染めるさまがうまく撮れて、現像をお願いした長谷川写真館のご主人からもほめられたのを覚えている。絞りやシャッタースピードを自分で調節しながらの撮影の楽しさを覚えたのもこれが最初の体験だった。

妻籠馬籠へは叔父の車で行ったが、明治村は一人で電車で行って、あのあたりの駅のプラットホームにいろいろな私鉄が2~3分おきに発着するのにほとんどパニックになった。列車と言えば国鉄で、1時間に数本という石巻の世界から、突然国鉄私鉄入り乱れる世界への移動は、一種のカルチャーショックであった。

そういえば春彦さんは後日このカメラを見て、「そう言えば兄さん、いいもの買いだったからなあ」と言っていたが、一眼レフではないものの、レンズがかなり明るく、たぶん2.0ぐらいだったと思うので、おそらくこのあたりではないかと思う。→キヤノネットG-III(G-3)17(CANO CAMERA MUSEUM)

その後カメラにはほとんど縁がなかったのだが、憲ちゃんの法事を写すのに買ったことで、またカメラとは縁ができたようだ。

今後S8000はサブ機に、機会があれば撮り続けようと思う。

 

 


付記1
そう言えば、津波の後にあのキャノンはどうなったのか。今度確認してみようと思う。

付記2
Nikonはコンデジでマニュアル撮影可能な機種を出すつもりがないのが明白なので、次機種はメーカー乗り換えております。

付記3
復興への途上、さまざまな努力がなされています。このようなプロジェクトにも多くの方々の協力があるとよいですね。
三陸牡蠣のぼり1000本プロジェクト

三陸牡蠣復興プロジェクトのブログ

****

最近つぶやいた曲、キッチュです。
Capital Cities - Safe And Sound (Official Video)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  | トップ | 2013年のお気に入り »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事